(2番手が郡大会で、準優勝の娘の泳ぎです)
水泳部(金槌がチャンピオンになった)(その2終わり)
親バカは、食事の管理も考え始めた。
まず、トレーニング中は動物性たんぱく質、肉類などを多く摂らせて体力の育成に努める。
そして、大会前何日かは野菜を多く取り入れて持久力の要請に努める。
こんな親バカの考えも功を奏したのだったろうか。
夏休みに入り、堀之内町の学校対抗水泳大会が開かれたがその大会でなんと、
娘は町の大会の新記録を作って優勝したのだった。
夏休みの最後だったか、夏休み明けだったか郡大会が開かれた。
そうなると親も欲が出てくる。一家揃って大会の応援に出かけた。でも、やはり優勝は無理だった。
他の小学校にはスイミングクラブで年間を通じて、鍛えている児童さえいたのでしたから。
結果は準優勝でした。娘の資質、親の熱中もともかく、指導された担任の熱意と指導方法が、
その結果のすべてに結実したように思えた。
その後、6年生の時の学年行事には私の提案で登山が取り入れられ、
親子そろって「平標山」の登山にも挑戦し、良い思い出を共有することにさえつながる。
とにかく、新卒新任の先生であったが、教育に情熱と実行力を発揮していました。
その後間も無く転任されたが、何校かに勤務され柏崎市の教育主事として勤められた後の勤務先は、
なんと今の文科省。当時の「文部省」だったのです。
先の中越地震の際には、転任後十数年を数えるというのに、担任した子供たちの消息確認に来てくださいました。
不幸にして私しか在宅せず、帰宅した娘は会えなかったことを悲しみました。
今は文科省、初等中等教育局視学官と言う職名で「アクティブ・ラーニング」と言う、
新しい教育指針策定に携わられています。うーん、やはりただの先生ではなかったなー。
その素晴らしい先生のお名前は「田村先生」ですが、覚えている方は少ないかな。
(終わり)