畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

春告げ魚を食べる

2017-02-28 05:07:52 | 食べ物

 

 札幌のスベルべママの姉夫婦から春のプレゼントが届きました。

箱にぎっしりと北海道の美味しいものが入っていましたが白眉はこの春告げ魚こと「ニシンです。

  お話を聞いたけれど、今年は小樽の沖はもちろんのこと松前沖でも何年振りかの「クキ」だとか。

「クキ」って聞いて、言葉は記憶の底にあったけれども、改めて海が雄ニシンの白子で濁ることだとか。

 あまりにも大きなニシンで、頭を落とさないとロースターに入らなかった。

大きなニシンは、大きくて身がしっかりとし、もちろん味は最高でした。

 

  もう春がそこまで来ていると、残っていた「ウド」の塩漬けを取り出した。

2、3日前かなー、樽から取り出し、さっと一煮立ちさせてから2日も塩出しをして「キンピラ」仕立てに。

 

  昨年は我が家の「高菜」が上手くできなかったと聞き、届けられた「高菜の煮物」。

近所と言うか、スベルべママの同級生から丁寧に漬けた高菜を煮て持ってきてくださったのでした。

 

  「豆腐」入りのサラダです。

ポイントは豆腐はもちろんだけれど、「ウルイ」と赤い大根「紅クルリ」かな。

 

  サラダと違い、さっと茹でた「ウルイ」とコンニャクの酢の物。

もちろんコンニャクは手作りで、スベルべママが午前中のうちに作り上げていたものです。

 あ、そういえば、昨日のテレビ「アサイチ」でコンニャクの効能を特集していましたね。

食物繊維がたっぷりで、優れた整腸作用があるのだとか。道理でスベルべの体調が良いわけだ(笑)。

 

 おいしいニシンに飲み物は何を合わせようかと少し焦りました。

選んだのは山形の銘酒、酒田の「初孫」です。

 スベルべママの友達から、お祝いにと頂いたお酒です。

二人で、それぞれの片口を取り出し、猪口を合わせ、スカイプでつないだパソコンの画面の義姉夫婦と乾杯!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春よ来い(その2終わり)

2017-02-27 06:01:49 | 自然

 

 村の中の道を歩いてみました。

雪が少なかったとは言え、広い市道を除雪した雪はやはり山をなしている。

 家々の屋根越しに越後駒ケ岳が陽の光に輝いています。 

 やはり、この輝き方の中にも春の到来が感じられるような気がします。

 

  北方の山々も雪が輝いています。

例年だと国道を除雪した雪で自動車も見えなくなるのだけれど、今年はそんな状態にはならなかった。

 

  山懐に抱かれた木沢集落が見えます。

こちらよりも標高がかなり高いので雪の量も全く違うようです。

 昨日はニュースで雪の量は平年の70~80%と言っていたけれど実感としてはもっと少ない。

終雪(雪がすべて消える日)は4月20日頃って言っていましたね。

 

  駅のホームの片隅の雪が、散水消雪から流れ出た水で溶け地面が出ていました。

ここだけはもう春が来たようです。

 

 3つ揃った芽が見えるのはユリですね。

これからの放射冷却現象で凍らなければよいのですが。

 さて地面、土が見えると少し畑のことも気になりだします。

最後にもう一件種子の発注をしなければなりません。今日はパートも休みだからそちらに専念しましょうか。

          (終わり)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春よ来い(その1)

2017-02-26 04:27:42 | 自然

 朝のうちは冷え込みが強く、雪も結構強く降っていました。

ところが、昼前から日が差し始め輻射熱でホームの雪も消え始めた。

 

 やはり、平年の半分ほどの積雪でしょうか。1メートルちょっと言ったところです。

小雪だった昨年はともかく、例年雪に埋もれてしまう駅名標もこの通り。

 

 朝、一度雪かきをしたホームもそれから降った雪さえ溶けてしまった。

もうすっかり春の雰囲気、春の訪れを感じさせる日差しです。

 

 こんもりとして見えるのは雪の小山。

駅前の駐車場を除雪し、ロータリー除雪車で一か所に投げたためにできたのです。

          (続く)

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

碁太平記白石噺(座長だったら)

2017-02-25 04:16:13 | 暮らし

 「白石噺」は正式には次の写真の通り『碁太平記白石噺』です。(ネットで調べました)

歌舞伎や人形浄瑠璃で今でも演じられ世話物と呼ばれる範疇の物語の演題のようです。

  ずいぶん使い古された台本で、綴じ紐の紙縒りは新しい物に代わっています。

あちらこちらの地芝居で使われたものかもしれません。

 

  表紙をめくると役付け、そして小道具まで書いてある。

そして、先の「源平布引」と同じくスベルべには判然としないセリフが始まります。

 

  驚きの裏表紙と言うか分からない裏表紙!

瀧の屋 市川瀧の助と読むのかなー。別の一座の座長なのかなー。

 

  年号の明治の次は何と読むのでしょう。二なのか三なのか。

北魚沼郡今泉村になっていますが、先に紹介した「源平布引」では薮神村大字今泉になっていました。

  市川瀧の助が芸名で「山本庄吉」が本名なのでしょうか。

そちらの筋からも話を手繰り寄せてみたいような気もします。

 

 そして、「自芝居花覚」です。遠い我が家のルーツも見え隠れしているように思います。

地芝居ではなくて自芝居としたのは、祖父のプライドだったのでしょうか。

 いずれにしても、江戸や大阪で演じられていた浄瑠璃や歌舞伎が田舎で再現されていた。

昔の人たち、私たちの身の回りの庶民が一生懸命に生活し、そして暮らしを楽しんだ名残でしょう。

こんなものを残してくれた、会ったことのない祖父に感謝します。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載100-2「昔々の話」(続きその2終わり)

2017-02-24 12:37:18 | 暮らし

 

   昔々の話の続き

 

  明治十二年生まれの祖母の話です。


 他にも信じられない話しも聞かされた。

小出に用事に出掛けた曾祖父はあの「戊申戦争小出島の合戦」に巻き込まれたと言う話を聞いた。

戦が始まり、行き場を失った曾祖父は柳原に有った、ある料亭の傍の大きな柳の木の後ろに身を隠したそうだ。

 

 すると、官軍の赤熊(しゃぐま=薩長軍の冠りもの)を付けた指揮官と思われる侍と、

幕府軍会津藩士のこれまた立派な身なりの大将と思われる侍が、お互いに名乗りを上げて刃を交わし始めた。

 

 曾祖父はそれを柳の大木に隠れて見ていたと聞かされたが、本当の話で有ろうか。

史実から見ると、小出島戦争は慶応四年四月二十七日と有るから、時代的には間違いは無いだろう。

 

 この戦は明け六つ半(午前七時)から五つ半(午前九時)までと有る。

曾祖父は二時間余りの時間、柳の大木の後ろに隠れていたのだったろうか。

 曾祖父の話を知る叔父叔母たちもあの世へと旅立った人が多く、ことの真実を確かめるすべも無くなってしまった。


         (終わり)

   (おかげさまで地方紙と言うか町の新聞『越南タイムス』連載が100回になりました。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする