(平成17年中越地震の翌年の共同作業所。スベルべが責任者で取り壊しを決めました。
まだ、どの家も混乱のさなかで、つぶれても仕方ないと思ったが、電線が危険でこの後雪を下した。)
除雪奉仕(その1)
一昔前は学校の屋根も木造建築のため、冬には雪下ろしが必定の仕事だった。
父が冬でも仕事で日曜日も休めず、中学生のころから学校の屋根雪下ろしの奉仕作業に出たものだ。
卒業したばかりの小学校の屋根はもちろんの事、在学中の中学校の屋根にさえ、大人に混じって上がった記憶がある。
広い学校の屋根は集落ごとに除雪場所を振り分けられた。
最も苦労するのは大きな屋根の体育館である。滑り板という、4、50センチの幅の浅い溝状の木製品を3枚4枚と繋げ、
その両側から雪を投げ入れる。
その滑り板を滑った雪は加速度を得て、遠くへ飛ぶこととなる。滑り板の周りが一通り終わると滑り板を移動させ、
何回か繰り返して作業を終える。
弁当を持って出かけた記憶もないから、豪雪で下した雪の処理が大変な時は別としても、午前中だけで終わっていたのだろうか。
男性が出稼ぎに出ていたのであろうか、女性たちの姿も珍しくはなかったようにも記憶している。
(続く)