畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

東日本大震災復興支援

2012-02-29 12:09:13 | 暮らし

 地震の直後に支援金を送ったが、その後さしたる手伝いも無く忸怩たる思いも。
そんな気持ちを言い訳にしたわけでもないけれど、宝くじを購入しました。

 当たらないかなー、当たったら絶対に独り占めなんかしませんからね。
私なんて、分け前がちょっぴり有ったらそれで良い。
もう、本当に気前よく寄付しちゃいますからね。 


 えーと、連番で○枚、バラで○枚です。で、ホントのところは内緒(笑)。
ま、あぶく銭でも無いけれど、チョイとした実入りが有りましてね、それをそっくり投資したって事。

 私自身で今までに最高の当選額は一万円だったなー。
身近な人でも一千万円当選した人を知っています。

 少し落ちるけれど昔、同僚と言うか部下が五十万円当選したことが有った。
可笑しかったなー、普段無口で自分から話題を切り出したことなんて無い男が、
朝出勤し、開口一番「俺ー五十万円当たっちゃったー」と切り出し大騒ぎに。

 「おい、良かったなー、おごってくれるんだろ?」
「いや、バイクのローンの残りにぴったりだから」
だって。
皆に冷やかされたけれども、ついに人のためにって事は無かったですね。

 でも、高額な金額に当選したら私だって人が変わるかもしれないなー。
何時もおしゃべりなのに、急に無口、寡黙になったりして(大笑)。
そして、当たったら寄付するなんて言葉は全く忘れたりしてー。

 以前週刊誌の企画で高額当選者のその後の暮らしを追いかけた特集が有りましたね。
結論は皆様も大体想像がお付きになることでしょう。
そう、堅実に貯蓄に回したなんて人は少数派でしたね。

 大体が持ちなれない大金に惑わされ、浪費癖が付き、
贅沢な暮しの果てに借金まみれ、なんて哀れな話が結末。
と、言うことはやはり当選しない方が幸せなんでしょうか。

 そうそう、思い出しましたよ。
中越地震の年の十二月に東京への出張が有りましてね、
この時とばかりに高額当選者が出ることで有名な売り場に並びましたよ。

 中越地震の被災者だなんて売り子のオバサンに言うと、
「まー、大変、必ず当選しますように」なんて、パンパンと柏手を打ってくれたっけ。
結果?そりゃもう当選でしたよ、三百円ね(大笑)。

 人生は甘くない、人を頼っちゃいけない。なんて思いましたよ(笑)。
さ、皆さん、私が三月二十三日以降、無口になったら、当選を疑って下さい。
ブログの更新も忘れちゃうかもなー(大笑)。
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たまには本屋でゆっくりと

2012-02-28 05:05:54 | 暮らし

 土、日曜日と出勤したので昨日はお休み。
ふと、スポーツショップでクロスカントリースキーのブーツとストックを見たくなり出掛けた。

 妻は、たまにショッピングをしたいと言うから二人で出かけた。
しかし、目指す小千谷のスポーツショップには「月曜日定休日」の張り紙。
がっかりしたけれども、近くの大型ショッピングモールに入り、書店のコーナーへ。

 妻には「ゆっくりと買い物をどうぞ」と勧め、書店のコーナーを次々と渡り歩く。
中々の規模である書店は結構豊富に書籍を取り揃えている。

 眺めているうちに、農業関係図書のコーナーで、ふと、「BEPAL」に出ていた本を見つける。
ネットで取り寄せようかなんて思っていたところだったから、思わぬ発見とばかりに喜んだ。


 「日本の田舎は宝の山」どうですか、中々の表題でしょう。
帰宅して、炬燵に入り早速目を通し始めたけれど、この著者って中々の人物ですよ。

 何よりも良いのは、全てご自分の実践に伴うお話だと言うことです。
うーん、私ももう少し若かったら、弟子入りしたいところです。


 TPPなんて蹴っ飛ばせ、周りをご覧日本にはまだまだ素晴らしい資源が有りますぜ。
皆が地に足のつかない暮らしをしているから、自分たちの持つ宝、財産に気付かないだけさ。

 

 もう一冊。おまけでも無いけれど、ご存知「塩沢のオトッつぁん」のお話。
そもそも、私が農業に力を入れ始めたのは彼の影響も有ったなー。


 彼は私と同じ年齢なんだけれど、学生生活を東京で送ったのち故郷に帰り、
六日町で飲食店をしながら、その店で自分の野菜を食べさせるって理想の暮らし(笑)。


 ほら、帯にも上手い事が書いてあるなー。
本当に田舎って贅沢なんだなーと実感させられますよ。
本をお読みになっても結構だし、六日町の「大」を訪れても面白いでしょう。

 私も何時かは訪れて、一勝負しなくちゃなー。
でも、本当にトボケた、味のある表情をしていらっしゃいますねー。
こりゃ、もう顔で負けちゃったなー(大笑)。
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「共喰い」を読みました

2012-02-27 07:53:07 | 暮らし

 先日もアップした「文藝春秋三月号」です。
「芥川賞」受賞作品を単行本では無く、安く読もうと言う魂胆から購入。


 受賞インタビューが掲載されているけれど、受賞記念パーティー時のような気負いは無い。
淡々と来し方を語られていると言う印象。

 学歴が工業高校のみってところも興味を引かれますね。
だって、私も今では自分でも不思議にも感じるけれど工業高校の機械科卒ですから(笑)。


 田中慎弥さんが受賞記念パーティーで揶揄、いやからかった審査員「石原慎太郎」氏の選評も面白い。
結構辛口で頷ける部分も有るけれど、ご自身の受賞作「太陽の季節」と比較してどうかなー。
ま、彼も順調に成長して、それなりの七十八歳を迎えられていると言うことかな(笑)。


 ま、口はばったい評も出来ないけれども、石原審査員の評も当たっていると思う部分も。
さすがに何回も受賞候補に成っているだけに、情景の表現とか場面の設定には面白さを持っている。

 でも、うーん、なんだか心を打つもの、酔わせるものが感じられないなー。
これは、石原審査員じゃないけれど、私も老いて感受性が薄れてきたのが原因かもしれないが。

 先日、別の週刊誌のインタビューに答えていたけれど、
あの、話題になったスピーチが元で、結構受賞作品「共喰い」の発行部数が増えた。
なんて、率直な発言がまた結構好感も感じさせてくれる。

 今までの「芥川賞」受賞作家には色々な方が居られましたねー。
受賞作品一発限りで、後は鳴かず飛ばず。いつの間にか名前を忘れられている作家さえ少なくない。
そして、純文学的要素で選ばれても、その後お色気路線に舵を切ったりしてね(笑)。

 そんなことを言うと叱られるかも知れないけれど、「芥川賞」「直木賞」共に粗製乱造にすぎないかなー。
活字離れが言われ始めて久しいが、その小説自体の面白さって、どうなんだろう。

 開高健、遠藤周作、北杜夫、阿川弘之、浅田次郎、五木寛之、玄侑宗久。
受賞されたか、また、どの賞を貰ったのかも定かではないけれど、やはり面白かった。
開高健さんなんて、器用に純文学から釣り中心の紀行文までこなされていたからなー。
出よ大型新人、もっと活字の世界に現代人を引きずりこむような。
コメント (6)
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GSさん、若き日の雄姿ですよ

2012-02-26 04:35:12 | 暮らし

 先日コメントを下さった「GS」さん、若き日の私の姿ですよ。
これは上越線の石打駅構内で、これから浦佐駅まで作業をする直前です。

 動かすマシンは日本で三台しか製造されなかったモンスターマシン「DD53」です。
前に立つ若き日の私の背丈をはるかに超える掻き寄せ回転翼に驚かされます。
プッシャーと呼ぶ後押し機関車と本体とで合計3,000馬力と言う巨大、強靭な心臓部でした。

 この時も私が正操縦者と言う責任者を勤めていたはずです。
まだ、二十歳代の若造の私が、掻き寄せ回転翼の上に突き出たコクピットに乗り込み指揮をしていた。


 石打駅と次の大沢駅との中間を作業しています。
これは仕事の中でも花形の「反対投雪」で、下り線山側の雪を、反対の上り線の外に飛ばしています。
右側の斜面に人が見えますが、災害派遣された陸上自衛隊員の姿です。


 六日町駅で発車を待つ「DD14」の前に並ぶ先輩と私。
先輩は真面目に腕に「保線作業責任者」の腕章を付けているから、
これは当時就任したばかりの「高木国鉄総裁」をお乗せした時のものですね。 


 私も珍しく真面目に帽子の顎紐を掛けたりしていますよ。
国鉄の総裁に同乗して頂き、作業をお見せするなんて、まるで「お召し列車」の機関士のような名誉でした。
帽子の後ろに見える暑苦しいばかりの厚い髪が眩しい(笑)。


 「DD14」は「DD53」の半分の馬力1,500馬力でしたが、
それでも作業能率は目を見張るようなものが有りましたね。


 今は残念ながら「DD53」も「DD14」もその姿を見ることは有りません。
「DD53」は今は一台が動態保存されているのみと聞きます。

 巨大なモンスターマシンはその持つ巨大過ぎる作業能力を持て余し使われなくなってしまったのです。
家屋が沿線近くに立ち並んだと言う環境の変化と、操縦出来る技術者も居なくなってしまったのです。

 今は、この写真のように小型の「MR」モータカーロータリーが主力です。
地方紙に「雪に弱いJR」と言う、雪が少し降ると運休してしまう体制を批判する投書が有りました。

 それも、二件続き、「公共交通」の役目を投げ出していると、痛いところを突いていましたが、
ついぞ、JRからの反論、お詫びの言葉は掲載されませんでした。
昔を知るOBの一人としては寂しい限りです。

 昔は、文字通り身体を張り、命がけで仕事に取り組む私のような馬鹿がいたのです。
新幹線も開通しない時代で、東京と新潟の生命線は俺が守る。って言う心意気でしたよ。
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蕎麦打ちの思いで

2012-02-25 11:42:27 | 食べ物

 何年前のことかなー、「イチカラ畑」の若者たちと知り合う前は、
蕎麦も何回か自分で打っていた。

 「どうだ、自分で蕎麦打ちをするって奴は多いけれど、
種まきからやるってのは少ないぞ」なんて自慢しながらね。


 ま、基本って言うか「二八蕎麦」でしたけれどもね。
対抗心を燃やしたわけでも無かったけれど、妻は十割蕎麦も打ちましたよ。


 何せ、やると決めたら結構のめり込む性格。
のし板から麺棒まで新調。ついでに作務衣まで買い込む嵌りよう(笑)。


 お、冠り物が違うから、別の日の写真を編集していますね。
あのころは山の畑に蕎麦を播き、乾燥脱穀までは自前の仕事。
製粉だけは他人に任せていましたが、もう製粉機まで買おうかって勢いでしたよ。


 蕎麦切り包丁は「すばる姉」からの借用品。
打ち刃物で有名な「与板」の腕の良い鍛冶が鍛えた技ものです。


 結構手際のよい包丁使い。って自分言っちゃいけませんや(笑)。
のし板も写真によって違っていますね。

 我が家にはコネ鉢が三個、のし板が二枚、麺棒も二本揃っています。
蕎麦粉はその気になったら「イチカラ畑」から仕入れ出来ますから、何時でもオーケー。
どう、我が家で一緒に手打ち蕎麦を食べてみたいって人はいらっしゃいませんかな(笑)。
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