今冬最強の寒波だったと言う二、三日は猛烈な吹雪も伴った寒さでした。
朝から晩まで雪交じりの強風が吹き荒れる吹雪の一日となったのです。
勿論終日氷点下の真冬日でもあります。
道路が渇いたように見えるのは、寒さで道路が凍っているため。
左の雪の壁の上部からは、右に向かって糸を引くように雪が水平に流れる。
風速にすると何メートルになるのだろう。とにかく目も開けていられないような吹雪です。
でも、こんな吹雪の時でも除雪がなされ道路は自動車も走られる状態。
除雪機も無く、地下水による消雪設備も無い昔は、この三メートルも積った雪の上の道を、
砂漠の中を彷徨うように歩いていました。
本当に砂丘の砂が強風で動くがごとくに雪も動き、雪を踏みしめた道の形が横に動いてしまう。
道の形をしていて、固い道だと信じて踏み出した足が、道から外れた柔らかな雪に埋もれてしまう事さえ有った。
小学校三年生の時に、村の真ん中の家から、駅前の始めての民家として我が家が建てられた。
人が多く行き交わす村の中から外れ、駅前の我が家に向かう一本道になると、
ブリザード吹き荒ぶ北極のエスキモーの子供もかくやの姿で家の有る風上、北西方向に歩いたのでした。
先日、夜の集会の後に酒を酌み交わしながら吹雪く表が話題になった。
「最近は昔に比べ、吹雪の日が少なくなった」と言う話には、肯定の意見が多く有った。
なんだかそう言えば、昔は冬と言えば吹雪の日ばかりだったような気がする。
実際は、そんな事も無くて、深々と音も無く雪が降り続けることも有ったのであろう。
しかし、皆の脳裏に浮かぶのは恐ろしいほどの吹雪の日でしかないようだ。
駅前の新しい家に引っ越すまでの我が家は「千鳥破風」と呼ばれる作りの藁ぶきだった。
何処の家も、満足な外戸など無い時代でカヤを編んだ簾を立て掛けて玄関に入る吹雪を防いでいた。
家に出入りする際はねその簾の端をそっと押しのけて通っていたのです。
店の有る街まで汽車に乗って買い物に行くなんて望外の事で、一軒だけ有った村の店で、
そこに有るものだけを購って、後は漬け物などの保存食で冬を過ごしていたのであろう。
三月に入り、屋根に残った雪が溶けて萱吹きの屋根を伝って落ちる水を含んだ記憶もある。
なんだか、日向臭いような、なんだか懐かしいような味がしたっけなー。
さて、吹雪が続くとこんな晴れの日も、まれには出現します。
マックスかと思ったら、暖かさに誘われた妻が道端の雪を片づけ始めたようです。