29日の晩になって「明日は餅つきをしようか」「よし、搗こう」と言う事になった。
先ずはスベルべママがもち米を研ぎ、そのまま水を張って一晩置く事に。
朝になり、物すごーく古い「文化カマド」に火を入れます。
一昨年の水害時に水浸しにしてしまったけれども、幸いな事に壊れず元気に炎を見せてくれます。
二つ重ねの蒸篭はそれぞれ三升のもち米入り。
で、この辺りで大事な事を忘れていたことが発覚。
勢いよく、蒸篭から湯気が吹き出し始めます。
何を忘れていたかと言うと、姉の餅も一臼搗くと言う約束。
さー、明治25年製の欅の大臼の登場。
この辺りで、急遽もう三升のもち米を研ぎ、そして、吸水を速めるように温湯を入れて待つ。
この大臼の重い事、重い事。明治25年生まれと言う歴史の重さかなー。
いえ、横になった臼を立てる際には100キロ近いような重量感も感じます。
二回目には「ヨモギ餅」を搗いたので、臼を一度綺麗に洗いあげます。
そして、掛ける箕には懐かしい父の字が見える。丸に武の字は我が家の屋号「武右衛門」の略号。
以下、必死で搗いた場面はシャッターを押す人も無くて写真無し。
マックスにシャッターを押してもらったら良かったかな。これは「ヨモギ餅」の断面です。
結局、中断の時間が有り最後に終わったのは真っ暗闇の6時過ぎ。
臼と杵だけは、餅が乾くと落ちなくなってしまうので洗って、後は翌日回し。
午前中に「イチカラ畑」のリーダーが年越し蕎麦を届けてくれた。
そして、午後にはもう一人のメンバーで蕎麦打ちの名人が「蕎麦はもう届いたでしょうが、私の蕎麦も一口」と。
こんな打ち立ての蕎麦は大晦日まで待つ必要も有りません。
餅を搗き、疲れて空いた夕食のお腹にするすると収まった美味しい美味しい蕎麦でした。
「それでは、皆様今年はありがとうございました、良い年をお迎え下さい」