山頂よりも少し低い鞍部はなだらかな草付きらしく、雪は平均に積っている。
先を行く男性二人は、いずれも古希を迎えてお出でです。
しかし、右の男性は名だたる山の会のメンバーも一目も二目も置く正に山の鉄人。
いや、版画家としても知られ、多くの展覧会で入賞の常連となっていますから哲人かな。
私は後ろで妻と先輩の会話を聞いて驚いていました。
「最近、足の疲労感、山で疲れるって感覚が分かってきた」
「えっ、それじゃ今まで疲れるなんてことは無かったんですか?」
「うーん、無かったなー!」何て、さりげなく凄い事をおっしゃっています。
振り返ると、今登ってきた尾根道が日本海のこちら側に見えます。
海には佐渡も時折見えましたが、晴れから薄曇り状態で霞んでいました。
あの尾根道も、登り一方だったらまだ楽なのですが、登っては下り、
下っては登りの難コースでも有りましたね。
この鞍部から一下りして、また向こうに見える電波の中継塔に向かいます。
右手の日本海を見下ろす、見晴らしの良いところに石碑が設置されていました。
新潟県の山岳連盟の設立運営に尽力された「高頭仁兵衛」翁のレリーフが刻まれています。
ここまで来ると、東側の眼下には越後平野が広がります。
ここは、真下は弥彦村、そしてその向こうは燕市などだと思われます。
そして、はるか向こうには下越の山々が雪に輝いて見えました。
コースは大下りして、観光道路を横断して続く。
残雪を靴のかかとで滑ったりしながら急降下です。
さて、最後の一汗をかこうかと言うところです。
先行する女性二人をしり目に振り返ると、あの鉄人の姿が見当たらない。
もう一人の男性メンバーに尋ねると、「スケッチしているんだと思うよ」との事。
さすがに芸術家ですね、無駄口をききながら登る私とは心構えが違います。
後で聞いた話で補足ですが、先輩は今でも毎日トレーニングは欠かさないと言います。
ローマは一日にしてならず。と、同じで鉄人の足も一日にして成らずですね。
(続く)