次の訪れたのはシムクガマだ。
最初に行ったチビチリガマと対照的な存在である。
沖縄ではひろい地域で集団自決があったことが記録されている。
自分の中で最も、知っているのがチビチリガマでの出来事だ。
同じ読谷村の中にあり、両者は直線で800メートル余り離れているだけだ。
チビチリガマで集団自決が起きたのが4月2日だ。
一方シムクガマでは4月1にの時点で1000人もの避難民が脱出している。
この辺りはハプに注意だそうだ。 → Map
入り口付近の様子だ。ここからの総延長は2570mだそうだ。
1000人が入れるのだ。
1000人の仲間を説得した2人の碑
チビチリガマとの大きな違いは、英語ができるハワイからの帰国者である比嘉平治氏(屋号蒲恩納・当時72歳)と比嘉平三氏(屋号恩納・当時63歳)の2人がいたことだ。
アメリカ兵の出現に騒ぐ避難者たちを説得して投降へと導いたことだ。
読谷の波平地区では、命を救った二人の先輩に感謝の意をこめて洞窟内に記念碑を建立したのだ。
ここの訪問時に、海外からの観光客も来ていた。
この比嘉氏の碑をずっと見ていた。