ひめゆりの塔があったのが伊原第三外科壕である。
そこから車で2分と離れていない所に伊原第一外科壕がある。
随分と違う。
何がって人がいない。
この碑があったので場所が分かった。
戦跡の特徴だが,気温の高い時は草が茂っていてその姿を十分に見ることができないことがある。
大きな碑があったので,場所がすぐ分かったのだ。
ところで,伊原第三外科壕は地面の高さで目の前に穴が開いていた。
ここの穴(ガマ)はどこか・・・
「こっちだ。」
同行したY氏が先陣を切る。
碑の左手の方にどんどん吸い込まれていく。
その時にY氏が撮ったゆきたんくだ。
どれだけ深く降りていくのだろうか。
何かこの雰囲気はチビチリガマに似ているか。
あそこは階段が設けられていた。
そして地面の高さからみると深かった。
降りていくうちにガマの入り口が見えてきた。
鍾乳石が歯のように並んでいる下にガマが口を開けている。
ゆきたんくは体が大きいので入れないような穴に見えた。
まして閉所恐怖症である。
穴に近づいてみた。
この中に100人くらいを収容できる広い空間があるという。
・・・「ひめゆりの沖縄戦…伊波園子著」より
更に近づいてみる。
中は水蒸気が満ちているようだ。
1年を通して一定の温度であるはずだが,たくさんの人間が長い時間入っていたのなら中に環境はさぞ酷かったことだろう。
この中で砲弾の嵐を凌いでいたというのが実情で,実際に運ばれてくる負傷者の手当はキャリーオーバーだったという。
後に書く山城壕から伊原第一外科壕と伊原第三外科壕に分かれて来たひめゆり学徒も,第三外科壕の方はあの悲劇に逢うのだ。
カメラは構えたが,何かを考えてシャッターを押せずにいるゆきたんく。