慶良間チージ。
現在は那覇市おもろまち1丁目にある給水塔である。
安里(あさと)配水池公園とも言われている。
給水塔
おもろまちなんて、いい名前だなあ。
それが、今から遡ること72年前。
その場所で何があったか。
沖縄最大の激戦があったと言われている。
日本では慶良間チージ、米軍はシュガーローフ(アメリカ南部の菓子パン)と呼んでいた。
この給水塔の公園部分に行く。
給水塔の側面に階段がある。これを登った。
慶良間チージの解説があった。
戦跡の解説があった。沖縄戦における日本軍が陣地とした、首里防衛の西の要衝があったのだ。1945年5月12日から1週間のここでの攻防戦で、米軍は2662人の死傷者を出したのだ。
日本軍についてはこの尖塔に限った統計がないため明らかではないが、総統り死傷者が出たと思われる。
その中で印象的なのは、米軍が1,289名の戦闘疲労患者を出したことだ。
1000名以上の戦士が精神に異常をきたしてしまっのである。
そんな場所なのだが、現在では忘れ去られているような感じを受けた。
周囲を見渡しても、そんな戦時中の悲惨さを印象付けるものは残されていない。
平和だなぁ。
みんな忘れてしまうのだなぁ。
と思っていたら、目に入ったものがある。
塔婆があった。
これを見て、心が緩んだ。
誰か、お寺でちゃんと法事を受けて、塔婆を持ってきてくれる方がいたのだ。
まぁ、個人的なものなのか、おもろまちでやっているのかは分からない。
ただ、ここのことは忘れてはいけないだろう。