伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

旅の楽しみ353…首里城

2018-02-13 23:56:43 | 

戦争遺跡おたくだと思っていたゆきたんく。

青年時代にはほとんど勉強をしなかったツケがここに来て自分を苦しめている。

沖縄の観光名所である「首里城」について何も知らなかったのだ。


 


よく知られている風景。


 この写真を見て、首里城だということはゆきたんくにも分かった。

そして、今や世界遺産の仲間入りをしていることから建築物がそのまま残されていたと勝手に思っていたのである。

この首里城が、沖縄戦で米軍に完全に破壊されていたことを知らなったのだ。

そして観光名所にある建築物は復元だということ。

しかし、この歳になって知識が増えたことに喜びを感じているゆきたんくだ。

そう、歴史の資料として身につければ良いのである。

座喜味城跡は、実に古の香りを出してはいたが、見方を変えれば廃墟である。

気持を切り替えたゆきたんくであった。

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旅の楽しみ352…慶良間(けらま)チージ

2018-02-12 23:56:37 | 

慶良間チージ。

現在は那覇市おもろまち1丁目にある給水塔である。

安里(あさと)配水池公園とも言われている。



給水塔 


おもろまちなんて、いい名前だなあ。

それが、今から遡ること72年前。

その場所で何があったか。

沖縄最大の激戦があったと言われている。

日本では慶良間チージ、米軍はシュガーローフ(アメリカ南部の菓子パン)と呼んでいた。

この給水塔の公園部分に行く。



給水塔の側面に階段がある。これを登った。


慶良間チージの解説があった。


 戦跡の解説があった。沖縄戦における日本軍が陣地とした、首里防衛の西の要衝があったのだ。1945年5月12日から1週間のここでの攻防戦で、米軍は2662人の死傷者を出したのだ。

 日本軍についてはこの尖塔に限った統計がないため明らかではないが、総統り死傷者が出たと思われる。

 その中で印象的なのは、米軍が1,289名の戦闘疲労患者を出したことだ。

1000名以上の戦士が精神に異常をきたしてしまっのである。

 

そんな場所なのだが、現在では忘れ去られているような感じを受けた。

周囲を見渡しても、そんな戦時中の悲惨さを印象付けるものは残されていない。

平和だなぁ。

みんな忘れてしまうのだなぁ。

と思っていたら、目に入ったものがある。



塔婆があった。


これを見て、心が緩んだ。

誰か、お寺でちゃんと法事を受けて、塔婆を持ってきてくれる方がいたのだ。

まぁ、個人的なものなのか、おもろまちでやっているのかは分からない。

ただ、ここのことは忘れてはいけないだろう。

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旅の楽しみ351…牧港テラブのガマ

2018-02-11 23:17:11 | 

さて、またガマである。

今度は街中にあるやつだ。

実際には、このガマの周囲が都市化していったに過ぎない。

それは沖縄県浦添市にある。

ガマの中に御嶽がある珍しいガマである。

その名を牧港テラブのガマという。

テラブの意味は調べてみたけれど分からなかった。

地元では「ティランガマ」と呼ばれている。

能書きはゆきたんくが下手な文で書いてもしょうがない。

こちらをご覧いただこう。



このような解説はありがたい。


なんと、沖縄に来て源氏の名を聞くことになるとは思わなかった。

それにしても、その物語が地名にまでなるのであるから、このことは真実と思いたい気がする。



しっかりと名前の確認ができた。


中にある御嶽


何かの音に振り返り、入り口側階段を写した。



チビチリ、シムクに続いて3番目のガマ見学であるが、その規模の小ささに憩いの場としてのガマではないことが分かる。

事実、「琉球の進行における祭祀」をか行う施設ということだ。

閉所恐怖症のゆきたんくが入ることができたのはそのせいかもしれない。

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旅の楽しみ350…牧志公設市場・道頓堀

2018-02-10 23:46:37 | 

さて、昼飯をいただいたのは牧志公設市場の道頓堀だ。

夕食もここと決めていた。

国際通りの「あぐー豚専門店」や「ステーキハウス」の誘惑に勝ち、再び来た。

もうお腹がペコペコである。

まずはY氏と乾杯だ。

Y氏は古酒(クース―)、ゆきたんくはパイナップルジュースだ。



色が変に鮮やかでないところがいい。


 自然の甘味、自然の酸味、体に優しい味である。

まずは本場の豚角煮、ラフテーをいただく。



丁寧な造りのラフテー


 かつての長寿国沖縄を作ったのがこの豚肉料理だと言っても良いだろう。

噛みしめるほどに旨い。

健康の元を体に取り入れるがごとく、よーく噛んでいただく。

次はトンカツである。



これは・・・


 あぶらが甘い、口の中でスッと溶ける。

しっかりと揚がっているのだが、サッパリとした風味だ。

豚肉ってこんなにも美味しかったのかと思える一品。



ポーク玉子も好き。


 そしてこれは忘れてはならない。

ポーク玉子である。

沖縄の家庭料理の1つである。

ポーク(ランチョンミート)と玉子を一緒に食べるとその旨いこと。

ご飯で進んでしまう味だ。

そしてこの他にも鬼のように注文した。

Y氏が注文した天ぷら3種盛り。

「紅しょうが」、「もずく」、「島らっきょう」を揚げてある。

これもここでしか食せない味である。



天ぷら三種盛り。


 これらの他にも、豆腐よう、チャーハンと頼んで、二人で全部たいらげてしまった。

まだまだ現役を感じたゆきたんくたちである。

まぁ、歳を考え「胃袋格闘技」は年に1~2回にしておかないとね。

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旅の楽しみ349…国際通り

2018-02-09 23:24:28 | 

未知の県、沖縄。

これは沖縄だと認識できる言葉は、「アメリカ軍基地」、「ちんすこう」、「三線…ジャミセン」、「国際通り」くらいのものだった。

その通りもテレビから聞こえてくる時に、「~通り」と言っても県が特定できないのだが、「国際通り」と言えば沖縄県だと思っていた。

戦後の焼け野原から沖縄最大の繁華街に発展した通りである。

そこを歩くことができる。

夕食もここを通って市場でいただく。

後で分かったが、昼食時に市場に行く時に車で通っていたのだ。



この時は国際通りだという認識がなかった。


 さて、国際通りはホテルのある県庁側から入る。

まずは、シーサーさんである。



神社の参道のごとく、通りの左右にシーサーさんがいる。


 何よりも犬が苦手にゆきたんくが、シーサーは平気であった。

人通りの多いこと。

そして目を奪われる店舗も多いこと。

その中でベスト3を上げてみたいと思う。



第3位、お菓子屋さんである。その名も「お菓子御殿」


第2位、おきなわ屋さんのシーサー


第1位、あぐー豚さんは今度行った時の宿題である。


 どこででも見れるものではない。

沖縄ならではのベスト3だ。

今度行った時には、また別のものが目に入るだろう。

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旅の楽しみ348…座喜味城(ざきみじょう)跡

2018-02-08 23:58:25 | 

読谷村のガマを2つ紹介した。

もともとガマ(鍾乳洞)は地元民の憩いの場所であった。

冬は暖かく、夏は涼しいという年間を通じて一定の温度だという。

さて、読谷村で最後に訪れたのは座喜味城跡である。

ユネスコに登録された世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)である。

このグスクの沿革について、ネットで拾った方が正確である。

ここでゆきたんくが書かない方が良いね。

見て驚いたのは、石垣のフォルムの美しさ。

日本の城の石垣とは積み方が違うようだ。



二の郭(にのかく)の石垣の様子


 美しいが、構築学的には堅牢に思える。

大きく分けて「一の郭」と「二の郭」の二つの部分に分かれる。

一の郭には本殿の礎石が残されている。

二の郭には何があったのかは分からない。

現在はここを使って演劇などが行われているという。

舞台としては素敵な装置である。

また、一の郭城壁からの見晴らしの良さ。



パノラマ写真


遠くの方には海が見える。
 


 学問的には軍事拠点として造られたとは考えられてはいないという。

また「聖域」「集落」「城館」のどれかというような説がある。

13~14世紀辺りに築城されて、200年ほどで廃城になっているグスクがほとんどである。

そうなると説の解明は難しいだろう。

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旅の楽しみ347…シムクガマ

2018-02-07 23:58:02 | 

次の訪れたのはシムクガマだ。

最初に行ったチビチリガマと対照的な存在である。

沖縄ではひろい地域で集団自決があったことが記録されている。

自分の中で最も、知っているのがチビチリガマでの出来事だ。

同じ読谷村の中にあり、両者は直線で800メートル余り離れているだけだ。

チビチリガマで集団自決が起きたのが4月2日だ。

一方シムクガマでは4月1にの時点で1000人もの避難民が脱出している。



この辺りはハプに注意だそうだ。 → Map


入り口付近の様子だ。ここからの総延長は2570mだそうだ。


1000人が入れるのだ。


1000人の仲間を説得した2人の碑


 チビチリガマとの大きな違いは、英語ができるハワイからの帰国者である比嘉平治氏(屋号蒲恩納・当時72歳)と比嘉平三氏(屋号恩納・当時63歳)の2人がいたことだ。

アメリカ兵の出現に騒ぐ避難者たちを説得して投降へと導いたことだ。

読谷の波平地区では、命を救った二人の先輩に感謝の意をこめて洞窟内に記念碑を建立したのだ。

ここの訪問時に、海外からの観光客も来ていた。

この比嘉氏の碑をずっと見ていた。

 

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旅の楽しみ346…高志保

2018-02-06 23:08:17 | 

チビチリガマの駐車場近くから西方を見る。

海面が日光を反射して眩しい。

こんなに広い面積で眩しさを味わったのは初めてだ。

 

チビチリガマから足を西に伸ばした。

読谷の西岸は高志保と呼ばれる地域だ。

近くで海が見たかったのだ。



チビチリガマの駐車場近くから見た海。太陽が反射している。


 車に乗って、西に進む。

ホテルやらスポーツジムやら過ぎて、海の見える場所に来た。

ありがたいことに車道がある。

海岸線に沿って平行とまではいかないが、車道がずっと伸びている。

1993年のNHK大河ドラマ「琉球の風」のロケ地近くである。

17世紀初頭の琉球王国のが舞台のドラマである。

と格好良く書いたが、自分はそれを見た覚えがない。

帰宅後、地図を調べていて知ったのに過ぎないのだ。

予習が足りなかった訳である。

ゆっくりと走り、海の青が綺麗な場所で降りる。



綺麗だよなぁ。2色に分かれているのは、海底の深さのためだろうか・・・


 友人によると、この青は、空の青を映しているのだとか。

海自体が光ることはないので、そうだろうなぁと思う。

仕組みはどうでもいい。

こんな海が見たかったのだ。

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旅の楽しみ345…チビチリガマ

2018-02-05 23:16:49 | 

さて、ゆきたんくにリアルな情報を取材する暇のない時は「旅の楽しみ」など過去の情報の活用をする。

よって、この沖縄旅行は非常に有難いネタなのである。

また、しばらくお付き合いのほどを・・・

 

今日は、牧志公設市場で腹を満たした後に尋ねたチビチリガマ。

時は2017年9月末日。

すでに3か月前には訪問を決めていた。

そんな時にチビチリガマのニュースが流れた。

9月15日ごろだったろうか。

この場所が肝試しに使われて、器物破損等で少年4人が逮捕されたということ。

まあ、知っている歴史から言って肝試しをする場所ではないとは思う。

なぜ、そんなことが起こったのか。

十分な教育がなされていないことが大きいだろうと思う。

日本人は近代史について、学校では部分的にしか知ることができない。

自分の国について、自分の住んでいる地域についてどんな歴史があるのかを語れる人も減ってきた。

伝えるソースも薄っぺらい。

そんな状況だろう。

もちろん、ゆきたんくもその一人に過ぎない。

だから、その場所に行く。

予習をして興味を広げてから旅をすることが増えてきた。

チビチリガマの歴史については、詳しく書いてあるサイトがたくさんあるからそちらを見ていただく方が分かりやすいと思う。



真ん中の穴(ガマ)がチビチリガマ。この奥に集団自決された方々の骨がある。


 集団自決時の死因は、親族による包丁で首を刺したり自分で刺したりしたものがほとんどだという。

自決された方々は、絶望して他に取る方法がなかったのだろう。
元日本兵が布団に火を付けたことで炎と煙がガマ内に充満し、ガマの外に逃げて助かった方々もいたという。

自決者の遺骨が眠るガマの右には「平和の像」と名付けられたモニュメントが造られている。

琵琶を弾く法師様が、集団自決により苦しんでいる霊たちを慰めるように見える。
像の下には沖縄の住居構築の特色を生かした石の家があるように見える。

自分はここで起きた事実を今一つ踏み込んで勉強する必要があると思う。

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旅の楽しみ344…沖縄。

2018-02-04 23:52:36 | 言いたんく

さて、初めての沖縄。

食べ物の投稿をするのでお題を「旅の楽しみ」に戻した。

初めて行った沖縄で、初めて食すものは。

決めていた。

ソーキそばに決めていた。

沖縄そばに乗っている三枚肉の代わりに軟骨のついたあばら肉が乗っているやつだ。

お値段も500円。

お店のレベルもそれで分かるだろうなぁとの乗りでいただいた。



ソーキそば(牧志公設市場内・道頓堀にて) →  Map 


 薄味だが、豊かな味の出汁。

あばらから剥がれている肉は柔らかく、口の中でとろける。

蒲鉾は、これはしっかりとつくられたものでうま味調味料の雑味などはいっさいない。

麺も女房が沖縄に行った時に買ってきてくれたそばそのものだ。

近くのラーメン屋で平打ちちぢれ麺を出していたが、個性的だと思っていたが、この麺だということも認識した。

ワンコインで十分な満足を得たゆきんたくとY氏は、夕飯もここ「道頓堀」と決めた。

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悲しいな。

2018-02-03 23:28:47 | 言いたんく

長男の誕生日はFBのタイムラインに載せた。

うん、楽しい誕生会だったな。

もっとも、次男のつっくんは仕事があったので深夜参戦だったけれどね。

長男は今日は泊っていくという。

少し話ができるかなと思っていた。

すると電話が・・・

職場の窓ガラスが割られたとのこと。

すぐ職場に向かう。


 


あーあ。


 警察が来て現場検証。

終わったのは午前3時。

息子とは翌日の朝話ができた。

ただ、朝から歯医者の予約があったそうで、少しの時間ね。

タイミング悪いね(´;ω;`)ウゥゥ

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嬉しいな。

2018-02-02 23:22:23 | 言いたんく

今日はうきうき。

明日は長男の誕生日。

一人暮らしをしている長男が来て久しぶりにゆきたんく一家が揃う。

まぁ、他で約束事がないのだろうかと思いながら・・・



20年前のゆきたんく一家。


 そう言えば4人で写真を撮ってないねぇ。

 

 

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リベンジの月がやってきた。

2018-02-01 23:03:08 | 言いたんく

さて、3度目の正直という言葉がある。

 今までの人生でも一所懸命に3度チャレンジしてだめだったらあっさりとしていたゆきたんくである。

 今回人生で初めて4度目のチャレンジをする。

これだ。



立山連峰だ。(雨晴駅内のポスター)


 1回目、2回目は勉強不足でだめ。

もっとも立山連峰が目当てだった訳ではない。

1回目は旅行で、たまたま立ち寄った雨晴海岸で、「立山連峰」なるものの存在を知った。

2回目はツアーで立ち寄った雨晴海岸で、ガイドさんが「今日は見えませんねぇ。」と言っていた言葉が頭にあった。

3回目は少し勉強をして狙った。

それこそ3度目の正直であった。

冬の空気の澄んでいる時期に行くと。

昨年12月末のことである。

爆弾低気圧により、空は不機嫌だった。



女岩の向こうは灰色の世界(雨晴駅のホームから) → Map


 もっともその1年前の12月には軍艦島を狙った。

台風の来ない冬なら、多少海が荒れていて上陸できるかなと思った。

見事に12月26日に、なんと台風26号がやってきて船も出なかった。

さぁ、地元の人が言っていた「2月が一番見えるかな。地元の人間でもそう見られる日は少ないからねぇ。」

ということで2月を迎えた。

ますます仕事を頑張り、リベンジに備えるゆきたんくである。

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