梨木 香歩 著 角川書店。
百年前、大学で考古学の講師をする村田君が日本国の代表として土耳古(トルコ)に留学している間の滞在記。
「エフェンディ」というのは、おもに学問を修めた人物に対する一種の敬称で、下宿先の家の使用人ムハマンドが名前につけてそう彼を呼ぶ。
この下宿。
主人は英国人のディクソン夫人。使用人のムハマンドは土耳古人。村田は日本人。そして考古学者のオットーは独逸(ドイツ)人、発掘物の調査に当たる研究家ディミトリスは希臘(ギリシア)人と、多国籍の下宿。否応なく、梨木さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」を思い浮かべる。
そして、ムハマンドに道で拾われる鸚鵡(オウム) の話から滞在記は始まる。
異国の人々の集うことの楽しさ。奥深さ。複雑さ。
国家、宗教を乗り越えられる『個』の力。
そして、抗うことのできない『時代』の悲しみ。
そこここにそんなものが見え隠れするお話のように思った。
時の流れ。時代の変化。それは否応なく、この多国籍なディクソン夫人の下宿にも押し寄せ、土耳古を離れた後の村田もその中で悲しむことになる。
その全ての流れを「鸚鵡」が見つめる。不思議な目をした不思議な鳥。話の中心にいるわけではないのに、なぜか彼(でいいのかな?彼女かな?)がこの物語をまとめる、つなぎとめる役割なのだと、涙で読み終わった後そう考える。
ところどころに出てくる神々の気配は、「家守綺譚」の雰囲気を思い出す。綿貫と高堂も終わりのほうで顔を出しているし、あちらのお話にそういえば村田氏もちらっと出ていたっけ。
全体にどこか陰の印象のある今回の物語のなかで、2階の屋根裏(??)を大騒ぎで駆け回る八百万の神々のくだりは、私にはちょっとほっとするものでもあった。
梨木作品は、いつも非常にエネルギーを必要として、一気に読めなかったり、読む前にとても「覚悟」が必要だったりするのだが、それは、私の中に隠れる様々な感情を読み終わった後に引っ張り出されるからなのかもしれない。
百年前、大学で考古学の講師をする村田君が日本国の代表として土耳古(トルコ)に留学している間の滞在記。
「エフェンディ」というのは、おもに学問を修めた人物に対する一種の敬称で、下宿先の家の使用人ムハマンドが名前につけてそう彼を呼ぶ。
この下宿。
主人は英国人のディクソン夫人。使用人のムハマンドは土耳古人。村田は日本人。そして考古学者のオットーは独逸(ドイツ)人、発掘物の調査に当たる研究家ディミトリスは希臘(ギリシア)人と、多国籍の下宿。否応なく、梨木さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」を思い浮かべる。
そして、ムハマンドに道で拾われる鸚鵡(オウム) の話から滞在記は始まる。
異国の人々の集うことの楽しさ。奥深さ。複雑さ。
国家、宗教を乗り越えられる『個』の力。
そして、抗うことのできない『時代』の悲しみ。
そこここにそんなものが見え隠れするお話のように思った。
時の流れ。時代の変化。それは否応なく、この多国籍なディクソン夫人の下宿にも押し寄せ、土耳古を離れた後の村田もその中で悲しむことになる。
その全ての流れを「鸚鵡」が見つめる。不思議な目をした不思議な鳥。話の中心にいるわけではないのに、なぜか彼(でいいのかな?彼女かな?)がこの物語をまとめる、つなぎとめる役割なのだと、涙で読み終わった後そう考える。
ところどころに出てくる神々の気配は、「家守綺譚」の雰囲気を思い出す。綿貫と高堂も終わりのほうで顔を出しているし、あちらのお話にそういえば村田氏もちらっと出ていたっけ。
全体にどこか陰の印象のある今回の物語のなかで、2階の屋根裏(??)を大騒ぎで駆け回る八百万の神々のくだりは、私にはちょっとほっとするものでもあった。
梨木作品は、いつも非常にエネルギーを必要として、一気に読めなかったり、読む前にとても「覚悟」が必要だったりするのだが、それは、私の中に隠れる様々な感情を読み終わった後に引っ張り出されるからなのかもしれない。
いつの話にでも投稿大歓迎ですよ。うれしいです♪
『エフェンディ』は、かなり重い部類にはいるお話。ずっしりと読み応えがありますので、是非手にしてくださいね。
最近は文庫化も何冊かされてますし、手元にも一冊いかがですか?(って、本屋さんのマワシモノみたいですねー。ちがいますよ~~/笑)あ、でも『家守綺譚』はハードカバーで手にしてほしいかな。装丁も素敵だし・・私の中でも1.2を争う大好きな作品です。
最近は梨木さんの絵本を物色中。何冊かは図書館にも置いてあるみたいですから、もし気づかれたら手にしてみてください。いいですよー!
梨木さんの本って結構あるんですね。
図書館で探してもなかなか種類が無くって…
収納スペースが確保できないので買ってはいません。
『家守綺譚』は大好きでいつか買いたいと思っているのですけどね。
この本には綿貫と高堂が出ているんですか!それは読まなくては。
舞台がトルコなんですね。
手元に本が無いので確認できないけれど確か”からくりからくさ”でも中央アジアの国に行ってる人出てきましたよね。
今まで読んだ本を読み返して見たくなりました。
図書館に行かねば。
ふふふ。
おもしろいですよ。新刊。引き込まれてますよ~~!!って、まだ導入部だけれど、、、いい!
早く連絡くるといいですね!
鸚鵡。
も、ラストはほんとに切なくなりました。このお話は。ううう、、以下ちょっとネタバレ、、
しゃべらない鸚鵡。彼は一体どれだけのものをその瞳に写してきたんでしょう。そして、村田の前でしゃべったとき、いったいどんなことを感じていたのでしょう。。あの家で迎えた村田と迎えられた鸚鵡。その後を少しは癒される時間、持てたのでしょうか。。
時の流れを考えると、益々切なくなってしまいます。
鸚鵡ナシには語れません。
泣きましたか。
泣きますよね。
>私の中に隠れる様々な感情を読み終わった後に引っ張り出されるからなのかもしれない
梨木さんの本を読んだ後は、なにがしかの感情の発露があって、それを整理するのは一仕事なんですよね。
ご苦労様でした。
って、新作読み始めたんですって!
さっきメールチェックしていたら、図書館からお知らせが・・・
梨木さんの新作かと小躍りしたら、「それゆけ、ジーヴス」だった。
いえ、ジーヴスも待っていました、だけどさ、ちょっとがっかり。