佐伯 泰英 著
双葉文庫
居眠り磐音最新巻。
諸々あって初読からすぐに感想がUPできず。
だったらもう1回読みましょか、と、再読。
だから。
今回は新鮮さはないかな?
でも落ち着きは、あるかな?
なにしろ、再読して初めて気付くことも多々あるのが私の本の読み方なので…。
ネタバレありです。
今更かな?とは思いますが未読の方は以下、くれぐれもご注意くださいませ
。
では、いきます。
正直。驚いた。
初読から一変、こんなに物語に対して印象が変わった再読って最近ないかもしれない。
最新巻がでて早速読んだとき感じた感想は、「ああ、よかった」
ここの所の逼塞して息が詰まるような展開から一変。
懐かしい浪人さん時代の生活と雰囲気がそこかしこに感じられて、安心感と共に読み終わった。
そして、再読した今。
もちろん、懐かしい感覚と安心する穏やかさを感じたことは変わらない。
ただ。
そこからもう一歩?
ちょっと改めて考えたことを書いてみる。
坂崎磐音から佐々木磐音。そしてまた坂崎磐音に戻った彼。
彼の中の時間の流れを感じた、というのだろうか。
外側の変化は当然だけれど彼自身の内側の変化・・・・・成長?
拝領の羽織を巡るいざこざから尾州茶屋と繋がり尾張藩とつながり。
藩道場に出入するくだりなどは、もう、これが磐音さんの一番の幸せなんじゃないか?
って思うくらいほっとするし懐かしい。
そんな中。
尾州茶屋から請け負った用心棒の仕事。
木曽檜をめぐる事件への関与とその中で敵味方となった薩摩示現流南郷十衛門との戦い方が。
今回、ひどく印象に残る。
微動だにせず(と、見える)相手を倒す。
それは、師であり義父でもある玲圓先生から学んだ教えに、今までの自分の技の全てをかけた戦い方で。
それがまた、磐音を更に剣の道の高みに引き上げることにもなった模様。
尾張藩道場で刀を交える馬飼藤八郎に「なんだか、以前の清水どのとは様子が違う」と言わせる。
それが、すごいとも思うけれど切なくもあり。
強く。更に強く。剣の道はひたすらに高みを目指す。
同時に。
たとえ本人がそう望まなくても命のやり取りになることもまた、避けられない。
南郷十衛門との戦いの概要を知った尾張藩両家年寄竹腰忠親に「反撃しなかったこと」を質された磐音は、
「勝負の窮極は死に非ず、と心得ます」
と言い切る。
それに対して竹腰が相手にとっては恨みを残したかもしれないといわれても、
「迂闊」と認めつつ「再び相対しても同じ戦いを繰り返す。無益な血は流さないと心得ていきたい」、と自分の考えを貫く。
結局、二度目の戦いは南郷を死出の旅路に着かせ、磐音は長い長い黙祷をするのだけれど・・・・・、
それでも。
家基をめぐる血で血を洗う争いごと。
義父、義母を殉死させ、また自らも命を狙われる日々。
そんな中で貫き通す磐音自らの意思。
それをここまではっきりと強く感じたことは今までになかった。
江戸での激動の波を乗り越えたからこそ、今、改めて強く響く坂崎磐音の信念なのだろう。
江戸の人々の動きとか金兵衛さんの復活(笑)とか、感じることは沢山あるのだけれど、
そういうことを置いておいて。
再読で思った。
坂崎から佐々木、そしてまた坂崎に戻った磐音という人物は一回りもふた周りも大きくなってこの先を更に前に向かって・・・・・生きていくのだろう。
沢山の生と死を身にまとって、それでも真っ直ぐに信じた道を。(かなり感傷的かな。)
時代小説は、兎角同じことの繰り返しといわれる。
今回だって、出来事の諸々に正直新鮮さはない。
けれど。
その中に生きる人々は確実に成長し変わっていく。
それをこんなに新鮮に感じられたこと。
それが今回一番の収穫かもしれない。
(ま、考えてみれば当然のことなんだろうけれど、なんだか磐音って言う人は最初から悟っていて成長していく人物に思えなかったんだよね。未熟者です。私・・・・・)
本を抱きしめたくなること、度々。
そんなこんなで最後まで読み終えて。
それでも、もう少しだけ。
このゆったりと落ち着いた(と見える)日々を過ごさせてあげてほしい・・・・・
そう願って、祈って。
本を閉じた。