夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我ら夫婦は、風変わりなカップルかしら、と思いながらも・・。

2010-04-04 16:03:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
私達夫婦は子供に恵まれず家内と2人だけの家庭であり、
古惚けた築後33年の一軒屋に住んでいる。

私は東京オリンピツクが開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
アルバイトをしながら映画・文学青年の真似事をしたが、
30代の頃に妻子を養なって家庭生活を思い浮かべると、とても過ごす自信もなく、あえなく挫折した。

やむえず人生軌道を修正し、民間会社は新卒が最優先の時代であったので、
中途入社するひとつの手段としてコンピュータの専門学校に一年間学び、
ある大手会社に何とか中途入社ができたのは、1970(昭和45)年の春で25歳の時であった。

その後まもなくしてあるレコード会社に転籍させられ、
管理畑を35年近く勤めて、定年退職を迎えたのは2004(平成16)年の晩秋であった。


この間、家内と結婚したのは1976(昭和51)年の春であり、
数多くのサラリーマンと同様に多忙な時を過ごし、私なりに奮闘したりした。
そして現役の最後の5年間は、リストラ旋風の中、私も出向となった。

こうした中で、1977(昭和53)年の春に一戸建てを構えた時、
家内は中学生の頃から茶事を学んでいたので、
私は若さの勢いで茶室を母屋の一室に設けてしまったのである。
そして私は初期の想定以上に借金となり、ローン返済に苦闘していた時、
家内はパート、契約社員などで5年ぐらい援軍となった後、専業主婦となった。

私達は子供に恵まれかったせいか、私がたとえ深夜に帰宅しても、
殆ど毎晩、お互いの本日の出来事を素直に語りあったりした。

たとえば私の勤務している業務でも、悪戦苦闘している状況まで私は家内に云ったりしたので、
ストレス解消となり、何とか職場上でも微笑を浮かべながらも精勤できたのである。


このような私は定年退職後はサラリーマンを卒業し、年金生活を始めて、
日常の買物を担当し、ときおり家の外回りの掃除と庭の手入れているだけである。
平素の大半は随筆、近代史、ノンフェクションなどの読書することが多く、
居間で映画の作品を観賞したり、音楽を聴いたりし、
私は文章を綴ることも好きなので、このサイトに投稿をしている。
そして家内の長き専業主婦の習性もあるので、私は独りで散策をしたりしている。


家内は家の内部の洗濯、掃除、そして料理などをしているが、
家内の方が負担が多いので、私は茶坊主とったりしている。

1年の大半は私の方が目覚めるのが早いので、
コーヒーと牛乳をそれぞれのマグカップに淹れて、家内の枕元に置く。
日中のひとときは、コーヒー好きな家内に、さりげなくコーヒーを淹れたりする。


家内は血液型がA型のせいか、
私から見れば掃除、洗濯、料理などを完璧にするタイプである。

私はB型の血液らしく、何事もアバウトであるが、
好きな事に関しては寝食を忘れて平気なタイプでもある。

私達は互いの趣味の世界には、介入せず尊重している。
私達は、いずれどちらかが独り身となった時、趣味の世界があれば、と思っているのである。


共通の趣味は国内旅行であるが、こうした時は共にする時間が多いので、
多少の差異があったりする。
たとえば家内は動物などに興味があるが、
私は植物の四季折々の樹木に心を寄せたりすることが圧倒的に多いのである。

過日、家内はザトウクジラが遊泳しているところを観たいわ、と発想の元で、
小笠原諸島の父島に11泊12日間の旅行中、
3日間ほどクジラウォッヂングの遊覧船で家内はクジラを見掛けて歓声を上げたりしていたが、
私は一度観れば充分と思ったりしたが、たとえ寝食を共にした間柄といえども、
人生は妥協も必要であると思いながら、海上から観える陸上の景観を眺めることが多かったのである。

或いは旅先で、和菓子屋で煎茶か抹茶を頂きながら、
その地の銘菓を味わうのが家内の趣味のひとつであるが、
私はお供をしながら、その地の文化のひとつを享受したりしている。

私は居酒屋が好きなので、地酒を呑みながら、その地の食べ物を頂だき、
旅先の風土に思い馳(はせ)せながら、まぎれない文化のひとつである、
と家内に話しかけたりしている。

『XXちゃんさぁ・・先ほどの料理・・イマイチであるが、
これは絶品だょ・・奥が深いょ・・』
と私は家内に云ったりしている。

家内は、私の独断と偏見の悪い癖がはじまったわ、と苦笑している。

こうした風変わりなカップルも35年ばかりの歳月が流れている。





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ふたたび、私が特に険悪する言葉は・・!?

2010-04-04 07:39:32 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ10数年、新聞、雑誌、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉がある。

何より困るのは、NHKのテレビ番組に於いて出演された30、40代の麗(うるわ)しき女性、
そして小奇麗な女性キャスターの方さえ使ったりすると、
容姿に似合わず蓮っ葉な言葉で使うので、程度の低い人、と感じてしまうのである。


『はまる』

若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも40歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。

この言葉は、江戸時代以来の男女間の性愛の中での会話のひとつかしら、と私は思っている。

☆夢中になっている

☆無我夢中になっている

☆熱中している

☆熱愛している

少なくともこの程度の言葉を大人と自覚される方には、使って頂きたい、と思っている。

反論されるお方は、流行している言葉を使わないと、
時流から取り残されると危惧し、あえて使っている方も見られる。

日常の言葉は時代を移す鑑(かがみ)と称されているが、
日本の古来より美しい言葉があり、日常生活の基本は、さりげない会話から成り立っているのに、
余りにも粗末にしていると感じるのである。


『ムカツク』

この表現も険悪する。
このような言葉を口にだしたら、相手のお方は・・
こうした心情を思えば、少なくとも大人と思う人は使えないはずである。

私の現役のサラリーマン時代、職場で若い方が使っていて、
私は感性の乏しい人、人格形成の薄さを感じてしまったのである。


私の幼児の頃、農家で育ったのであるが、言葉が乱暴であったりした時、
祖父、父はもとより、近所の小父さん、小母さんから叱咤を受けたりした。

『その言いかたは何だ・・言葉を粗末にするなぁ・・』
と私はたとえ5歳の幼児であっても、小突(こづ)かれたりしてきた・・。

私は言葉ひとつとっても、貧富さとか社会の地位とかは関係なく、
そのお方の人格を表わす、と確信している。


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