私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
ここ10数年、偶然に新聞、雑誌で拝読したり、テレビなどの放送に出演されたし拝見すると、
齢ばかり重ねた私は、うっとりと見惚(みと)れたり、やはりこのお方の心は澄み切っていると感心させられる。
こうした人こそ、まぎない美麗な女性と感じたりし、
昨今の女優、歌い手の方たちでも、とてもこのお方の前では、刃が立たないと私なりに確信を深めたりしている。
私は若き頃に映画青年の真似事をしたした時に、撮影所で女優さんの50数人をお逢いでき、
言葉を交わしたりした。
その後、たまたまレコード会社に35年ばかり勤めて、数多くの女性歌手を見たりする機会が多かったのであるが、
今の私にとってのあこがれの女性は、俳人の黛まどかさんである。
秘かにあこがれの人と思いながら10数年が過ぎているが、
私は無念ながら短歌や俳句を詠む素養がなく、やむえず多くの方が詠めれたのを拝読する拙(つたな)いひとりである・・。
過日、このお方が綴られた随筆を拝読すると、更に素敵な方であると思いながら、三度ばかり読み返したりしたのである。
この随筆は、総合月刊雑誌のひとつに『文藝春秋』があり、
この中の広告の中で、薩摩焼酎と名高い『白波』が掲載されて折、
《ここに、日本人のスピリットがある》
と宣伝文の主軸に対応して、黛まどかさんが『日本人のスピリット』と題して、
三月号より連載されている。
そして二回目の四月号を拝読後、たぐいまれな感性で綴られた随筆に、私は敬愛を増したのである。
無断であるが、この随筆を引用させて頂く。
《
『日本人のスピリット』 二
日本人のDNAに刻み込まれた五・七・五の内在律
私が俳句を詠み始めたのは案外遅く、二十歳を過ぎてからであった。
たまたま手にした俳人・杉田久女の評伝小説を読んで感銘を受け、
一人の女性の人生を変えるほどの俳句とはどんなものかと興味を持ったのである。
俳人の父を持った私は、句会でいい大人が喧嘩腰で議論しているのを襖越しに聞きながら、
んて大人げないのだろうと思ったものである。
小学生の私にとって俳句とは年寄りのものであり、自分の表現手段になり得るとは思えなかった。
今となっては句会で激論にる理由もよく分かるし、知らない間に影響を受けていたのかも知れない。
俳人の親を持たずとも、日本人は先天的に俳句の資質を持っている。
あらゆる表現形式の中で、俳句は助走がいらない稀有な文学である。
長く苦しい基礎練習や助走なしに、誰でもいきなり作句することができるし、観賞もすることもできる。
(略)
最近は幼稚園で俳句を教えるところも多く、子どもたちはいとも簡単に五・七・五の句を作る。
内容は他愛のいことかもしれないが、五・七・五の言葉のリズムは、
内在律としての日本人の身体に刻み込まれているのである。
また、俳句のもう一つの決まり事である季語も、私たちの暮らしに溢れている。
春になれば雛を飾り、桜を愛で、草餅を食べて、春の訪れを五感で享受する。
俳句のルールである「有季定型」は、生まれた瞬間から私たち日本人のDNAに受け継がれているのだ。
我々日本人同士なら多くを語らずとも、察し合うことで互いに理解することができる。
(略)
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
私が黛まどかさんに決定的に魅了されたのは、
ご自身が2001年が過ぎた頃、韓国の釜山からソウルまでの長い500キロの道のりを詠み歩いたことであり、
何かの雑誌で知り、私は驚きながら、瞬時に惚れこんでしまったのである。
たまたま、黛まどかさんの公式ホームページが掲載されていたのであるが、
残念ながらリニューアル準備中であり、
代わりとして、朝日新聞社にインタビューを受けた2007年5月21日の時、
http://doraku.asahi.com/hito/interview/html/070525.html
☆ 朝日新聞社 『どらく』インタビュー 記事 ☆
そして最近の2010年3月23日に於いて、毎日新聞愛読者の広場の中で、
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/shashinbu59/details.php?blog_id=117
☆ 毎日新聞社 毎日新聞愛読者の広場 ☆
このような心の思いなどを発露され、最近のお姿も、私にとっては高嶺のあこがれの人である、
とため息ばかり重ねている。
href="http://www.blogmura.com/">
ここ10数年、偶然に新聞、雑誌で拝読したり、テレビなどの放送に出演されたし拝見すると、
齢ばかり重ねた私は、うっとりと見惚(みと)れたり、やはりこのお方の心は澄み切っていると感心させられる。
こうした人こそ、まぎない美麗な女性と感じたりし、
昨今の女優、歌い手の方たちでも、とてもこのお方の前では、刃が立たないと私なりに確信を深めたりしている。
私は若き頃に映画青年の真似事をしたした時に、撮影所で女優さんの50数人をお逢いでき、
言葉を交わしたりした。
その後、たまたまレコード会社に35年ばかり勤めて、数多くの女性歌手を見たりする機会が多かったのであるが、
今の私にとってのあこがれの女性は、俳人の黛まどかさんである。
秘かにあこがれの人と思いながら10数年が過ぎているが、
私は無念ながら短歌や俳句を詠む素養がなく、やむえず多くの方が詠めれたのを拝読する拙(つたな)いひとりである・・。
過日、このお方が綴られた随筆を拝読すると、更に素敵な方であると思いながら、三度ばかり読み返したりしたのである。
この随筆は、総合月刊雑誌のひとつに『文藝春秋』があり、
この中の広告の中で、薩摩焼酎と名高い『白波』が掲載されて折、
《ここに、日本人のスピリットがある》
と宣伝文の主軸に対応して、黛まどかさんが『日本人のスピリット』と題して、
三月号より連載されている。
そして二回目の四月号を拝読後、たぐいまれな感性で綴られた随筆に、私は敬愛を増したのである。
無断であるが、この随筆を引用させて頂く。
《
『日本人のスピリット』 二
日本人のDNAに刻み込まれた五・七・五の内在律
私が俳句を詠み始めたのは案外遅く、二十歳を過ぎてからであった。
たまたま手にした俳人・杉田久女の評伝小説を読んで感銘を受け、
一人の女性の人生を変えるほどの俳句とはどんなものかと興味を持ったのである。
俳人の父を持った私は、句会でいい大人が喧嘩腰で議論しているのを襖越しに聞きながら、
んて大人げないのだろうと思ったものである。
小学生の私にとって俳句とは年寄りのものであり、自分の表現手段になり得るとは思えなかった。
今となっては句会で激論にる理由もよく分かるし、知らない間に影響を受けていたのかも知れない。
俳人の親を持たずとも、日本人は先天的に俳句の資質を持っている。
あらゆる表現形式の中で、俳句は助走がいらない稀有な文学である。
長く苦しい基礎練習や助走なしに、誰でもいきなり作句することができるし、観賞もすることもできる。
(略)
最近は幼稚園で俳句を教えるところも多く、子どもたちはいとも簡単に五・七・五の句を作る。
内容は他愛のいことかもしれないが、五・七・五の言葉のリズムは、
内在律としての日本人の身体に刻み込まれているのである。
また、俳句のもう一つの決まり事である季語も、私たちの暮らしに溢れている。
春になれば雛を飾り、桜を愛で、草餅を食べて、春の訪れを五感で享受する。
俳句のルールである「有季定型」は、生まれた瞬間から私たち日本人のDNAに受け継がれているのだ。
我々日本人同士なら多くを語らずとも、察し合うことで互いに理解することができる。
(略)
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。
私が黛まどかさんに決定的に魅了されたのは、
ご自身が2001年が過ぎた頃、韓国の釜山からソウルまでの長い500キロの道のりを詠み歩いたことであり、
何かの雑誌で知り、私は驚きながら、瞬時に惚れこんでしまったのである。
たまたま、黛まどかさんの公式ホームページが掲載されていたのであるが、
残念ながらリニューアル準備中であり、
代わりとして、朝日新聞社にインタビューを受けた2007年5月21日の時、
http://doraku.asahi.com/hito/interview/html/070525.html
☆ 朝日新聞社 『どらく』インタビュー 記事 ☆
そして最近の2010年3月23日に於いて、毎日新聞愛読者の広場の中で、
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/shashinbu59/details.php?blog_id=117
☆ 毎日新聞社 毎日新聞愛読者の広場 ☆
このような心の思いなどを発露され、最近のお姿も、私にとっては高嶺のあこがれの人である、
とため息ばかり重ねている。
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