ときおり私は、『昭和』の時代を45年近く社会の空気を共にし、
『平成』の時代も22年近く生活をしてきて、
平成の時代になってから、私たち日本の国民の多くは何を手にいれたのかしら、と考えたりすることがある。
もとより平成の時代は、昭和天皇がご逝去されたのが1989(昭和64)年1月7日により、
平成元年は1月8日から始まり、本年は平成22年5月となり、若者の成人された一部のお方は『平成』生まれで、
『昭和』の時代が無知なのに、私は驚いたりする。
私は平成の時代の始まりを思う時、
何故かしら1989年11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』の出来事と重ねてしまうのである。
世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変したからである。
このような思いもさることながら、平成の時代になって、
私達の生活に於いて急速に変貌したのは、アナログからデジタルに変貌したこと。
そして水をペットボトルなどで購入したこと、思い浮かべたのである・・。
音楽の録音品のレコード、カセットはCDに普及して平成を迎え、
録画のビデオ・テープは平成になってDVDに変貌し、昨今はブルー・ディスクを迎えいる。
こうしたことは実感度は薄いが、パソコンが普及し、インターネットの急激な浸透である。
1995(平成7年)の秋に『Windows 95』が発売され、それまでのパソコン愛好者、専門職を領域から、
大衆化したことである。
そして、これに連動して、インターネットが急激に普及した。
もうひとつの変貌は、携帯電話であり、カメラ機能もある上で、
今や財布代わりの機能となり大きく変貌をしてきている。
映画のオリバー・ストーン監督の『ウォール街』は1987(昭和62)年にアメリカで公開された作品であるが、
冷酷で貪欲な投資銀行家が浜辺で大きな携帯電話を持ち、会話しているシーンがある。
確か、この頃はラジカセのように大きな形の携帯電話であり、
この当時としては破格な高価な品であった。
平成になると、形も性能も向上、価格も廉くなり、昨今は日本で一億台突破となり、
殆どの日本人が愛用している。
私は20世紀の時代は、テレビと原子爆弾の世紀だった、といわれたりしているが、
こうしたことを流用すれば、
平成の時代は、ネットと携帯電話、と断言したくなる。
もうひとつの日常生活に於いて、水を買い求める時代である。
『缶』から『ペットボトル』に変貌しているが、私は日常の外出先とか旅先で、
自動販売機で煎茶のペットボトルを買い求めることが多いのである。
これも平成の時代の始まりの頃からと記憶している。
私は煙草の愛煙家のひとりであるが、日本に嫌煙ブームが始まったのも平成になってからである。
喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)き喫煙可となり、
そしてJRの車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私が酷いギックリ腰で入院生活を1991(平成3)年の頃は、
整形外科のフロアーの片隅に喫煙コーナーがあり、煙草を吸わない人でも憩いの場として、団欒していたのである。
昨今の社会状況は、諸兄姉はご存知であるから、省略する。
こうしたことを思いつくまま昭和の時代が終わり、平成の時代になってから大きく変貌したことを綴ってきたが、
私は何より社会が劣化し、言葉、しぐさが雑になった、と憂いている。
はじらい、うつむく、待ちわびる・・死語に近く、そして黒髪などが少なくなり、
どうしてなの、と私はため息をすることが多いのである。
何よりも戸惑うのが、ジーンズの膝付近に、あえて穴を開けたり、
わざわざ磨耗したような生地にしたりすることである。
私は10代から30代の頃まではジーズンを愛用したひとりであるが、新品を購入し、
数年過ぎればそれなりの磨耗した状態となる。
ジーズンは普段着のズボンであり、気軽な労働服のような思いながら穿(は)きつぶしてきたが、
決してファーション着ではないのである。
こうしたことを余り綴ると若き諸兄諸姉に嫌われるので、これ以上は記載しないが、
平成の時代に育ち、現在は10代、成人となられた20代の世代の方たちに、
たとえば映画の小津安二郎・監督の『東京物語』(1953年=昭和28年)を観た時、
どのように反応するのかしら、と齢を重ねた65歳の私は限りなく関心がある・・。
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『平成』の時代も22年近く生活をしてきて、
平成の時代になってから、私たち日本の国民の多くは何を手にいれたのかしら、と考えたりすることがある。
もとより平成の時代は、昭和天皇がご逝去されたのが1989(昭和64)年1月7日により、
平成元年は1月8日から始まり、本年は平成22年5月となり、若者の成人された一部のお方は『平成』生まれで、
『昭和』の時代が無知なのに、私は驚いたりする。
私は平成の時代の始まりを思う時、
何故かしら1989年11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』の出来事と重ねてしまうのである。
世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変したからである。
このような思いもさることながら、平成の時代になって、
私達の生活に於いて急速に変貌したのは、アナログからデジタルに変貌したこと。
そして水をペットボトルなどで購入したこと、思い浮かべたのである・・。
音楽の録音品のレコード、カセットはCDに普及して平成を迎え、
録画のビデオ・テープは平成になってDVDに変貌し、昨今はブルー・ディスクを迎えいる。
こうしたことは実感度は薄いが、パソコンが普及し、インターネットの急激な浸透である。
1995(平成7年)の秋に『Windows 95』が発売され、それまでのパソコン愛好者、専門職を領域から、
大衆化したことである。
そして、これに連動して、インターネットが急激に普及した。
もうひとつの変貌は、携帯電話であり、カメラ機能もある上で、
今や財布代わりの機能となり大きく変貌をしてきている。
映画のオリバー・ストーン監督の『ウォール街』は1987(昭和62)年にアメリカで公開された作品であるが、
冷酷で貪欲な投資銀行家が浜辺で大きな携帯電話を持ち、会話しているシーンがある。
確か、この頃はラジカセのように大きな形の携帯電話であり、
この当時としては破格な高価な品であった。
平成になると、形も性能も向上、価格も廉くなり、昨今は日本で一億台突破となり、
殆どの日本人が愛用している。
私は20世紀の時代は、テレビと原子爆弾の世紀だった、といわれたりしているが、
こうしたことを流用すれば、
平成の時代は、ネットと携帯電話、と断言したくなる。
もうひとつの日常生活に於いて、水を買い求める時代である。
『缶』から『ペットボトル』に変貌しているが、私は日常の外出先とか旅先で、
自動販売機で煎茶のペットボトルを買い求めることが多いのである。
これも平成の時代の始まりの頃からと記憶している。
私は煙草の愛煙家のひとりであるが、日本に嫌煙ブームが始まったのも平成になってからである。
喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)き喫煙可となり、
そしてJRの車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私が酷いギックリ腰で入院生活を1991(平成3)年の頃は、
整形外科のフロアーの片隅に喫煙コーナーがあり、煙草を吸わない人でも憩いの場として、団欒していたのである。
昨今の社会状況は、諸兄姉はご存知であるから、省略する。
こうしたことを思いつくまま昭和の時代が終わり、平成の時代になってから大きく変貌したことを綴ってきたが、
私は何より社会が劣化し、言葉、しぐさが雑になった、と憂いている。
はじらい、うつむく、待ちわびる・・死語に近く、そして黒髪などが少なくなり、
どうしてなの、と私はため息をすることが多いのである。
何よりも戸惑うのが、ジーンズの膝付近に、あえて穴を開けたり、
わざわざ磨耗したような生地にしたりすることである。
私は10代から30代の頃まではジーズンを愛用したひとりであるが、新品を購入し、
数年過ぎればそれなりの磨耗した状態となる。
ジーズンは普段着のズボンであり、気軽な労働服のような思いながら穿(は)きつぶしてきたが、
決してファーション着ではないのである。
こうしたことを余り綴ると若き諸兄諸姉に嫌われるので、これ以上は記載しないが、
平成の時代に育ち、現在は10代、成人となられた20代の世代の方たちに、
たとえば映画の小津安二郎・監督の『東京物語』(1953年=昭和28年)を観た時、
どのように反応するのかしら、と齢を重ねた65歳の私は限りなく関心がある・・。
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