夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

川沿いの遊歩道を歩き、思わず『朧(おぼろ)月夜』の歌を心の中で唄い・・。

2010-04-03 15:49:09 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昼過ぎに買物を終えた私は、家から近い野川の遊歩道を散策した。

一昨日の午後より、風が強く舞い、夜半に雨がまじり、春の嵐のように天候が昨日の昼下がりまで続いていたが、
今朝は花曇で迎え、晴れ時々曇りの14度前後の穏やかな陽気となっていた。

多くの方たちは土曜休日のせいか、遊歩道は平日より多く、
桜花は満開となった中を家族連れで散策されたり、或いは自転車に乗る親子の姿が見られ、
私も人生のひとときの微笑みを感じたりした。

川の流れは清冽で、川面は昼下がりの陽射しを受けてきらめき、
川べりに淡い黄色の菜の花が咲きはじめていたので、私は思わず足を止めて、見つめたりしていた。
周辺を淡い黄色で彩(いろど)っていて、あと数週間過ぎれば黄色い帯のように川べりの一帯が染まるだろう、
と思いを馳せたりした。

このような情景に思いを寄せると、

♪菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ
 見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし

【『朧(おぼろ)月夜』 作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一 】

この歌を心の中で唄いだしていたのである。

この後、前方に観える桜の満開を眺めて、桜花の時節なのに、
『朧(おぼろ)月夜』の歌は少し早いじゃないの、と微苦笑したのである。

しかし私は幼年期は農家の児として育ったので、華やかな桜花より、
里に咲く菜の花の方が何かしら心身気楽に眺め、愛惜を覚えるのである。
そして齢ばかり重ねている私なりに、心の波長から『朧(おぼろ)月夜』を心の中で唄ったのかしら、
と苦笑したりした。

この後、私は再び歩きだして、

♪春風そよふく、空を見れば
 夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)し

【『朧(おぼろ)月夜』 作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一 】

心の中で唄いながら、歩いていた。


帰宅後、私は21歳以来このお方の歌声に心酔し、
少なくとも40年以上秘かに慕(した)っている女性の歌声を3回ばかり聴いたりしている。

http://www.youtube.com/watch?v=bJhXfWh3Mfw

【『朧(おぼろ)月夜』 作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一、唄・倍賞千恵子 】





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橋本忍(はしもと・しのぶ)・著の『複眼の映像 私と黒澤明』・・。

2010-04-03 01:02:39 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
過日、本屋で偶然に目に留まった映画の脚本家の橋本忍氏の『複眼の映像 私と黒澤明』(文春文庫)を買い求め、
先程、読了した・・。

この文庫本の元となる単行本は文藝春秋より発刊されたのは、2006(平成18)年6月と明記されているが、
私は無念ながら見逃したひとつの本であった。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167773540
☆ 文藝春秋 文春文庫 橋本忍・著の『複眼の映像 私と黒澤明』 ☆


私の著者の橋本忍氏に関しての思いは、2006(平成18)年8月29日に於いて、
【 映画の脚本家・橋本忍は、ご健在・・。 】
と題して、このサイトにも投稿している。

【・・
昨夕、NHKBS2で夜の9時から、
【『七人の侍』脚本家・橋本忍が黒澤監督との創作を語る】という番組を、1時間15分を視聴したのである。

NHKのBS2では、黒澤明・監督の没後10年に際し、遺された名作の数々を今後に於いて放映される。

この番組のまえぶれとして、黒澤明・監督と接触の多かった脚本家の橋本忍氏を招き、
インタビュー形式番組で、会場には若い映画研究生の方たちが50数名いる、状況の中で行われていた。

橋本忍は90代のご高齢にかかわらず、
『七人の侍』のエピソードを交え、脚本の完成までの創作のありかを、
明言され、私は安堵したりしたのである。

殆どの証言されていることは、氏の随筆、本、シナリオのメモで読んでいたのであるが、
改めてテレビでご健在の姿を拝見し、直接にインタビューに応(こた)えられ、
私なりの熱いひとときを過ごしたのである・・。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋の頃、大学を中退し、
映画青年の真似事をした時期があった。

この頃は、『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『切腹』等のシナリオを読み、
脚本家の橋本忍氏を神様のようにあがめ、絶賛し、名画座などに通ったりしていたので、
世の中は東京オリンピックの開催中の前後であったが、競技の行方なども眼中になかったのである。


番組の最後に若い映画研究生の質問に答えられたり、
最初から巧(うま)くシナリオを書こうと思うな、何故ならば書けなくなってしまうから、と云うような主旨を、
暖かなまなざしで研究生に明言されたのが、私なりに胸が熱くなったのである。


そして私は、数年前に読んだ一冊の本を本日の午後、再読したりしていた・・。

村井淳志・著の『脚本家・橋本忍の世界』(集英社新書)であるが、
映画評論家の専門家に寄る評論と違い、これもひとつの橋本忍の世界も見方である、
と微苦笑しながら、読んだりしていたのである。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0305-f/index.html
☆ 集英社 集英社新書 村井淳志・著の『脚本家・橋本忍の世界』 ☆

・・】

私は若き頃にシナリオ・ライターにあこがれながら、結果としては挫折し、
その後は民間会社に35年ばかり勤めて定年退職を迎えた拙(つたな)い私であるが、
創作者の橋本忍氏には、熱い思いで敬愛し注視しているひとりである。

今回の本書を読みながら、数々の映画作品を鑑賞したり、シナリオを読んだことも思い浮かべていたので、
私はここ数日は橋本忍の世界に熱中したのである。

そして氏の綴られた本書は、もとより映画の脚本を創作している人、
そして映画をこよなく愛し鑑賞されている方に、氏の暖かな視線で綴られた確かな遺言と私は受け止めたりした。

《・・
黒澤作品の最大の特質は共同脚本、黒澤さんが一人で脚本を書かず、他のライターと一緒に書く共同の脚本だが、
その実態はでの特異な作業なので、第三者にはすべてが不明で分からず察知も不可能である。

しかし、それがある程度分からないと、
黒澤作品の批判などはごく表面的な皮相なものにしかならず、
また映画監督やライター志望で、そのあり方の解明を切望する人も数多い。

いや、そんな批評家や映画界を目指す数少ない人々だけでなく、
映画の好きな映画を愛する圧倒的な膨大な映画ファンに、
映画の本質---映画は仕掛けの見世物であり、その仕掛けとはシナリオのことであり、
そのシナリオもまた仕掛けによって成立するものであること、
そうした映画脚本の在り方や作り方、
そして結果としての出来栄えが、いかに映画を左右し決定するかを、
我が国での最大の映画監督、黒澤明が自ら監督する作品の脚本製作への取り組みにジカに触れることにより、
映画への興味や面白さが、今までより以上にメリハリのは効く幅の広いより深いものにきっとなる。
・・》
注)引用文の原文(ページ383)に、あえて改行を多くした。


そして黒澤明監督の作品には共同脚本が多いが、このことについては、
《・・
日本の映画も演劇もそ根幹をなす作品の脚本は共に共同脚本である。
我々の感覚や才能はタカが知れている。
しかし三人寄れば文殊の知恵で、映画も演劇も、共同脚本とすることの出来るのが最大の特徴である。
・・》
注)引用文の原文(ページ390、391)に、あえて改行を多くした。

こうして本書は、黒澤明・監督の作品の数々で、共同脚本の出来るまで、
《ライター先行型》、或いは《いきなり決定稿》の方式でも、それぞれの脚本家が壮絶まで創作の過程を明記されている。

もとより《ライター先行型》の場合においては、
《・・
仕事を引き受けたライターが出来不出来は別として、
テーマ、ストーリー、人物設定、さらに構成と、脚本作りの準備作業を事前にこし、
第一稿を作り上げる。
・・》
注)引用文の原文(ページ242)に、あえて改行を多くした。

こうした時の重要なことのひとつとして、
《・・
人間は恐ろしいほど数多くの共通点を持ちながら、一人一人に特質があって違うのだ。
だからドラマが成立する。
・・》
注)引用文の原文(ページ183)に、あえて改行を多くした。

《・・
作品に緊張感や深い陰影を与えるのには、
シナリオライターが登場人物に、どれほど明確なイメージを、書く以前に持ち得るかで決まる。

本文に手をつける前に、徹底してそれをやらない限り、本文が始まってからでは、
いかなる熟練者といえど、経験とか技術力でカバー出来るものではない。

・・》
注)引用文の原文(ページ183、184)に、あえて改行を多くした。

このような重要なことも氏の体験から、余すところなく発露され、
特に映画脚本を書かれる方への暖かなアドバイスを披露しているのである。


そして創作の分野のひとつにシナリオライターと小説家が存在するが、
氏は明確に提示し、今後もこの分野にめざす方たちに指針を与えているのである。

《・・
シナリオライターを目指したが脱落し、小説家に方向転換して有名になった人や、
現役のシナリオライターから小説家に転じて大成した人もかなり多い。

シナリオライターに脱落し、小説で成功した人は、
読み物の面白さに惹かれ設計書の意識が皆無だったからだ。

シナリオライターからの転職は、映画会社との軋轢、不和なども原因だが、
設計書のラインを引く根気や忍耐よりも、多少の出来不出来は許容してくれる読み物の包容力、そして手の定まり・・・
一瞬のリズムの狂いや弛みも許されないシナリオに比べ、ある程度はそれほど気にしない、
読み物の鷹揚さと気楽さと気安さに安住の地を見出したともいえる。
(略)

ところが、小説家からシナリオライターになった例は一例もなく、
これからもそれはあり得ない。
これはシナリオが特別に難しいものという意味ではない。

小説は読み物、シナリオは設計書、という全くの性質の異なる別々の生き物であるひとと、
後は経済的な問題---シナリオで稼ぐよりは小説のほうが楽に稼げるということではあるまいか。

・・》
注)引用文の原文(ページ80、81)に、あえて改行を多くした。


本書の表題に掲げた『複眼の映像』は、もとより映画の根幹となす共同脚本の《設計書》に基づいて、
その後は監督の指令で各スタッフが躍動して映画が完成されるので『複眼の映像』と称していると私は解釈しているが、
ひとつの脚本を完成させるまで過程だけでも、私は息を止めるかのように精読したことを付記をする。



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