夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

季節がめぐるたびに、一青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』に心を託して・・。

2010-04-13 22:06:48 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
子供に恵まれなかったので、家内と2人だけの家庭となり、古惚けた一軒家に住んでいる。

昨日の午前9時過ぎから雨が降りだし、今朝の未明まで降り続いていたが、日の出前には雨は上がり、
朝の6時過ぎに主庭のテラスに下り立つと、
樹木の枝葉は雨粒をたたえて、清々しい、潤(うるお)いのある情景となっていた。

若葉の色合いは、萌黄色からこの二週間ばかりで黄緑色から新緑色に染められ、
私はさりげない日ごとにうつろう枝葉を眺めたりしていた。

9時前に陽射しが差し込み、空は青さを増し、ときおり微風が吹き、まさしく風光る情景となっている。
そして、私は皐月晴れの頃の陽気かしらと感じながら、
私は昨日の少しばかり肌寒い雨降る日であったので、戸惑いながらも主庭の樹木、草花を眺めたりしていた。


このような移ろいの中、昼のひととき買物に最寄のスーパーに向ったのであるが、
道路際にある躑躅(ツツジ)、皐月(サツキ)が咲きはじめ折、
買物の帰路に広場を通り抜けようとした時、花水木(ハナミズキ)の樹に白い花が咲きはじめて、
付近の落葉樹の多い公園は新緑となり、ときおり微風が吹き、小枝の若葉も揺れ、私は微笑んだのである。

そして、ここ10数年に建てられて大きなマンションの前にある小公園を通り過ぎると、
花水木(ハナミズキ)の樹木は、可憐な白い花は三本あり、それに並ぶように淡い桃色の花は二本あり、
私はしばらく見惚(みと)れたりした。

この花水木(ハナミズキ)の樹木たちは、昨年の秋には数多くの朱紅色に染めたられ葉となり、
秋日和の陽射しを受けていたことも思い馳せたりしたのである・・。


そして私は自宅に向いながら、突然にひとつの歌が脳裏に浮かび、心の中で静かに唄いだしたのである。

そして遊歩道に人影が少ないのを確かめて、小声で唄いだしたのである。


♪薄紅色の可愛い君のね
 果てしない夢がちゃんと 終りますように
 君と好きな人が 百年続きますように

【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ 】


私なりに、残された歳月で私自身の夢を実現をさせる命題もあり、
そして私たち夫婦は、この先いつまでもつつましながらも年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
いずれ片割れになる・・。

このような思いを重ねたりしたのである。


確か数年前だったと思われるが、NHKの音楽番組の中で、
一青窈(ひとと・よう)さんと徳永英明(とくなが・ひであき)さんが、デュエットでこの歌を唄っていた。
私は遅ればせながら、退職後にこの一青窈ちゃんの『ハナミズキ』に魅了されて折、
改めてこの歌をお二人が唄うのを視聴したのであるが、
胸が熱くなり、やがて涙を浮かべそうなくらい感銘を受けたのである。

無念ながら【You Tube】には、デュエットでこの歌を唄っていたのがなく、
私は男の子のひとりである上、一青窈ちゃんのような美麗で深淵まで深めた歌声を唄えないので、
徳永英明さんが独りで唄う歌に魅了されながら、【You Tube】でたびたび聴いたりしていた。

http://www.youtube.com/watch?v=w9bxyOGTsrI&feature=related
☆【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ、唄・徳永英明 】


私は彼のように透明感あるシルキー・ヴォイスのようには唄えないけれど、
私なりに齢を重ねた65歳の体力と声も衰えた身であるが、心を込めて精一杯唄ったのである。


♪僕の我慢がいつか実を結び
 果てない波がちゃんと止まりますように
 君と好きな人が百年続きますように

 君と好きな人が百年続きますように


【 『ハナミズキ』 作詞・一 青窈、作曲・マシコタツロウ 】


私は小声で唄っているうちに、胸が熱くなり、
そして瞼(まぶた)も熱くなり、齢を重ねると涙もろくなる、と実感しながら家路に向ったのである。




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東京郊外の桜花は、花衣(はなごろも)、そして花筏(はないかだ)の情景を迎え・・。

2010-04-13 08:43:13 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
昨日の朝の9時過ぎから雨が降り、今朝の未明に雨が上がり、薄日の射す朝を迎えている。

地元の天気情報に寄れば、
朝の6時は10度、昼下がりは21度前後、夕方の6時は19度前後で、
雨上がりの朝から急激に回復して、5月中旬のような陽気の快晴と報じられている。

昨日は雨降る一日であり、昼下がりは8度ばかりの肌寒く、
今朝、ぼんやりと庭のテラスに下り立ち、めまぐるしい天候の移り変りに戸惑いを感じたりしたいる。

私は無念ながら桜の樹がないので、我が家の周辺の小公園、川沿いの遊歩道を歩いたりしている。

染井吉野(ヨメイヨシノ)の桜が満開となったのは過日の4月の初めで、
その後の私は平日の人影の少ないひととき、遊歩道の脇にあるベンチに腰掛けて、
煙草を喫いながら、桜の花を眺めたりしていた。
そして、前方を眺めると、この中の一部は早くも散りはじめて、
澄み切った青い空の中をゆっくりとさまようように舞いながら、静かに歩道に落下していた。

その後は花吹雪となった中を歩き、古人たちがこのような情景を花衣(はなごろも)と称してきたのが実感させられ、
空中にゆったりと舞いながら散る光景は、まぎれない美を感じるのである。

そして私は昨年に眺めた川べりを思い馳せたりしていた・・。
黄色い菜の花、白いダイコンの花がそれぞれに帯のように彩(いろど)って、
川面は舞い散った桜花が幾重にも浮かべ、その付近の川面は陽射しを受け、きらめきながら、音もなく流れていた。

このような情景が私の心の片隅にあるので、
昨日は雨降る中を遊歩道を歩いたのであるが、黄色なった菜の花が咲き、川べりの大半を染めていた。
しかし川面は、私が秘かに期待した桜花の花筏(はないかだ)の情景ではなく、
目をこらすと菜の花の黄色い彩(いろど)りが映(うつ)しだされていた。


私は朝の陽射しをぼんやりと受けながら、
日中のひととき散策して、近くの川沿いにある桜並木は満開が過ぎたが、ピンク色に染められたトンネルのような中を歩いたりし、
花衣、そして花筏の美景が観られるかしら、と思ったりしている。

そしてこのような思い重ねていると、
千年前の人々も私のように心を寄せる人が多いかしら、と私は思わず微笑させられたのである。



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