夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

鳩山首相、5月4日沖縄訪問の時は、『沖縄県民の前で土下座をする責務がある』

2010-04-30 21:25:51 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先程、時事通信社のネットのニュースを見て、改めて憂いを深めている。

《 普天間移設案を説明へ=鳩山首相、5月4日沖縄訪問 》

と見出しされた記事である。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
鳩山由紀夫首相は5月4日、就任後初めて沖縄県を訪問し、
仲井真弘多知事らに米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設案を説明する。
政府は同県名護市の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に移す現行計画を微修正する案を固めており、
首相は県内移設を表明する見通し。
ただ、地元はこれに反対の姿勢で、一段と反発を強めるのは必至だ。

首相が固めた移設案は、
(1)シュワブ沿岸部の浅瀬に「くい打ち桟橋方式」で代替滑走路を建設
(2)普天間のヘリ部隊を鹿児島県・徳之島に最大1000人を移転-が柱。
政府関係者は30日、「桟橋方式で進める」と明言した。

首相は日帰りの沖縄訪問で、仲井真知事と会うほか、名護市で稲嶺進市長とも個別に会談する。
首相としては、環境に配慮して沿岸部を埋め立てない代替施設の建設とヘリ部隊の一部県外移転を組み合わせることで、
全体として沖縄の負担軽減につながると説明、理解を求めたい考えだ。 

首相はこれまで移設先について「最低でも県外」と発言。
県外移設は事実上の衆院選公約だったが、修正案はこれを覆すものだ。
これに対し、知事は県外移設を求める姿勢を強めているほか、稲嶺市長は移設受け入れを拒否。
首相が掲げる「5月末決着」は絶望的だ。

首相は知事との会談の一方、普天間飛行場とその周辺地域や、キャンプ・シュワブを視察する。
県内のその他の市町村長や、基地周辺住民との対話も検討している。
(2010/04/30-18:49)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2010043000946
☆ 時事ドットコム 普天間移設案を説明へ=鳩山首相、5月4日沖縄訪問 ☆


私は民間会社の中小業のサラリーマンを定年退職し、
政治にも疎(うと)く年金生活をしている無力な身であるが、今回の『普天間基地の移設問題』に関しては、
ときおり注視してきた。
このことはこのサイトに於いても綴ってきたので省略するが、何よりも鳩山首相の言動に困惑してきたひとりである。

国の根幹となす防衛のひとつの『普天間基地の移設問題』であるが、
沖縄県民はもとより国民の多くを愚弄してきたことは罪は重く、国際の主要国もあきれ果ている現状である。

鳩山首相がそれりに沖縄に対して深い思いがあるならば、
就任後、いち早く関係国のアメリカはもとより、国内の関係者に働きかけるべきであり、私は不可解であった。

今回、昏迷している『普天間基地の移設問題』を解決する第一歩として、
沖縄訪問の際は、少なくとも沖縄首脳陣の方たちはもとより、数多くの県民の前で、
少なくとも土下座してこれまでの昏迷したことにお詫びする・・、
これしか私には対応策として浮かばないのである・・。

今回のような迷走となっている場合は、鳩山首相が沖縄に下り立った時、
たとえ警察官の守られながらも、県民の多くから石を投げつけられてやむえない現状であるので、
せめて鳩山首相ができることの第一歩として、
ひたすらお詫びを重ねながら土下座をし、スーツが泥まみれになっても、
こうした言動こそ私は切望するのである。



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齢ばかり重ねた私でも、思わず『鯉のぼり』の歌を唄い・・。

2010-04-30 14:29:11 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり.
まばゆい陽射しで朝を迎え、庭の若葉は光帯びて、ゴールデン・ウィークに相応しい天気だ、
と微笑えんだりした。

昨日は快晴の『昭和の日』の祝日となったが、快晴に恵まれていたが、
ときおり強く風が吹き荒れ、昼下がりは23度の陽気になり、少しばかり驚いたりしていた。

私は先程、最寄の郵便局、銀行を廻り、スーパーで買物をした帰路、
いつものように住宅街を通り過ぎたが、この中のひとつのお宅の二階のベランタ沿いに、
鯉幟(こいのぼ)りが掲げられていた。

この住宅街は、私が高校2年の1961(昭和36)年の頃に、
大きな団地が出来て、その周辺に分譲地となった地帯であり、早くも50年近くになっている。

昨今は『おふたりさま』の高齢者の夫妻が住まわれたり、
或いはお子様の家族に引き継がれて住まわれたり、
或いは2所帯住宅で1階は親、2階はお子様の家族が住まわれて、親子孫の三世代が同居されている家もある。

こうした家並みが並ぶ中を私は歩いていたのであり、
我が家は子供に恵まれなかったが、たまたまこの中の家のお方が、
お孫さんの為に、鯉幟りが掲げられているのかしら、と私は微笑を頂いたりした・・。

私の住む周辺は、家並みが密集しているので、
旧家でない限り、とても鯉幟(こいのぼ)りを悠然と泳がせるスペースがなく、
ここ数10年は観かけることが少なく、たまたま鯉幟りを偶然に観て、思わず足を止め、
小振りな3つばかりの鯉が微風を受けて泳いでいたのを長らく見つめたりした・・。


帰宅後、私は昨日の強風で散乱している葉、散り落とされた花などが、
我が家に面した歩道に散っていたので、私は立ち箒(ぼうき)で掃き清めていた時、
心の中で、ひとつの歌を唄っていたのである・・。

♪甍(いらか)の波と雲の波、
 重なる波の中空(なかぞら)を、
 
【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳 文部省唱歌 】

私は幼年期に祖父、父を健在の頃、農家の宅地の外れに高く掲げられ、
あの当時はどの家も男の子のために鯉幟りをこの時節に掲げられていた・・。


♪橘(たちばな)かおる朝風に、
 高く泳ぐや、鯉のぼり。

【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳 文部省唱歌 】

このように心の中で唄ったりし、過ぎ去った時の流れを思い馳せたりした。


http://www.youtube.com/watch?v=HCOPPFP1MI8&feature=related
☆【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳、唄・真理ヨシコ  文部省唱歌 】☆



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