夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ふたたび、年金生活の私が『おひとりさま』の日々となり・・。

2010-04-19 09:44:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
家内は家内の母とふたり旅で、過ぎし17日より24日まで広島市内と四国の道後温泉に訪れている。

私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であるが、
独り住まいの家内の母の要望である広島にある『平和記念資料館』を訪れたりし、
家内は33年ぶりぐらいの母娘の旅行となっている。

そして過日の7日から11日まで家内は独り住まいの家内の母宅に大掃除で行ったりしていたので、
私は再び『おひとりさま』の生活となってしまったが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、食べたりしている。

そして、日付別のメモ用紙に書いたりして『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』などの日と、
市から指定された場所に出したりしているが、
私は家内の留守のを幸いに、更にぐうだらな日々を過ごしたりしている。

たまたま昨日などはスーパーで買物したりし、この間の大半は読書と昼寝、
深夜には映画のビデオを観たりしていた。

読書に関しては、斎藤明美・著の『高峰秀子の流儀』(新潮社)を読み終わった後、
書棚から高峰秀子さんの随筆の文庫本を取り出して、再読したりしていた。
『コットンが好き』、『おいしい人間』、『にんげん住所録』である。
そして、肝要の『わたしの渡世日記』の単行本は、
家内の父が生前に我が家に来宅した時に、差し上げてしまったので、
駅前に行った時に文庫本を買い求めて、再読しょうかしら、と思ったりしている。

映画に関しては、何を観ようかとビデオ棚の前にたたずんで、
五分ほど迷った結果、『マルサの女』(1987年)となった。

そして、定年退職後の日々の定例事項となっている、このサイトに投稿文を綴ったり、
ときおりテラスに下り立ち、庭の新緑の樹木を眺めたりして煙草を喫ったりしていると、
ぐうだらな生活をしていても、一日が過ぎるのが早く、ため息をしたりしている。




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