私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
昨年の12月に上野千鶴子・著作の『男おひとりさま道』(法研)を読み、
ここ2週間前に前作にあたる『おひとりさまの老後』(法研)を遅ればせながら読んだりした。
いずれも、私は数多く教示されて、この二冊の『おひとりさま・・』からは、
まるで雷を打たれたように読んだりした・・。
http://www.sociohealth.co.jp/book/db1/data.cfm?code=5890753
☆ 上野千鶴子・著作 『男おひとりさま道』(法研) 平成21年11月1日 発刊 ☆
http://www.sociohealth.co.jp/book/db1/data.cfm?code=5845680
☆ 上野千鶴子・著作 『おひとりさまの老後』(法研) 平成19年7月12日 発刊☆
私達夫婦は、子供も恵まれず、たった2人の家族であり、
いずれは片割れとなるが、私は煙草を喫うし、お酒が大好き、そして運動不足の日々を過ごしているので、
私の方が先に死ぬことの確率は圧倒的に高い、と思ったりしている。
しかし、こればかりは予期できなく、家内に先立たれた思いは、このサイトに数多く綴っているので省略するが、
改めて老後設計の再チエックとして買い求めたのである。
私は続編にあたる『男おひとりさま道』を先に読んだのであるが、
私は齢ばかり重ね無知なことが多く、唖然としながら、多々教示を受けたりした・・。
たとえば、第2章の『下り坂を降りるスキル』に於いて、
この中のひとつに『男の定年、女の定年』があり、
私の考えていた《女の定年》とは全く予想外だったので、この後しばらく考えさせられたのである。
そして肝要の前作の『おひとりさまの老後』を読んだりして、
座禅をしていた私が不意に雲水である上野千鶴子氏から、不意に後ろから襟首を捕まえられて叱咤されたように感じ、
私はここ一週間は気落ちし失意となっていたのである。
このことは第6章『どんなふうに「終わる」か』の中で、
『おカネのほかになにを遺すか』と題された中に於いて、
「記念館をつくって歴史に名を残す(笑)」、「本を寄贈する」、「自分史を残す」などは大いに共感できたのであるが、
「人間は死んでなにを遺すか?」の一節に、考えさせられ、気落ちさせられたのである。
《・・
不滅のモニュメントや歴史を超えて名を残したいと思うひとびとの気が知れない。
生きているあいだによほど不完全燃焼感があったのだろうか、と同情してしまう。
・・》
(引用・ページ235、236)
注)原文にあえて改行を多くした。
私は日本文学史上に於いて、不滅の作品を遺された文人が少なくとも10数人はいるが、
こうした方に憧(あこが)れを持っているひとりである。
こうした思いの根底には、このサイトに於いて、
【改めて、私なりのブログと自己存在感・・。】
と題して、昨年の2009年8月22日に投稿しているが、あえて再掲載をする。
【・・
昨日、【『ネット検索、月間4775万人…6年で3倍・・』の記事、私は読んだ後は・・。】と題して投稿した。
そして、この投稿文の結文の前に、
【・・
私は退職後の年金生活で驚いたのは、
ブログの飛躍的な利用者の増加であり、私と同様に心の思いを自己発信する人が多いことであり、
そして2007年6月より、【YouTube】に於いて、日本語版を開始され、音楽のパンドラの箱が開けられた、
と思いながら音楽の曲が大半自在に聴くことができたことである。
・・】
と綴ったりした。
題目の検索の急増はもとより、私は日常にブログは欠かせない存在であり、
ときおり【YouTube】に於いて、音楽を甘受しているが、
昨夜の深夜に、私はとってはブログはどのような存在なのかしら、と考え込んでしまったのである。
私は2004年の秋にある民間会社を定年退職したのであるが、
まもない時、ブログの世界を知り、あるサイトに加入して、2005年2月7日に於いて、
『ブログと自己存在感・・。』と題して、投稿した。
【・・
ブログが昨今に急速で、加速されたかのように広がっている。
何故、これほど話題になり、注目され、利用されているか、
私が利用した理由を書き込めば、ひとつのヒントになると思ったりしている。
昨年の秋の定年退職の前後、私はホーム・ページを立ち上げようとしていた。
理由として、この星の下で生まれ、育ち、何を考えて、やがて死んでいくことに、
生きたいたことのひとつの証(あかし)を残していきたい、と思ったのである。
ホーム・ページの場合は、原則として実名公表なので、
政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の公表に、
著名人でない上、これといった専門知識がない素人の私には、一種のためらいがあった。
私の好きな山川草木のよしなごとは書けても、
身過ぎ世過ぎの年金生活の日常を過しているので、文章にほころびが生じる、と思ったのである。
世の中の専門知識を有する学者の随筆は、
論文等、或いは大学教授としての前提で、一面の遊び、としても綴ることが出来るので、
私のような素人としては、こうしたためらい、たじろいがあり、
開設したところで、来訪者が少なく、そのうちに自身が書き続けられるか、と自問したのである。
こうした折、ブログ、ブログに準じた簡素なホーム・ページのブログを知ったのである。
ブログの場合は、匿名が圧倒的に多く、ある程度の心の節度があれば、
公表できる利便性の要素が十二分ある。
新聞、雑誌の投稿には、それぞれの発行元の編集部などの見解のもとで、掲載が決められている現状であるが、
このブログの場合は、ある程度の節度があれば、何の制約も無く、
その方の自身の政治・外交・政治・軍事・社会・宗教・文化等の分野の思いでも、自在に公表できる。
そして一旦発信されたならば、当人が削除しない限り、
この星の下で存在し、ある一面、怖いところも付随するが、読まれるか、無視されるかは別問題として、
確実に残るのである。
何よりも誰にしても、ある程度の知識があれば、どのような日常生活を綴っても、
自己の存在感を提示できる世界がブログ、と思ったのである。
ここで思い出したのであるが、私が15年前頃、腰痛が酷く、救急車にお世話になり
3度目の入院となり、徹底的に治療に専念しょうと観念し、1ヶ月近く、入院していた時であった。
病室のベットに休んでいても、周囲の社会は順調に動いて、
自分の存在は一体どこにあるのか、ということであった。
私はこの時、シンガーソングライター中島みゆきを熱愛していた時期で、この中で特によく聴いた曲がある。
ベットの中で、腰を牽引しながら、CDウォークマンで何度も聴いたりしていた・・。
慰め、救い、そして再起への励みを頂いた曲を転記させて頂く。
『永久欠番』 作詞・作曲 中島みゆき
♪どんな立場の人であろうと
いつかはこの世をおさらばをする
たしかに順序にルールはあるけれど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
100年前も 100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く
愛した人の席が からっぽになった朝
もうだれも座らせないと
人は誓ったはず
でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまうもの
どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれが思い出すだろうか
ここに生きてた私を
100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中に
人は永久欠番
宇宙の掌の中
人は永久欠番
この中島みゆき・女史は、私にとってこの星の下での女神である確信し、
現在でも、希有な存在感を提示できる人であり、敬愛をしている。
・・】
このような歌詞の転載がもとより著作権に抵触するかは解からなかったが、
自己存在の証(あかし)の思いが強く投稿したのである。
私はこの投稿文を深夜に読み返し、自身の定年後の心の思い、揺れを振り返ったりした・・。
私は定年退職するまでは、何かと屈折と劣等感の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のひとつのように、
と思ったりしたのである・・。
私はこれといって、特技はなく、かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。
文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意した・・。
私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章の表現力も衰えたので、ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。
そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。
私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。
このような思いが、つたないなりに私は秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日数通ぐらいは投稿している。
そして、何より肝要なことは、人それぞれ光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影を余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。
このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
私にとっての年金生活は暇、安楽というのは死語である。
長々と綴ったりしたが、最後に信愛している中島みゆき女史に敬意し、
『HAFE』、『エレーン』に続き、最も感銘している『永久欠番』を掲げることにする。
この『永久欠番』は、『歌でしか言えない』と題されたアルバムの中で、
6曲目に選定された曲で、1991年10月23日に発売され、私の人生観に影響を受けた稀(まれなアルバムのひとつである。
【YouTube】に投稿されたお方の中で、特に魅了された方から拝借させて頂く。
http://www.youtube.com/watch?v=720iyPtOQRc
☆【『永久欠番』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき】☆
・・】
このような思いで私の命が果てるまでの命題を綴っていたあるが、
この上野千鶴子氏の思考の言葉
《・・
不滅のモニュメントや歴史を超えて名を残したいと思うひとびとの気が知れない。
生きているあいだによほど不完全燃焼感があったのだろうか、と同情してしまう。
・・》
私は深く受け止めながら、考えさせられたりしているのである・・。
文才もなく、何かと屈折と劣等感の多い私にとっては、途方もない高望みだったのかしら、
と思ったりした。
そして、生きがいとしてきた散文の綴りなどを断念し、安楽な年金生活に甘受した方が限りなく楽だし、
とも思ったりしたりした。
しかし、難問を乗り越えてこそ、私なりの残され人生がある、と思えたりした。
果たして・・と深くため息を重ね、ここ一週間が過ぎている。
href="http://www.blogmura.com/">
昨年の12月に上野千鶴子・著作の『男おひとりさま道』(法研)を読み、
ここ2週間前に前作にあたる『おひとりさまの老後』(法研)を遅ればせながら読んだりした。
いずれも、私は数多く教示されて、この二冊の『おひとりさま・・』からは、
まるで雷を打たれたように読んだりした・・。
http://www.sociohealth.co.jp/book/db1/data.cfm?code=5890753
☆ 上野千鶴子・著作 『男おひとりさま道』(法研) 平成21年11月1日 発刊 ☆
http://www.sociohealth.co.jp/book/db1/data.cfm?code=5845680
☆ 上野千鶴子・著作 『おひとりさまの老後』(法研) 平成19年7月12日 発刊☆
私達夫婦は、子供も恵まれず、たった2人の家族であり、
いずれは片割れとなるが、私は煙草を喫うし、お酒が大好き、そして運動不足の日々を過ごしているので、
私の方が先に死ぬことの確率は圧倒的に高い、と思ったりしている。
しかし、こればかりは予期できなく、家内に先立たれた思いは、このサイトに数多く綴っているので省略するが、
改めて老後設計の再チエックとして買い求めたのである。
私は続編にあたる『男おひとりさま道』を先に読んだのであるが、
私は齢ばかり重ね無知なことが多く、唖然としながら、多々教示を受けたりした・・。
たとえば、第2章の『下り坂を降りるスキル』に於いて、
この中のひとつに『男の定年、女の定年』があり、
私の考えていた《女の定年》とは全く予想外だったので、この後しばらく考えさせられたのである。
そして肝要の前作の『おひとりさまの老後』を読んだりして、
座禅をしていた私が不意に雲水である上野千鶴子氏から、不意に後ろから襟首を捕まえられて叱咤されたように感じ、
私はここ一週間は気落ちし失意となっていたのである。
このことは第6章『どんなふうに「終わる」か』の中で、
『おカネのほかになにを遺すか』と題された中に於いて、
「記念館をつくって歴史に名を残す(笑)」、「本を寄贈する」、「自分史を残す」などは大いに共感できたのであるが、
「人間は死んでなにを遺すか?」の一節に、考えさせられ、気落ちさせられたのである。
《・・
不滅のモニュメントや歴史を超えて名を残したいと思うひとびとの気が知れない。
生きているあいだによほど不完全燃焼感があったのだろうか、と同情してしまう。
・・》
(引用・ページ235、236)
注)原文にあえて改行を多くした。
私は日本文学史上に於いて、不滅の作品を遺された文人が少なくとも10数人はいるが、
こうした方に憧(あこが)れを持っているひとりである。
こうした思いの根底には、このサイトに於いて、
【改めて、私なりのブログと自己存在感・・。】
と題して、昨年の2009年8月22日に投稿しているが、あえて再掲載をする。
【・・
昨日、【『ネット検索、月間4775万人…6年で3倍・・』の記事、私は読んだ後は・・。】と題して投稿した。
そして、この投稿文の結文の前に、
【・・
私は退職後の年金生活で驚いたのは、
ブログの飛躍的な利用者の増加であり、私と同様に心の思いを自己発信する人が多いことであり、
そして2007年6月より、【YouTube】に於いて、日本語版を開始され、音楽のパンドラの箱が開けられた、
と思いながら音楽の曲が大半自在に聴くことができたことである。
・・】
と綴ったりした。
題目の検索の急増はもとより、私は日常にブログは欠かせない存在であり、
ときおり【YouTube】に於いて、音楽を甘受しているが、
昨夜の深夜に、私はとってはブログはどのような存在なのかしら、と考え込んでしまったのである。
私は2004年の秋にある民間会社を定年退職したのであるが、
まもない時、ブログの世界を知り、あるサイトに加入して、2005年2月7日に於いて、
『ブログと自己存在感・・。』と題して、投稿した。
【・・
ブログが昨今に急速で、加速されたかのように広がっている。
何故、これほど話題になり、注目され、利用されているか、
私が利用した理由を書き込めば、ひとつのヒントになると思ったりしている。
昨年の秋の定年退職の前後、私はホーム・ページを立ち上げようとしていた。
理由として、この星の下で生まれ、育ち、何を考えて、やがて死んでいくことに、
生きたいたことのひとつの証(あかし)を残していきたい、と思ったのである。
ホーム・ページの場合は、原則として実名公表なので、
政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の公表に、
著名人でない上、これといった専門知識がない素人の私には、一種のためらいがあった。
私の好きな山川草木のよしなごとは書けても、
身過ぎ世過ぎの年金生活の日常を過しているので、文章にほころびが生じる、と思ったのである。
世の中の専門知識を有する学者の随筆は、
論文等、或いは大学教授としての前提で、一面の遊び、としても綴ることが出来るので、
私のような素人としては、こうしたためらい、たじろいがあり、
開設したところで、来訪者が少なく、そのうちに自身が書き続けられるか、と自問したのである。
こうした折、ブログ、ブログに準じた簡素なホーム・ページのブログを知ったのである。
ブログの場合は、匿名が圧倒的に多く、ある程度の心の節度があれば、
公表できる利便性の要素が十二分ある。
新聞、雑誌の投稿には、それぞれの発行元の編集部などの見解のもとで、掲載が決められている現状であるが、
このブログの場合は、ある程度の節度があれば、何の制約も無く、
その方の自身の政治・外交・政治・軍事・社会・宗教・文化等の分野の思いでも、自在に公表できる。
そして一旦発信されたならば、当人が削除しない限り、
この星の下で存在し、ある一面、怖いところも付随するが、読まれるか、無視されるかは別問題として、
確実に残るのである。
何よりも誰にしても、ある程度の知識があれば、どのような日常生活を綴っても、
自己の存在感を提示できる世界がブログ、と思ったのである。
ここで思い出したのであるが、私が15年前頃、腰痛が酷く、救急車にお世話になり
3度目の入院となり、徹底的に治療に専念しょうと観念し、1ヶ月近く、入院していた時であった。
病室のベットに休んでいても、周囲の社会は順調に動いて、
自分の存在は一体どこにあるのか、ということであった。
私はこの時、シンガーソングライター中島みゆきを熱愛していた時期で、この中で特によく聴いた曲がある。
ベットの中で、腰を牽引しながら、CDウォークマンで何度も聴いたりしていた・・。
慰め、救い、そして再起への励みを頂いた曲を転記させて頂く。
『永久欠番』 作詞・作曲 中島みゆき
♪どんな立場の人であろうと
いつかはこの世をおさらばをする
たしかに順序にルールはあるけれど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
100年前も 100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く
愛した人の席が からっぽになった朝
もうだれも座らせないと
人は誓ったはず
でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまうもの
どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれが思い出すだろうか
ここに生きてた私を
100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中に
人は永久欠番
宇宙の掌の中
人は永久欠番
この中島みゆき・女史は、私にとってこの星の下での女神である確信し、
現在でも、希有な存在感を提示できる人であり、敬愛をしている。
・・】
このような歌詞の転載がもとより著作権に抵触するかは解からなかったが、
自己存在の証(あかし)の思いが強く投稿したのである。
私はこの投稿文を深夜に読み返し、自身の定年後の心の思い、揺れを振り返ったりした・・。
私は定年退職するまでは、何かと屈折と劣等感の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のひとつのように、
と思ったりしたのである・・。
私はこれといって、特技はなく、かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。
文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意した・・。
私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章の表現力も衰えたので、ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。
そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。
私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明(かもの・ちょうめい)が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。
このような思いが、つたないなりに私は秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、
原則として国内旅行で自宅を留守にしない限り、毎日数通ぐらいは投稿している。
そして、何より肝要なことは、人それぞれ光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影を余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。
このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
私にとっての年金生活は暇、安楽というのは死語である。
長々と綴ったりしたが、最後に信愛している中島みゆき女史に敬意し、
『HAFE』、『エレーン』に続き、最も感銘している『永久欠番』を掲げることにする。
この『永久欠番』は、『歌でしか言えない』と題されたアルバムの中で、
6曲目に選定された曲で、1991年10月23日に発売され、私の人生観に影響を受けた稀(まれなアルバムのひとつである。
【YouTube】に投稿されたお方の中で、特に魅了された方から拝借させて頂く。
http://www.youtube.com/watch?v=720iyPtOQRc
☆【『永久欠番』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき】☆
・・】
このような思いで私の命が果てるまでの命題を綴っていたあるが、
この上野千鶴子氏の思考の言葉
《・・
不滅のモニュメントや歴史を超えて名を残したいと思うひとびとの気が知れない。
生きているあいだによほど不完全燃焼感があったのだろうか、と同情してしまう。
・・》
私は深く受け止めながら、考えさせられたりしているのである・・。
文才もなく、何かと屈折と劣等感の多い私にとっては、途方もない高望みだったのかしら、
と思ったりした。
そして、生きがいとしてきた散文の綴りなどを断念し、安楽な年金生活に甘受した方が限りなく楽だし、
とも思ったりしたりした。
しかし、難問を乗り越えてこそ、私なりの残され人生がある、と思えたりした。
果たして・・と深くため息を重ね、ここ一週間が過ぎている。
href="http://www.blogmura.com/">
