夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

デビット・リーン監督の名作のひとつの『戦場にかける橋』、鑑賞しながら・・。

2011-07-14 23:01:03 | 映画・テレビ
私は昼下がりのひととき、居間にある映画のビデオ、DVD棚から、
1本のビデオ・テープを取り出した。

デビット・リーン監督の『戦場にかける橋』(1956年)である・・。

英国軍の仕官を演じたアレック・ギネスの名演を観たく、鑑賞したのである。

もとよりこの作品は、第二次世界大戦中、日本軍によるビルマ~タイの戦場に於いて、
輸送物質等による戦線拡大を図る為、
この途上にあるクワイ川の鉄橋建設をめぐる作品である。

そして日本軍の将校(早川雪州)の指揮下の中、
英国軍の仕官(アレック・ギネス)等が捕虜収容所に置かれた状況、
そして米国人の水兵(ウィリアム・ホールデン)の3者の気質が明確に描かれた名作である。


この映画を私が最初に観たのは、
渋谷の映画館で座席に座れず満員の中、立ちつくし、
確か小学6年か中学1年の頃であった。

その後、20代の前半に名画を上映している映画館で、
そして50代でWOWOWで放映されていたのをビデオ・テープに収録しながら、
観たりしていたのである。

そして、恥ずかしながら2年前に初めて気付いたのは、
フランスの作家でピエール・ブールが第二次世界大戦の実話に基づいて、
創作されたベストセラー作品と知り、
この時は思わず苦笑させられたのである。

私は名画の場合は、小説、随筆と同様に、たとえば10年毎に観たりすると、
自身の感慨が深められるから好きなのである。


監督のデビット・リーンに関しては、秘かに敬愛する監督のひとりで、
『戦場にかける橋』(1956年)を初めて鑑賞した後、
高校生の時に『旅情』(1955年)、大学生の時『逢びき』(1945年)、
そして有楽座のロードショウの初日に『アラビアのロレンス』(1962年)を観たりしている。

その後は、『ドクトル・ジバコ』(1965年)、『ライアンの娘』(1970年)、『インドへの道』(1984年)を、
ビデオ・テープで自宅のテレビで観たが、
こうした大作は映画館のスクリーンで観るべきだった、
と後悔しているのが本音である。

余談であるが、私は家庭を持った時は、
『逢びき』(1945年)の女主人公の夫のような男性になってみたい、
と独身の20代の初めの頃に思ったりしていた。


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夏の風物詩のひとつ『花火』大会、齢ばかり重ねた私でも、ささやかな想いを秘めて・・。

2011-07-14 10:54:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日の午前中のひととき、パソコンを開くと、
トップページに設定している【YAHOO! JAPAN】に於いて、中央の右側に、

《 花火大会&夏祭り 特集 2011 》

と大きく見出しされた【YAHOO! JAPAN】の製作された記事を、
まもなく花火大会が日本の各地で彩〈いろど〉るのか、と思いながら、30分ぐらい見たりした・・。


今朝、朝涼〈あさすず〉のひひとき、玄関の軒下で煙草を喫っていた時、
この花火大会の情景が脳裏の片隅みから、
私のささやかな花火大会で鑑賞してきたことの情景が甦〈よみがえ〉ってきた・・。


私は小学生の高学年の1955(昭和30)年の前後の頃は、
京王多摩川の花火大会に2度ばかり行き、川べりの近くで、
打ち上げ花火を観たりし、『綺麗だぁ・・凄〈すご〉いなぁ・・』とか歓声をあげたり、
仕掛け花火の移ろう華麗な情景に見惚(みと)れたりしていた。
しかし、帰路の電車は満員となり、多くの大人の中で青色吐息のような状況で、
私は子供心でも懲(こ)りたりした。

その後、和泉多摩川は実家から直線の町道をたどると30分前後で歩いて行けたので、
中学生の時に2度ばかり観たりしていた。

二十歳過ぎになると、高校時代の悪友が花火を観たい、と云うので、
この頃、私の母が多摩川のまじかな登戸に住んでいたので、
私は友人を誘ったが、彼は照れ屋であり、私は母からビールの大瓶を2本頂き、
私達は川原に近い土手に座りながら、ビールを呑みながら観賞したのである。

この後は、私が40代の半ば、夏季休暇の時、
家内と山陰から四国の周遊団体観光ツアーに参加した折、
玉造温泉の宿泊し、夕食後のんびりと部屋でくつろいでいた時、
少しばかり遠方の宍道湖の湖上から打ち上げられた花火を偶然に観たのである。
私は和室に横たわり、一時間ばかり観ながら、
『XXちゃん・・こうして観るのが一番・・楽だねぇ・・』
と私は家内に云ったりしていた。


私が55歳を迎える時、民間会社の本社に勤務していたのであるが、
リストラ旋風の中、無念ながら2月に出向となり、
本社に勤めた30年ばかりの後のせいか、失墜感が心の片隅にあり、
まさに都落ちの心情の時であった・・。

夏のひととき、家内と久しぶりに『新百合ヶ丘』駅のまじかな映画館に行った帰路、
小田急線に乗車し、最寄の『成城学園前』駅に向っていた時、
『向ヶ丘遊園前』駅ごろから、雷鳴のような音響が響き、前方の夜空が、オレンジ色に染められ、
偶然に和泉多摩川で花火大会の当日、と私は気付き、苦笑したのである。

そして私たち夫婦は『和泉多摩』駅で途中下車して、
和泉多摩川の川原の近くで、打ち上げられる花火を見上げたりし、
火薬の匂い、煙がまじかに感じられ、花火の包まれた紙の破片が空中を彷徨(さまよ)いながら、
私たちの付近に舞い降りてきた情景を幾たびか体験した。

この帰路、私は気落ちしていた出向の心情が、何かしら吹っ切れ、
これ以降、私は前向きに業務をこなし、5年ばかり奮闘して定年退職を迎えた。


このような私の花火の思いでがあるが、
定年後の年金生活を過ごすと、暑い夏はもとより苦手な上、人出の多いところは齢を重ねるたびに、
なるべく避けるようになっている。

こうした思いなので、夏のひととき毎年、
都心の『隅田川花火大会』がテレビ実況されるので、
家の居間のクーラーの冷気の中で、
家内とビールを呑みながら早めの夕食を頂き、テレビ中継を視聴したりしている。

尚、昨今の私は、夏の花火より、定年後の一年を過ぎた12月の初旬、
秩父の『夜祭』を観に行った時、祭りの終宴として冬の花火に圧倒的に魅了された。
『夜祭』の余情がある中、寒さを増した夜空に幾たびか彩〈いろと〉る情景に、
つたない私でも過ぎ去った人生の愛惜を深めたり、
残された歳月に思いを考えたりさせられたのである・・。


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