夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

京の『祇園祭』、東京の田舎者の私、二年前に訪れた時のささやかな想いでは・・。 【中】

2011-07-16 18:33:12 | 旅のあれこれ
【・・
        第3章 齢を重ねた私の気楽なシティ・ホテルは・・。

私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
家内の要望する京都の夏祭りのひとつの『祇園祭』を検討した時、
市内の洛中にあるシティホテルに宿泊し、それぞれの山鉾建てのある地域で、
未知の祇園祭の前の『宵々山めぐり』、『宵山めぐり』の情景を観たく、
ネット検索しり、旅行会社のパンフレットで見たりした。

一流と称される『京都ホテルオークラ』、『京都ロイヤルホテル&スパ』、『京都国際ホテル』等があるが、
もとより年金生活の東京郊外の田舎者の私としては遥かに高級過ぎて、
高価で予算を超え、その上に恥ずかしながら心身に於いて落ち着けない状況であり、最初に対象外とした。

そして、ある旅行会社の団体観光ツアーで、
『三井ガーデンホテル京都三条』か『三井ガーデンホテル京都四条』で連泊し、
『宵々山めぐり』、『宵山めぐり』、そして山鉾巡行の時は桟敷席の折りたたみ椅子に座り、
ゆったりと観られる企画があり、私達夫婦は好感したのであった。

私達夫婦は洋バスが苦手であり、このホテルは大浴場があり、
私は小躍りしたりした。

シティホテル、或いはビジネスホテル風であるが、
街中で大浴場に入浴でき、程ほどの価格で宿泊できれば、
何よりも気楽で休まるので、私たち夫婦にぴったりと、私は家内に云ったりした・・。

結果として、『三井ガーデンホテル京都三条』に連泊したのである。


『宵々山めぐり』、『宵山めぐり』の夕方から夜の10時過ぎ、
蒸し暑く人波の圧倒的に多い中、観光客として私たち夫婦は、街並みを観て廻り、
汗は流れ、身も心も疲れたり、そして突然の小雨など変わりやすいこの時節の天気に
対処できたりした。

そして疲れを感じたり、小雨の場合は、ひとときホテルに戻り、
宿泊している部屋で洗面し、着替え、少し休息した上で、再出陣するように、
街並みを歩いたのである。


尚、私達の新婚旅行の時は、倉敷、そして六甲山に宿泊した後、京都のホテルに泊まった。
鴨川の川沿いにある『ホテルフジタ京都』であり、
今回、宇治から市内に戻る時、観光バスの車窓から観え、
『わたくし達の新婚旅行の時・・泊まったホテルよ・・』
と家内は私に話しかけてきた。
30数年前の私達の人生の駆け出しの時でもあった。



           第4章 京の奥座敷の貴船の里は・・。

宵山めぐりの16日は、祇園祭のゆかりの社と知られている八坂神社を参拝し、
付近にある知恩院を拝観後、
私たち一同の観光バスは、京の奥座敷と名高い貴船の里に向かった。

わずか40分ぐらいで、山里の情景が観られ、
春の時節には新緑の山並みの情景の中で、山桜が観賞でき、
夏になると清流の水かさは増え、蛍も舞う時節となり、
秋には朱色、紅色、そして黄色の錦繍に染まる中、家並みは菊が咲き、
冬の時節になると、雪が舞い、あたり一面に雪の真っ白な世界に変貌し、静寂な情景となる、
と私は初めて訪れる貴船の里に思いを馳せたりしていた。


このような情景の中で、貴船神社の付近に数多くの食事処、料理旅館が立ち並び、
今の時節は、まじかに流れる川の上に丸太を組んだ上に畳上の席を設けて、
里山の樹木の中に於いて、清流と川風を受けた納涼となる風味に満ちた中で、
昼食として川床料理を頂ける贅沢なひとときを過ごした。

私はビールを呑みながら、料理を頂き、数品は確かに美味であったが、
水の流れをまじかに眺め、ときおり微風が受けたりると、心地よさが増した・・。

そしてこの間、私たち夫婦はもとより団体観光ツアーの一員であったので、
東京駅の集合、新幹線、バスの車中、ホテル内ではお互いに挨拶する程度であり、
こうして昼食の頂いている時になると、何かと隣席の方たち、前の席に座られている方たちと、
談笑を重ね、淡き交流を深めたれした。


この後、家内と貴船神社に参拝し、付近に水占斉庭があり、
御神水と称される大きな石の長方形の箱に水が満たされ、
若き女性たちがノートのような一枚の紙を浮かべていた・・。
私は近づくと、水占○みくじ、と判読でき、おみくじの一種と理解できた。

この状景を見ていた家内は社務所より頂き、まもなく60歳を迎える身なのに、
真剣な面持ちで御神水に浮かべていた。
付近には、若き女性たちの中、6人の50歳前後の女性のグループの方も、少しばかりそわそわし、
それぞれ水占○みくじを手にしていた・・。

そして、おもむろに携帯電話を取り出して、ご自分のおみくじを撮ったり、
記念写真を互いに撮ったりしてポーズをしながら歓声を上げたりして、
私は思わず微苦笑させられたのである。

この後、私たち一同は、バスの車中、山鉾巡行を観る桟敷席でも、
程々にお互いに談笑を重ねたりした。
・・】

                            《つづく》

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京の『祇園祭』、東京の田舎者の私、二年前に訪れた時のささやかな想いでは・・。 【上】

2011-07-16 14:03:59 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦の共通趣味は国内旅行なので、
何かと旅先のこぼれ話、これからの旅行のことなどを話し合うことが多い・・。

昨夜、夕食を頂いていた時、テレビのニュースで、
京都の市内は祇園祭の宵々山を迎えて、夕暮れと共に駒形ちょうちんに明かりが灯され、
市民はもとより、多くの観光客たちが、そぞろ歩きでにぎあっている情景など、
報じていた・・。

そして私たちは、一昨年の2009〈平成20〉年に京の『祇園祭』を観る為に、
京都の市内などを訪れた時、
お互いに思い浮かべて、話したりした・・。

そして、今年も祇園囃子を奏でる中、
16日に『宵山』、そして17日には
祭りのピークとなる数多くの山鉾が市内の中心部を巡行する『山鉾巡行』を迎える、
と私は思ったりした。

この後、私は懐かしむように、このサイトに綴っていた投稿文を読んだりした・・。


序文として、【東京郊外の田舎者、京の『祇園祭』を拝観する前に・・。】
と題して、このサイトに一昨年の2009(平成11)年7月14日に投稿している。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
私達夫婦は家内の要望の京都の夏祭りのひとつの『祇園祭(ぎおんまつり)』を拝観する為に、
明日の7月15日より2泊3日で、ある旅行会社の団体観光ツアーに便乗して、
京都の市内を訪れる。

家内は5月の下旬以来、旅行会社のパンフレット、ネットなどで、
『祇園祭』に関して、詳細に調べたりし、ときおり私に話しかけてきた・・。


私は京都はわずか三回ほど訪れた身であり、ほんのうわべしか知らない。
中学時代の修学旅行は、京都・奈良を2泊3日で有数な名所を観て廻ったりした。
この頃は、団体専用列車の『日の出号』で品川駅より京都駅を往復したが、
京の名所の数々は、おぼろげな記憶となっている。

その後は、大学一年の時、ワンターフォーゲルの夏季強化合宿の10泊11日のテント生活を終えた後、
私は独りで金沢から山陰地方を周遊をした時に、
この間に京都で一日の観光周遊バスめぐりに参加し、市内を観て廻ったりしている。

そして、二年過ぎたの夏、次兄の大学時代の友人が京都の教育出版の会社に勤めて、
次兄と私は招待を受けて、私は次兄と自動車で京都の道のりを往復した。
この頃の東京から名古屋までは、東名高速自動車道が開通前であったので、
国道一号をひたすら走破した記憶が残っている。

教育出版の会社の寮には、貴賓室があり、次兄と私はこの客間に2日間宿泊させて頂ただき、
次兄の友人は日中は勤務があったので、次兄は自動車で各地の名所を観て廻ったりしたが、
私はひとりで市内付近の山里をハイキングのように、歩き廻ったりした。

そして、夜のひととき鴨川の川べりにある川床料理に歓待させて頂き、
微風の中で、三人で談笑しながらビールを呑んだ情景が、
40数年過ぎた今でも、深く心の片隅の残っている。

この頃の私は文学青年の真似事をしたせいか、京都・奈良に関しては、
何かと小説、随筆、歴史書などを読んだりしていたので、
学べば学ぶほど、伝統美の前に、うなだれてしまい、
齢を重ねた今でも多々あり、京の千年の歳月が重く心を占領する時もある。


私は1944〈昭和19〉年の秋,農家の三男坊と生を受け、
田畑、雑木林の多い中で小学時代まで過ごしたので、
サラリーマンを定年退職後は、もとより方(かた)書きもなくなり、
やむなく《調布の里っ子》などと私案の名刺を作成し、持ち歩いたのである。

こうした拙(つたな)い身の私であるので、
国内旅行が私達夫婦の共通の趣味であるが、特に古都の奈良・京都は避けていた。

このような思いであったが、今年の1月下旬に於いて、
奈良の『若草山 山焼き』観る短かな旅行をし、大和路の『西大寺』に寄り、
そして郊外の『長谷寺』と『室生寺』を鑑賞した後、帰路する短かな旅行をした。


さて今回の初めて『祇園祭』の観る短かな旅行に於いては、
家内は15日は提灯飾りが幻想的な山鉾が観られる『宵々山めぐり』、
16日は『宵山めぐり』、そして17日の午前中は『山鉾巡行』を観ることに期待をしている。

私は東京郊外の田舎者であるので、日中のひとときに観光めぐりの際、
京都郊外の宇治の外れにある三室戸寺に於いて、蓮の花が観られ、
京都の奥座敷と知られる貴船の地で、清涼の中で川床料理の昼食を頂けることである。
そして、市内の凛とした中年以上の女性のしぐさを見られたならば、
せめての慰めになるかしら、とぼんやりと思い微笑んでいる。
・・】


そして『祇園祭』を観て旅先から戻った後、
【 京の『祇園祭』、街衆の熱意と限りなく英知の結晶・・。【2009.7.15.~7.17.】 】
と題して、7章に及び投稿しているが、再編集をする。

【・・
           第1章 旅の始まりは、『JR東海』・・。

私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
私達夫婦は家内の要望の京都の夏祭りのひとつの『祇園祭(ぎおんまつり)』を初めて拝観する為に、
ある旅行会社の団体観光ツアーの2泊3日の小旅行を利用し、参加した。

祇園祭の宵々山の15日に、東京駅より新幹線で京都駅に昼過ぎに着いた後、
指定された観光バスで、京都郊外の宇治の外れにある三室戸寺を参拝し、蓮の花を眺め、
この後は宇治川のほとりにある宇治平等院を観賞し、市内に戻り、
街並みの中にあるシティー・ホテルに到着後、夕方から『宵々山めぐり』を自在に観て廻わる。

翌日の祇園祭の前夜祭の16日の『宵山』の日中は、
祇園祭を祭礼のひとつとして管理されている八坂神社の拝観した後、
付近にある浄土宗の総本山と知られている知恩院を参拝する。

この後は、市内の郊外の貴船川のほとりで、昼食として川床料理を頂いた後、
市内に戻り、鉾町の人から、由来などの説明を受けながら、
山鉾のひとつの月鉾に昇り見学ができ、
午後3時過ぎより、各自が自在に特別公開された町家などが街中の情景を観る。

そして祇園祭の山鉾巡行の17日の当日は、
指定された桟敷席で昼食の弁当も頂きながら、ゆっくりと山鉾巡行を拝観した後、
帰京する旅である。


このような旅の日程であり、暑さに苦手な私は期待と不安を心に秘めて、
東京駅を旅立った・・。

新幹線の『ひかり号』の車内で、乗車前に買い求めたペットボトルの『福寿園 伊右衛門 濃いめ』を飲みながら、
そして野菜弁当を食べた時、
前回に投稿した【東京郊外の田舎者、京の『祇園祭』を拝観する前に・・。】と題した中で、
京都を訪れた綴りで、私達夫婦の新婚旅行で京都の鴨川のほとりのホテルに宿泊していたことが思い出し、
この時の投稿文に書き忘れていたことが気付き、少しボケた、と苦笑したのである。

この後、家内がホットコーヒーを飲みたいと私に云ったので、
車内に巡回する若き女性の販売員に私は声をかけた・・。
制服のワンピース、エプロン、首周りのスカーフ、そして微笑み・・、
私は航空の日航、全日空の方たちより、遥かなるセンス、しぐさに瞬時に魅了されたのである。

私は容姿はもとより素敵な感性をお方と感じながら、つややかな黒髪もさることながら、
秘かに見惚(みと)れてしまった・・。
帰路も同じような感覚があったので、JR東海の若き車内販売の方たちは、
まぎれなく日本有数のセンス、しぐさがあると確信を深めたのである。


私は思いがけない心のプレゼントに心酔した後、
隣の車両で喫煙していた時、一枚のポスターを眺めたりした。

《 演歌よりも、
  歌謡曲よりも、
  泣かせる
  ニッポンの歌です 》

と明記されていたので、何のポスターかしらと思い、右側を見たら、

《 万葉集が
  iPOdで
  聴ける時代になったとは。

  企画・JR東海エージンシー 》

と明示され、私は思わず微苦笑したのである。
そして、同じような宣伝文だったならば、私の場合は、

演歌、そして歌謡曲よりも
  限りなく愛された、古来からの歌です。

と綴ると余計なことを考えたりしていた。

このようなことを思案したりした後、まもなく京都駅到着のアナンウンスーが聴こえてきた。


         第2章 京都郊外の宇治の夏のひととき

京都駅に昼過ぎに着いた私たちの一行は、
待機してくれた観光バスで、一時過ぎに京都郊外の宇治の外れにある三室戸寺に向かった。

昼下がりの薄日の射す中、三室戸寺の朱色の柱の山門が観え、
ゆるい坂道を本堂に向かって歩き始めた・・。
右手に広がる庭園は、5月に躑躅(ツツジ)、6月には紫陽花(アジサイ)、
そして今の時節は本堂の前に蓮(ハス)の花が咲く寺とも知られている。

私は本堂の前の境内に多くの蓮が鉢に植えられて、たわわに咲いたりしている情景を眺めていた時、
蓮の花越しに前方にある鐘楼、その後方に観える三重塔を観た時、
このひとつの美景が観られれば充分と思った。
私は仏像に興味がないので、わずかばかり本堂を拝観し、
境内の石段を山門に向かい、下り立った。

左手の庭園は、アジサイの花は刈り取られ、花の時期が終わり、
まもく梅雨明けを教えてくれた。
もとより京都市内は、祇園祭が終えたならば、梅雨明けとなり、本格的な暑さの夏になる、
と何かの本で読んだりしていた。

私は郊外の宇治の外れで、ぼんやりとし、蒸し暑い中を下った。


この後は私達の一行は、バスで移動し、宇治・平等院の駐車場で下り立ったが、
私は阿字池の手前から著名な建築の阿弥陀堂を眺めたり、池に映る阿弥陀堂を見つめた後、
時の実質政権者の藤原道長の栄華を少しばかり思い馳せた。
私はこれ以上の興味はなく、平等院を辞した。

そして、家内と駐車場の近くの茶屋を探したが、
ゆっくりと座れるテーブル席がなく、止む得ず小奇麗なカフェ・テラスに入店した。
私はクーラーの冷気の中で、ビールを呑みながら、
とろろ蕎麦を頂いたが、想像以上に美味しく、心は高揚し、ビールの追加をしたりした。
家内も蕎麦を食べたりしたが、入店前の期待以上に美味しかった、
と私は聴き、お互いに微笑んだりした。

この後、宇治橋で川の水流の速さを眺めながら、
たとえ豊富な水量さえ衰えた千年過ぎた今でも、水流の速さは変わらない、
とぼんやりと思ったりした。

そして、まもなく私たちの一行は宇治を離れ、
市内の中心街にある宿泊先のシティ・ホテルに向かった。
・・】
                            
                                 《つづく》

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朝涼(あさすず)のひととき、思わずひとつの名句に心を寄せ・・。

2011-07-16 08:26:21 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身である。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

定年後は齢ばかり重ねてきたせいか、この時節は5時前に目覚めることが多い。

私の住む街も、日中は30数度の真夏日が続いているが、
早朝のひととき、幾分涼しげな空気につつまれ、
朝涼(あさすず)のひとときを迎えている・・。

私は洗面後、雨戸を開けて、玄関庭の軒下に下り立った。

そして、樹木を眺めたりしながら、煙草を喫ったりし、
紫紅色の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)の花を眺めたり、
塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。

このような時、蝉(せみ)の鳴き声が聴こえ、
蜩(ひぐらし)かしら、
と私は鳴き声のある方に心を寄せたのである。

私は無念ながら俳句を詠(よ)む素養はないが、
有数な俳人の方が詠まれた句を学びながら読むのは、
好きなひとりである。

  ひぐらしや 明るき方へ 鳴(なき)うつり

                      詠み人 暁台

江戸時代の中期の俳人の加藤暁台〈かとう・きょうたい〉が、
遺〈のこ〉されたひとつの句であるが、想いだされたのである・・。

そして、江戸時代でも、このような思いの詠まれたのに驚きながらも、
いつの時代でもこの時節は変わらない、と私は微苦笑させられたりしている。


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