私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
夜のひととき、机の引き出しを整理していたら、片隅に『おみくじ』ひとつが出てきて、
私は読んだりし、微苦笑を重ねたりしていた・・。
平素の私は、実家は仏教の曹洞宗であるが、神社の神様や仏閣の仏様にすがることなく、
参拝した時は手を合わせる程度であり、
何よりも書家・詩人の亡き相田みつを氏の遺(のこ)された格言を日頃から学び、信愛して過ごしている。
そして、私たち夫婦は神社に参拝した時、
家内は殆どおみくじを買い求めたりするが、私は3年に一度ぐらいは、
たわむれに購入して見ることがある。
こうした時は、中吉、小吉が大半であるが、ときには大吉もあり、
凶は私が生まれてこのかた66年一度もなく、たぶん『おみくじ』の世界では対象外と思ったりしている。
そして古来より神仏の配慮は、公平な采配、と伝えられているので、
どのような結果であっても気にすることなく、読んだりしている。
私が机の引き出しが出てきた『おみくじ』は、
二年前に京の『祇園祭』を拝観する団体観光ツアーの小旅行に参加した時、
八坂神社の境内の外れで、おみくじのような『名前』で占う、
と大きく明示されていたので、
珍ずらしく、私の名の字を探して、たわむれに購入したのである。
この夜、市内のホテルの部屋で、家内が大浴場に行っている間、
私はビールを呑みながら、こっそりと読んだりした・・。
《・・
貴方の運勢は、貴方の姓名の持つ運命に支配されやすいのですが、
この判断は姓名の「天・人・地」三才の中より、
「地(名前)のみ」による観相ですが
ご参考までに
より良い人生を歩んで下さい
一代的総観は、主役を演じさせるには、シブイ脇役と言った感じです。
一代を評価するには主役の出来の良い悪しによるが、
ご自分の努力懸命なるも主役の評価が悪ければ巻き添えを招くが、
主役良ければ他力本願とも言える周りのアドバイスや協力があって、
信用を得る事ができ、重宝な存在となることでしょう。
貴方は主演でないのに、受け身で相手や周りの注文、出来事に、
いつの間にか被害者になったり、加害者になっている場合もあります。
貴方は補佐的なポストで、人の才能を伸ばすような役割で、貴重視されます。
アクセサリーの如く高価な宝石を生涯にかけて求め、
身に付けなくても持っていたいと言う人もあり、
喜怒哀楽が付いて廻ります如く、
自分は動かずとも求め探し、持つ人の差によって、色々と異なった運命をつくります。
貴方は本当はおとなしい人と思いますが、
生来の見栄張りで、栄光欲が強く、その場の感激やショックで、
遠慮勝な貴方にも似合わず、派手になる傾向も持ち併せていますので?
家庭面、社会面又異性面でも、自分主体より、むしろ人の因縁が原因として、
別離やトラブル、不信、不安が起こる如く、
周囲の因縁が幸せを作ってくれたり、不幸せになったりします。
愛情問題は積極的より受け身的で、
相手任せに強烈な求愛求婚を求めて良いが、
ずるずると抜き差しならぬ泥沼の中へ入らぬように注意する事。
母性的なシブイ相談役で大衆に好かれ、つっかい棒の役割で、
その棒に一生懸命にすがる人も居る事を忘れないで下さい。
お遊び事が好きな為に一生を滅ぼす人も有りますので、
幼少の頃の教育を大切に
職業は人の為に動く保護的な事が良い
弁護士 保母 書士 ホステス アシスタント スポーツのコーチなど
・・》
このように明記されて、最後に厳(おごそ)かに、
政府登録 高島易断 神姫館 泰匠
と明示されていた。
私は東京郊外の調布市で、1944〈昭和19〉年に農家の子として生を受けた。
この頃の私の住む地域に於いては、田畑、雑木林が圧倒的に多く、緑豊かな町村であり、
祖父と父が中心となって、程々に広い田畑を小作人の手を借りて、耕していた。
私は長兄、次兄に続いて生を受けた三男坊で、
祖父と父は女の子を期待していたらしく、今度も男の子か、と命名に困り果て、
不憫に思った祖父は、自身の名の一文字を私に与えてくれた、
と思われる。
このようなことで、名の命名は子にとっては、もとより与えられたことであり、
いかしがたいが、幼児より馴染んだ私自身は、それなりに深い愛着がある。
このような思いもあり、この『おみくじ』のような易断を読んだりし、
ある程度は当たっているかしら、と微苦笑をさせられたのである。
そして、主役ではなく、シブイ脇役で、主役に振り廻される人・・
困るよなぁ、と少しばかり溜息〈ためいき〉をしたのである。
私は無力な年金生活の身であり、残された人生は大幅に変更も出来ないし、
困った、と苦笑したりした。
この後、シブイ脇役でも、せめて主役に振り廻されることなく、
少しばかり存在感のある人になりたい、と無邪気に思ったりした。
もとより誰しもが、人生はやり直しのきかない、と古今東西の古くからの確かな格言であるので、
私の残された人生は、少なくとも目の輝きだけを持ち続けて日常を過ごす、
このくらいが適度な目標かしら、と微苦笑を重ねたりしている。
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私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
朝の8時過ぎに、ぼんやりと玄関の軒下に下り立つと、
それぞれの樹木の枝葉も伸び、草も生い茂ってきているので、
日中も30度ぐらいと予測されているので、少しばかり庭の手入れをしょう、と思い立った。
玄関庭は、この時節は、紫紅色の花の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)がたわわに咲き、
塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花が咲き、
群生させた可憐なピンク色した花が咲く秋海藤〈シャカイドウ〉、
そして枝につぶらなピンク色した花を数多く付けている紫式部〈ムラサキシキブ〉ぐらいで、
あとは雑木の樹木となっている。
10時過ぎより、樹木の剪定を早々と済ませて、難問の草むしりをしたのであるが、
ドクダミの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥だらけになる。
陽射しの29度前後の中、孤軍奮闘していると、
汗まみれとなり、一時間ぐらい過ぎると、玄関の軒下に簡易椅子を置いてに腰かけ、
5分ばかり休憩する。
ときおり微風が吹き、身をゆだねると、心地よく、微笑んだりした。
そして、冷茶を飲み、煙草を喫ったりし、
庭の草むしりの終えた場所を見つめたりし、残りはまだまだあり、
と実感させられながら、昼食抜きで奮戦した。
結果としては、2時過ぎに玄関庭は終了したが、
主庭の手入れには体力の余力はなく、私は断念した。
若き40代のサラリーマン時代は、休日の時に真夏の炎天下の中でも、
7時間ぐらいは気力で、庭の手入れをしたりしたが、
あの頃の自分の若さには適〈かな〉わない、と高齢者2年生の私は苦笑したりした。
そして、お風呂に入った後、家内と共に玄関の軒下に下り立ち、
小綺麗になったわねぇ、と家内から私は云われたりした。
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朝の8時過ぎに、ぼんやりと玄関の軒下に下り立つと、
それぞれの樹木の枝葉も伸び、草も生い茂ってきているので、
日中も30度ぐらいと予測されているので、少しばかり庭の手入れをしょう、と思い立った。
玄関庭は、この時節は、紫紅色の花の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)がたわわに咲き、
塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花が咲き、
群生させた可憐なピンク色した花が咲く秋海藤〈シャカイドウ〉、
そして枝につぶらなピンク色した花を数多く付けている紫式部〈ムラサキシキブ〉ぐらいで、
あとは雑木の樹木となっている。
10時過ぎより、樹木の剪定を早々と済ませて、難問の草むしりをしたのであるが、
ドクダミの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥だらけになる。
陽射しの29度前後の中、孤軍奮闘していると、
汗まみれとなり、一時間ぐらい過ぎると、玄関の軒下に簡易椅子を置いてに腰かけ、
5分ばかり休憩する。
ときおり微風が吹き、身をゆだねると、心地よく、微笑んだりした。
そして、冷茶を飲み、煙草を喫ったりし、
庭の草むしりの終えた場所を見つめたりし、残りはまだまだあり、
と実感させられながら、昼食抜きで奮戦した。
結果としては、2時過ぎに玄関庭は終了したが、
主庭の手入れには体力の余力はなく、私は断念した。
若き40代のサラリーマン時代は、休日の時に真夏の炎天下の中でも、
7時間ぐらいは気力で、庭の手入れをしたりしたが、
あの頃の自分の若さには適〈かな〉わない、と高齢者2年生の私は苦笑したりした。
そして、お風呂に入った後、家内と共に玄関の軒下に下り立ち、
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