夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

原子力行政改革の新組織の発足のニュース、私は余りにも遅い、苦笑させられて・・。

2011-07-17 19:00:11 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ぼんやりと時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたら、

《 来年4月に新組織=原子力規制、8月試案-細野担当相 》

と見出しされた記事を読んで、やっと新組織が来年の4月に発足できたか、
と私は苦笑した。

無断であるが、転載させて頂く。

《・・
      来年4月に新組織=原子力規制、8月試案-細野担当相

細野豪志原発事故担当相は17日、都内で記者団に、
福島第1原発事故を受けて検討している原子力規制に関する新組織について
「8月上旬には試案を出したい」と述べた。

その上で「来年4月に組織が出発できるようにペースを上げて議論したい」と語り、
2012年4月の設置を目指す意向を示した。

原発相はこれに先立ちNHK番組に出演し、原子力安全・保安院の経済産業省からの分離の必要性を改めて強調。
また、「(保安院と内閣府原子力)安全委員会を一緒にしていく。
モニタリングしている文部科学省の機能も一部移行できるのではないか」と語った。

【時事ドットコム】(2011/07/17-15:45)
・・》
注〉記事の原文にあえて改行を多くした。


私は政治にも疎〈うと〉く無力な高齢者2年生の身であるが、
福島原発事故の根源の問題点は、原子力行政にあると確信を深め、
即急に新組織で、国民より信頼される原発体制の構築を願い、3月30日このサイトに投稿している。

その後も、幾たびか投稿してきた・・。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/907a8b5840e20dad357c648b4308e18c
☆【 年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~ 】
    5月19日付【 遅ればせながら、菅首相、『原子力行政は「根本的に見直す」・・』、と発言され、私は苦笑し・・。】

この後も、菅首相は原発問題を政局の梃子〈てこ〉のように使い、国政を弄〈もて〉あそび、
ご自身の延命の為か、幾たびかの幼稚な言動を繰り返したので、
このお方は政権与党の総理なのか、と無力な国民の私さえ、呆れ果て軽蔑し、
菅首相は非国民、と深く感じてきた・・。

今回のニュースにおいて、読みながら、、
私は民間会社の中小業の会社に35年ばかり勤めて定年した身であるが、
根幹の問題は迅速に解決していくことが責務である、と鍛えられたので、
遅ればせながら、やっと原子力行政の改革の発足を知り、苦笑させられたのである。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つたない私は、小庭にある花に心を託して、この熱い時節を過ごし・・。

2011-07-17 12:40:53 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は2004年の秋に民間会社の中小業の音楽業界のある会社に35年ばかり勤めて定年退職後、
その後は年金生活となり、日常は自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。

その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどをあふれる思いとなり、心の発露として、
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。


日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしいる。

こうした生活を過ごしたりしているが、過ぎし9日に平年より早く梅雨明けとなり、
私の住む街も、日中は30数度の真夏日が続いて、大いに戸惑ったりしている。


殆ど毎日り買い物は、最寄のスーパー2店に行ったりして、
駅前まで徒歩で15分コースのスーパー6店は遠のき、
散策も自宅からの近くの遊歩道などを歩いたりしている。

こうした時の私の容姿は、夏用のストレッチパンズの長ズボン、
アロハシャツかスポーツシャツの半そで、ウォーキング・シューズとなっている。

そして夏用の帽子を深めにかぶり、サングラスをして、扇子〈せんす〉を扇〈あお〉ぎながら、
姿勢を正して歩く。

ときおり、遊歩道の外れの大きな樹の下にあるベンチに座り、
川風を受けたりしながら、ハンドタオルで顔の汗を拭いたりして、
緑陰に身も心も寄せて、ひとときを過ごしたりする。


そして帰宅後、洗面所で顔を洗い、作務衣などに着替える。
この後、網戸と簾〈すだれ〉で外気を取り入れ、やがてエアコンの冷風に身を寄せるのが、
昨年までの年の習〈なら〉わしであった・・。

昨今の世の中は大きく変貌して、節電にご協力を願います、と霞が関の方面から聴こえたりするので、
やむなく暑さに苦手な私でも、扇風機、団扇(うちわ)に頼ったりしている。

しかしながら我が家の居間で、室温が30度を超えた時は、
熱中症で救急車にお世話になるのは、高齢者2年生の私でも御免だから、
やむなくエアコンのスイッチを押し、28度に設定している。


こうした中で、政治に疎〈うと〉い私さえ、
菅首相の園児のような言動に軽蔑さえ超えて、非国民、と思い深めている。

北日本大震災の復興の遅延、福島原発を初めするエネルギー難題など、
肝要な政権与党の諸兄諸姉まで混迷を深め、果たして日本は・・憂いたりしている。

無念ながら無力の私は、ため息を重ねることが多くなったりしている。

やむなく私は主庭のテラスに下り立ち、
樹木を眺めたりしながら、煙草を喫ったりし、
アメリカ芙蓉(フヨウ)の白と淡いピンクの複輪で底紅した花が、
3輪ばかり咲きはじめたのを見惚〈みと〉れたりした。

或いは唐糸草(カライトソウ)のピンクのたわわな花穂の芳(かぐわ)しい香りを感じたり、
半夏生(ハンゲショウ)の群生に、梅雨の時節から数枚の上葉が白く染められ、
名残りの花のような情景となっている。

そして、こうした草花たちは、微風が吹くと、少し首を傾(かし)げたように揺れている・・。

この後、ぼんやりと玄関の軒下に下り立つと、
高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)はたわわな紫紅色の花を眺めたり、
或いは塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。
そしてまもなく玉すだれ〈タマスダレ〉の純白な花が咲きはじめると、夏から初秋となる。


こうした情景を眺めたり、心を寄せたりすると、
昨今の社会の騒動も遠い世界の出来事のように思え、隠遁者のような心情かしら、と微苦笑している。

この後、ぼんやりと高齢者の私でも、清き一票がある、と励ましながら、苦笑を重ねたりしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京の『祇園祭』、東京の田舎者の私、二年前に訪れた時のささやかな想いでは・・。 【下】

2011-07-17 00:27:57 | 旅のあれこれ
【・・
       第5章 宵山の日、山鉾のひとつ『月鉾(つきほこ)』の囃子舞台に上がれば・・。

京の奥座敷と名高い貴船の里よりで市内に戻ると、
私たち団体観光ツアーは特別実感サービスとして、山鉾のひとつ『月鉾(つきほこ)』のご好意により、
囃子(はなし)方が座られている二階のような囃子舞台に上がれることとなった。

30代の若き男性より、概要説明を受け、
私達は二階から『月鉾』までの間をあたかも渡り廊下を渡り、
囃子(はなし)方が着席する六畳ぐらいの囃子舞台に移動した・・。

そして、60代の世話役のような男性より、
屋根裏は草花図は円山応挙の筆に寄る江戸中期、
車輪の上にある基本部分の周囲に胴懸が飾られ、前方にあたる前懸は、
メダリオン絨毯で17世紀のインドの優良品です、
と優しく解説して下さったが、私は無念ながら無知の身であるが、
高価な優美の品、と感じたのである。

そして四方の4本柱なども華やかな飾金具などを眺めたりすると、
まぎれなく京の街人の長年の歳月に引き継がれたさりげない文化の粋、
と実感させられたのである。

この後、私は囃子舞台に立って、下方の大通りを眺めると、平素の二階建てより遥かに高く、
展望に良く、街並みを巡行する心持ちとなったりし、
心の中で秘かに微笑んだりした。

『月鉾』を降りた処で、厄病災難よけの『ちまき』まで頂き、
感謝しながら受け取ったのである。


この後、家内と一旦ホテルに戻り、身支度を改めた後、散策した。
昨日の宵々山めぐり、と同様に、鉾町周辺マップを見ながら、
数多く指定場所にある山鉾を観たり、人出の賑わう街並みを歩いた・・。

この街周辺を右手の東側から、左の西側に向う縦の通りを、
大通りの河原町通、そして小路の高倉通、東洞院通、
次の大通りの烏山通があり、そして小路の室町通、新町通、西洞院通、油小路通と覚え、

横軸の通りとして、北から南に向かい、
大通りの御池通、そして小路の姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通、
次の大通りの四条通、そして小路の綾小路通、佛光寺通、高辻通、松原通、
と東京郊外の田舎者の私は歩き、覚えたのである。


こうして、少しばかり蒸し暑く、人出の多い中を歩き廻ったのであるが、
多くの市民の幼児、少年少女、20代から高齢者の市民を見かけ、
祇園祭は市民から限りなく愛され、千年の長い歳月に引き継がれている伝統美を実感したりした。

そして、これだけ多くの山鉾は町衆にささえられている、
とパンフレット、解説書などに明記されているが、
私として町衆よりも、街衆の方が相応(ふさわ)しい、と感じたりした。


何より微笑ましく感じたのは、幼(おさな)き少年少女たちのたどたどしい浴衣姿かしら、
と好感していた。



       第6章 初めて拝観する『山鉾巡行』・・。

私たち夫婦は、15日の宵々山めぐり、16日の宵山めぐりに於いて、
鉾町、その周辺を歩いたし、数多くの鉾を眺め、町屋のそれぞれの家の貴重な品
を拝見させて頂いた。
そして山鉾のひとつ『月鉾(つきほこ)』のご厚意により、
囃子(はなし)方が座られている二階のような囃子舞台に上がれ、
余りの高さに私は驚いたりした。
その上に厄病災難よけの『ちまき』まで頂ただいたりした。


そして、祇園祭の最高潮となる『山鉾巡行』を拝観する為、
旅行会社から指定された大通りの御池通の桟敷席に座り、
先頭の『長刀鉾(なぎがたほこ)』を待ちわびたのは、昼前の11時であった。

朝方のひととき小雨が降り、不安定な天候で少し心配したが、
歩道の樹木から蝉(セミ)の鳴き声が聴こえてきたので、私は安堵したのである。


山鉾が繰り出して、巡行するのであるが、
この御池通の桟敷席に来る途中で、鉾を観た時、
私は木の大きな車輪もさることなから、囃子舞台の上の屋根の上に屋根方の人が座り、
そして屋根から空中にそびえるように建つ鉾の高さに驚いたのである。

鉾の中央部には、榊(サカキ)の枝葉、そして先端に近い大幡、もしくは吹散が風で揺れ、
最先端の鉾頭も大きく揺れている。
そして、木の大きな車輪はギィート音を発てて、少しばかり囃子舞台も揺れる・・。

古来より釘(クギ)を使わず、縄絡みと称される荒縄で木枠などを殆ど縛り、
固定させるのは弾力性ある技法とされている、
と教えられた時は、私はただ敬服させられたりした。


御池通の桟敷席に座り、団扇〈うちわ〉を扇〈あお〉ぎながら待っていた時、
かすかにコンチーチキンの音色が微風の中から聴こえ、
先人には羽織を召された長老格の人たち、
わずか後方に鉾を曳かれる若手の男性の40名前後の曳手が観えた・・。
そして木の大きな車輪の傍に車方の男性、曳子と車輪の操作の上に立つ音頭取のふたり、
囃子舞台に着席している囃子方の30名以上の方たち、
最前列には生稚児が時折乗り出すようにふるまいをされたりし、
そして屋根に座っている屋根方の4名・・。

こうした配列で鉾が通り過ぎ後、ぼんやりと私が加入させて頂だけた場合、
どの役目ができるかしら、と思ったりした。

屋根方は高いので怖いし、車方は木の大きな車輪の傍では更に危険で怖いし、
音頭取は二枚目を要求された上、指揮官の責務があり、当然のことながら論外となる。
そして囃子も不器用な私は無理だし、残りは先人の羽織を召した長老格、
或いは若手に混じって曳手しかない、と心の中で苦笑したのである。


このように幾重の『函谷鉾(かんこほこ)』、『四条傘鉾(しじょうかさほこ)』等を拝観したが、
ときおり最先端の鉾頭も大きく揺れ、鉾の先端に近い大幡、もしくは吹散が風でたなびき、
少しばかり囃子舞台も揺れ、木の大きな車輪はギィート音を発てていた・・。
もとより伝統の技法が受け継がれて安心であるが、迫力を感じたりした。


私は初めて京の『祇園祭』を拝見したが、
市民の少年少女より高齢者までのひとりひとりの熱意で千百年受け継がれ、
たえず創意工夫を重ねた結果が、今日観せて下さった情景である、
と深く思いながら、こうした歴然と受け継がれてきたことは稀(まれ)なことである。

こうしたことが伝統美のまぎれない証(あかし)となり、
私のような東京郊外に住む人さえ、魅了させてくれる確かな源泉、と感じたりした・・。


        最終章 旅の終りの京の和菓子は・・。

私たち夫婦は、大通りの御池通の桟敷席に座り『山鉾巡行』を拝観した後、
私たちは団体観光ツアーの一員であったので、指定場所に集合し、
観光バスで京都駅に向った。

私たちが乗車するのは、京都駅15時29分発の東京駅行き『ひかり』であり、
駅構内に着いたのは、一時間半前であったので、一時的に散会することとなった。

そして私たちのグループは、お互いに旅行バックに幾つかの手提袋を提げていたが、
家内はこの旅行で淡き交流を重ねた女性グループの三人の方たちと、
お土産品のあれこれで、談笑をしていた・・。


私は呑兵衛のひとりであり、こよなく酒を愛するので、
甘い物は苦手で、和菓子、洋菓子は日頃から余り食べない。
しかし旅行先などで煎茶、抹茶を出して、和菓子を食べさせてくれる処では、
家内と共に頂く。

私は和菓子については、無知であるが、
季節感がかもし出されていれば、最良と思ったりしている。
旅先で和菓子の買い求める場合、
その地で長い歴史を育(はぐく)んだ老舗の和菓子店をなるべく購入する。

その地に生まれ、人々から買い求められ、
味そのもの長年培(つちか)われた和菓子となっているので、
まぎれない和菓子と私は確信している。

そして和菓子は、その地の風土、文化を代表するひとつと思っている。


このように日頃から確信しているが、
今回の京和菓子は家内が旅行前に選定していたので、
『山鉾巡行』を拝観する前に、家内のお供のような身となって、
大通りから外れた老舗に行った。

高倉通蛸薬師上ル和久屋町にある『亀廣永』という看板があり、
『 したたり 』という和菓子を家内は買い求めていた。


そして私たちは16日の宵山めぐりの際、街並みを散策していた時、
家内に誘われ、錦小路に寄った。
私は初めて通る小店が並ぶ小道であったが、日頃から漬物は大好きなひとりであったので、
私はある漬物店に寄った。

私たちは三品ばかり賞味させて頂き、私は心身波長に合う、と家内に云った後、
家内は七品ばかり買い求めていた。
商品の袋には、《 うちだの京つけもの 》と私には読めた。

このような買物をしたりしたが、我が家は2人だけの家庭であり、
これで充分と思ったりしている。
私は、この時節の和菓子の老舗の『亀廣永』の『 したたり 』、
そして漬物の『うちだの京つけもの』の七品となった。

その上、山鉾のひとつ『月鉾(つきほこ)』のご厚意により、
厄病災難よけの『ちまき』を2本を頂いたのである。


帰宅後、私は近くに住む実家の長兄宅にお土産として、
和菓子の『 したたり 』を持参し、そして厄病災難よけの『ちまき』一本を添えたりしていた。

                           《終り》

・・】 

このように私は2年前に投稿していたのであるが、
改めて読み返すと、ささやかな旅でも、ひとつ一つの情景が蘇(よみがえ)たりする。

そして私がデジカメで撮った百枚を超えた断片な情景シーンと違い、
その時の私の心情が発露されているので、私は写真などの掲載は不要と思い、
日本の古来からの散文の世界で、言葉だけで表現する力を信じているひとりである。

つたない私の投稿文が読んで下さった方に伝わらなかった場合は、
もとより私の文章の表現不足であり、文章修業に精進しなさい、と私は素直に受け止める。
                          

下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする