夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

映画『シェーン』を鑑賞し、私の遠い昔の時代に、思いを馳せたりし・・。

2011-07-13 23:40:37 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昼下がりのひととき、居間で映画作品棚の中から、『シェーン』のビデオテープを取りだして、
鑑賞した・・。

もとよりジョージ・スティーヴンス 監督の作品で、昭和28(1953)年に初めて公開されたが、
私は後年の高校時代の終りの頃に、リバイバル興行として上映されたのを、
下校の帰路に、映画館に寄って初めて観たひとりである。

この作品が日本で初めて上映されたのは、確か昭和28(1953)年を過ぎた頃、
私は小学3年生の頃から、ひとりで映画館に行き、東映の時代劇を観はじめていた頃てあった。
この当時の私の住む近くの大きな町の映画館は、
週間ニュース、予告編などが上映されたり、
本編の合間、スクリーンの脇にあったきらびやかな厚手のカーテンが動き、そしてスクリーンは閉じられて、
華やかな銀幕となった情景となり、音楽が流れていたのである。

こうした中、雪村いづみの『遥かなる山の呼び声』、『青いカナリア』などの唄声が流れ、
本編の映画に期待を膨らましながら、
少年なりに華やかな都会のお姉さんの唄声の匂いを感じていたのである・・。

後年の高校生になった頃、『遥かなる山の呼び声』は映画『シェーン』の主題歌だった、
と遅ればせながら知ったのである。

その後、映画『シェーン』を真摯に観たのであるが、
主役のアラン・ラッドより、悪役のジャック・パランスに圧倒的に魅了されたりした。

この前後の時代は、映画館に於き、リバイバルを含め西部劇だけでも数多く上映されていた。
『駅馬車』、『荒野の決闘』、『真昼り決闘』、『大いなる西部』、
『OK牧場の決斗』、『リオ・ブラボー』、『アラモ』など満天の星空のように上映され、
私は高校の下校の時、日比谷とか新宿の映画館で観たりしていた・・。


今回、映画『シェーン』を45年以上振りに観賞したのであるが、
あのようなシーン、セリフがあったのかしら、と微苦笑させられたのである。

もとより私の青春期からサラリーマンの時代、そして年金生活の現在まで月日が過ぎているので、
忘れ去ることも多いが、やはり名作のひとつは、この齢になっても、
教示させられることがある。
そして、この作品は昭和28(1953)年の少し前に、
アメリカであの当時、西部劇のゆうしゅうが制作されたことに思いを重ねたりしたのである。

私は、ジョージ・スティーヴンスの遺〈のこ〉された作品は、
『陽のあたる場所(1951年)』、 『シェーン(1953年)』、 『ジャイアンツ(1956年)』、
『アンネの日記(1959年)』 、『偉大な生涯の物語(1965年)』とたった五本の作品しか鑑賞していないが、
最良の作品は『陽のあたる場所(1951年)』であり、
完成度が未熟であるが好きな作品としては『ジャイアンツ(1956年)』である。
しかし、あの時代に制作された『シェーン(1953年)』は名作と感じている。


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『世の中を 美しと見し 簾かな 』と名句、私は朝涼(あさすず)のひとときに思い浮かべ・・。

2011-07-13 14:40:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
東京の郊外は、雲はぽっかりと幾重かは浮かんでいるが快晴の夏空を迎えている。

日中は昨日と同様に33度前後の真夏日となっている。

この時節、我が家では、簾〈すだれ〉を各部屋に掛けている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾〈すだれ〉とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾〈すだれ〉としている。

朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾〈すだれ〉にして、風を通したりしている。

私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
或いはソファーに座り、庭を眺めたりする時、ほのかな暗さを通して、
樹木、草花が涼しげに見えるのである。

先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきたことを思い浮かべたりしていた・・。


     世の中を 美しと見し 簾かな

                     作者・上野 泰


この句は、私が定年後に長谷川櫂〈はせがわ・かい〉氏の著作された本より導かれて、
初めて知ったひとつ句である。

氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。

《・・
陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。
・・》

詠(よ)まれた俳人・上野 泰 〈うえの・やすし〉氏は、
1918〈大正7〉年に生を受け、1973〈昭和48〉年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、
遥か彼方の古人の女人たちへの情念、そして愛惜を深く感じたりしている。

私は庭の樹木、夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさ、ときおり言葉を重ねる顔立ちに、
思いを馳(は)せたりしている。


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