夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

松本清張の『講演会』のひとつ、作家の人生経験派、書斎派の文学論を発露、私は学び・・。

2011-07-19 14:00:02 | 真摯に『文学』を思考する時
私は総合月刊雑誌の『文藝春秋』を少なくとも1970〈昭和45〉年の春から購読しているひとりであり、
過ぎし10日に発売された8月特別号を、読みかけていた本を中断して、その日から読んだりした。
もとより月刊誌なので、旬の記事が多いので、優先的に読んだのである。

今回の本誌の中に、特集のひとつとして、『心に灯がつく人生の話』と題され、
今こそ聞くべき名講演10、と副題が付き、作家を中核に10人の方が、
数多く『文藝春秋の講演会』が行われてきた中から、厳選された講演の内容が掲載されていた。

私はこの10名の方が講演で述べられたことを教示されたが、
特に10日近く過ぎた今でも、思考させられているのが、
作家・松本清張〈まつもと・せいちょう〉氏が1987〈昭和62〉年10月31に、
高松市・四国新聞社ホールで語らえた講演の内容である。

氏は菊池寛〈きくち・かん〉氏を信愛していることは周知のことであり、
私なりに少しは理解できていたが、

《・・
〈菊池寛〉・・ともかく人生の裏、人間の裏、あるいは悲喜、哀楽こもごも、
そういったものを全部彼は体験して、そして小説家になっております。

〈略〉

・・菊池寛の小説の作り方、これも大きな教訓であります。
もし私がもう少し早く生まれ、あるいはもう少し早く菊池寛と機縁をもつということがあったならば、
私は菊池先生の門下生になっていただろうと思う。

しかも門下生の中で、もっとも俊英をもって鳴る地位を得たと思う。
というのは、菊池寛の境涯と私の境涯はよく似ている。
したがって、感情がよく似ているからであります。
・・》
注〉本誌の276、278ページ引用。
 記事の原文にあえて改行を多くした。

ここまで松本清張氏が菊池寛氏に深く親愛していたことには、驚かされたのである。


そして松本清張氏は、夏目漱石、芥川龍之介の両氏の文学を語られているのに、
私は幾度も読み返したりした。

《・・
漱石は英文学の大家であります。
その英文学の知識から、小説を作っておる。

〈略〉

菊池寛は痛烈に批判をしております。
〈略〉・・要するに頭で考えたものだ。
非常に気の利いた逆説といいますかパラドックスというんですか、
普通の言葉でなくて、喩〈たと〉えが気が利いている、ということ。

身振りで読者の人気を集めようと試みているにすぎない、と菊池寛は書いている。


芥川・・〈略〉・・みんな書物の書物の上の知識で小説を作っている。
・・
芥川の小説は、絢爛たる文章がちりばめてあるために、
非常に文章の巧緻、機知、そういうものが主体となっている。
芥川の人気は、そういうとこにあると思う。

〈略〉

〈芥川は〉しまいに、自分の将来に不安を持つようになる。
「ぼんやりとした不安」であります。

・・〈略〉・・私は、もう種が尽きたんだと。
まだ年が若うございますから、これ以上生き延びていくのには、
相当な努力をしなければならないのに、すでに才能が枯渇していた。

枯渇の理由は、頭で考えたからであります。
生活から出た経験はひとつもないから。
そうすると、源泉であるところの知識が枯れると、作品も枯れてくる。
・・》
注〉本誌の276、277ページ引用。
  記事の原文にあえて改行を多くした。


このことに関しては、本誌の中で、
この講演を明治大学教授の齋藤孝〈さいとう・たかし〉氏が解説を寄稿され、
この菊池寛と松本清張、そして夏目漱石と芥川龍之介について、
《・・
「人生経験派・リアリズムの菊池寛・松本清張」対「書斎派の夏目漱石・芥川龍之介」
・・》
と短適に明記されていたので、私は感心させられたりした。


私は作家の講演会を一度も拝聴したこともないが、
かの松本清張氏が、ここまで真摯に文学論を発露されたことに、ただ敬服するばかりである。


私は1944〈昭和19〉年に東京郊外の農家の三男坊として生を受けて、
幼年期、家の中には本といえば、
農協から発行されていた『家の光』しか記憶になかった。

その後、小学、中学生の時は、劣等生であり、ただ小学3年の頃から独りで映画館に行き、
映画に圧倒的に魅せられ、これ以降は映画の愛好者のひとりとなった・・。
そして、高校になると、突然に読書に目覚め、小説も乱読し、習作の真似事もした。

この間、映画専門誌の『キネマ旬報』なども愛読し、シナリオにも関心をもち始めて、
シナリオライターになりたくて、大学を中退したのが、1964〈昭和39〉年の秋であった・・。

まもなく養成所の演出コースに入所して、映画青年の真似事をしたりした。
その後は講師の知人のアドバイスにより、小説の習作を書き始めて、文学青年の真似事をした。

そして、契約社員、アルバイトをしながら、習作に励んだりし、
純文学の新人賞に応募したが、最終予選の6編の直前で3回ばかり落選し、
あえなく敗退し、挫折した。

この後、1970〈昭和45〉年にある民間会社に中途入社し、35年ばかり勤めて定年を迎えた身である。


私は民間会社に入社して10年過ぎた1980〈昭和55〉年の頃に、
松本清張・著『半生の記』を遅ればせながら読んだ時、
私は自身が文学青年の真似事をしていた時、
単なる小説家にあこがれて、努力も欠け、うわべの習作だったかと思い知らされたのである。

この『半生の記』は、《・・金も学問も希望もなく、印刷所の版下工として
インクにまみれていた若き日の姿を回想して綴る〈人間松本清張〉の魂の記録である。・・》
と解説されているが、
生活の苦難の中、ひたすら読書を重ねて、真摯に文学をめざした状況を感じ合わせ、
私は甘く考えて対処していた、と大いに反省をさせられたのである。

そして多くの作家が発言している通り、
小説は実社会の体験を程ほどに経験をする必要があり、30過ぎてから・・、
と明言が、私は身に沁み、
若き20代の前半に習作した内容は、単に言葉を並べた散文で、構成力も弱いうわべの習作であった、
実感させられたりした。


私は1970〈昭和45〉年にある民間会社に中途入社してから、
小説を読むことは少なくなり、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などが圧倒的に多く、
定年後の年金生活でも読書が最優先としている。
そして、居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには勤めていた会社が音楽業界だったせいか、音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

しかし、生活費に気にすることのない愛好者のひとりであるので、身も心も楽であるが、
かって若き頃の映画・文学青年の真似事をしていた時代、
アルバイト、契約社員をしながら、ときには本を買うために一食抜いて、お金をためて、
購入して熱読した時もあった。

もとより根気と独創性も欠け、そして才能もなく、ただ熱望した時代であり、
敗退した身であるが、なぜか今の私には眩〈まぶ〉しく懐かしく感じることもある。


尚、昨今に於いて、風の噂によると、
大学の文学部の生徒の中には、夏目漱石の作品を読んだことのない生徒も一部にいる、
と聞いたりすると、
嘘だろう・・そういう人は文学部に入学志望をするはずがない、
と私は商学部を中退した身であったが、深く思ったりしている。


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