夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

齢ばかり重ねた私でも、秘かに10数年、慈父のように敬愛している人生の師は・・。

2011-07-24 20:14:12 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


私は神や仏様にすがる気持ちは、日頃から持ち合わせてないが、
神社仏閣を観た時は、そぉっと手をあわせている程度の男である。
しかしながら、ある方の言葉の前には敬愛する余り、神や仏様より高い存在となっている。

書家で詩人であった今は亡き、相田みつを氏で、
彼の遺〈のこ〉された言葉を毎日、早朝のひととき居間で心の中で読んで、
私の拙(つたな)い心を戒(いまし)めている。

居間にあるビデオケースのひとつの上に置いて、
本日のお言葉を読み、手を合わしたしている・・。


私は1999〈平成11〉年の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親と、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、
ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。

『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを
と署名されていた。

私は左下に『相田みつを作品集』、と読みながら、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、
遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。

《・・
  ただいるだけで

  あなたがそこに
  ただいるだけで
  その場の空気が
  あかるくなる

 あなたがそこに
 ただいるだけで
 みんなのこころが
 やすらぐ

     そんな
     あなたにわたしも
     なりたい

                 みつを
・・》

この言葉が表紙を捲(めく)った後、
最初のページに掲載され、瞬時に圧倒的に魅了されたのである。


私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、
私の父は小学2年の時に病死されたこともあり、
この日以来、私はこのお方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたのである。

この作品集は、『トイレ用日めくり』、と明記されて折、
その日に応じたページに、さりげなく深い人生の教訓の言葉、そして特有な書体で書かれている。

その後、私は彼の遺されたた『じぶんの花を』、
『いのちいっぱい』などの作品を拝読し、
ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。


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