夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

戦争を知らない無力な私でも、広島に向かい、黙祷をして・・。

2011-08-06 11:23:20 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
洗面した後、玄関庭に下り立ち、襟を正して黙祷したのは朝の6時過ぎであった。

私は1944(昭和19)年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
敗戦となった8月15日からは、ほぼ一年前になるので、
戦争を知らない世代となる。

しかし、少なくとも沖縄戦が事実上集結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、9日の『長崎被爆』、
15日の『敗戦記念日』は、黙祷をして35年は過ぎている・・。

そして、かの大戦で余りにも多くの方たちが亡くなわれて人々に哀悼の意を表して、
黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。


今朝8時15分少し前、私の住む調布市では、
近くの高台の拡声器からは、
『広島に原爆を落とされた日です・・
皆様で・・亡くなわれて多くの人たちに・・哀悼の意を表して・・黙祷しましょう・・』
とゆったりと判りやすいように、伝えられた・・。

私は思わず、姿勢を正して、広島の方面に手を合わせて黙祷した・・。

その後、私は若き10、20代の少なくとも日本の国民の方には、
本日の6日の『広島被爆』はもとより、
6月23日の『沖縄慰霊の日』、
8月9日の『長崎被爆』、
そして8月15日の終戦記念日と称された『敗戦記念日』・・
こうした現実が過去の日本にあった、と認識して欲しい、固く願っているひとりである。



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我が家の居間にあるエアコン、この熱い時節に10数年奮戦し、やむなく敗退宣言をして・・。

2011-08-06 00:41:44 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

我が家のエアコンは、一階の居間の17畳ぐらいの広さに壁掛けのセパレート型の冷房専用機があり、
二階の和室兼寝室の6畳には、通常の壁掛けの暖冷房のセパレート型がある。

一昨日の4日の昼過ぎ、雨上がりの蒸し暑い中、私は買物を終えて帰宅したが、
洗面所で顔を洗い、着替えた後、
居間のクーラーを点けて、冷風に心身ゆだねていた・・。

家内はクーラーの冷風が苦手で、独りでいる時は、32度ぐらいの外温までは殆ど平常であるが、
私は暑さが何よりも苦手なので、室温が28度いじになると、冷風をこよなく愛している。
このような風変わりなカップルなので、この熱い季節になると、
静かな冷たい戦争が、ときおり我が家で発生する。

しかし寒い季節になると、家内は寒がりなタイプなので、
居間の暖房は、ガスファンヒーターで暖かくしているのが平年の状況であり、
私は幼年期に農家の児として育ったせいか、なぜかしら寒さには強く、
微苦笑している。


一昨日の午後3時過ぎ、私が居間の片隅で冷風に身をゆだねていたが、
肝要な冷房専用機のセパレート型の下部から、水滴が落ちはじめて、床を濡らしはじめた・・。
家内が最初に気づき、私はバケツを持ってきた、水滴の落ちるあたりに置いたりした。
水滴がポトリ、ポトリと落ち、どうしたのよ、と私は心の中で叫び、見つめたりしていた。

この冷房専用機は、私が定年退職の4年前の2000〈平成12〉年の初夏に購入し、
遅ればせながら、初めて居間に設置したものである。

私は定年後は買物と散策以外は、殆ど家の中で過ごすことが多い。
読書をすることが圧倒的に多く、ときには映画をテレビを通して鑑賞したり、
或いは音楽を聴いたりすることがあるので、
肝要の冷暖房機がこの熱い時期に10数年に及び奮戦してくれたが、
敗退宣言のように下部から、涙雨の水滴が落ちてきても、困惑するばかりであった。

家内は、寿命かしら、と云ったりし、
やむなく私はネットで最新のエアコンの情報を検索したりした。

そして、私たち夫婦は、昨日の5日にある家電の量販店に開店時をめざして行き、
通常の壁掛けの暖冷房のセパレート型を買い求め、設置日を明日の7日とした。


帰宅の途中、私たち夫婦は食事処で昼食をしたが、
私はビールを飲みながら、エアコンに関して、思いを馳せたりした。

我が家は、二階の和室兼寝室の6畳だけは、
新築した後の3年目の1980〈昭和55〉年の初夏に、
通常の壁掛けの暖冷房のセパレート型を設置した後、
老朽化したので、私の定年退職の一年前に、買い改めたりした。

一階の居間は、家内の冷風に苦手なこともあったが、何よりも家計の住宅ローンなどの重みもあり、
何かと耐久商品の購入の優先度が低くなり、延ばし延ばしとなり、
やっと設置できたのは、私が定年退職の4年前であった。

この間の熱い季節は、居間では扇風機、団扇〈うちわ〉、扇子〈せんす〉が活躍となり、
簾〈すだれ〉も掛けたりして、暑さに対処していた。


私はサラリーマンで数多くの人と同様に多忙で、
帰宅後は、お風呂に入った後、夜の11時過ぎに晩酌をしながら、3品ぐらいの副食を頂き、
今日の出来事をお互いに話し合ったりしていた。
そして冷風のある二階の寝室で寝付いたりしたことが、多かったのである。

休日の時は、私は居間の暑さに耐えられなかった時は、
二階の和室兼寝室で、本を読んだり、テレビを視聴したり、
或いは昼寝をしたりして過ごしたりしてきた・・。

家内は冷風に苦手な身とはいえ、猛暑の時は・・、
このようなことを私は馳せながら、
家内に話しかけたりして、あの当時のことを話しあったりした。


帰宅に向かう途中、エアコンの冷風に享受した昨今、
確かに過ぎ去った日々のような暑さをしのぐ生活にも戻れない、
と私たち夫婦は微苦笑しながら、言葉を交わしたりした。


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