私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
過ぎし19日の金曜日に、朝の9時半過ぎから、風も伴い大雨となり、ときおり雷鳴を響かせ、
数時間後は気温が急激に低下し、驚いたりしていた。
その前日までの1週間は連日の猛暑で、34度前後の残暑厳しい日が続き、
特に18日の木曜日には36度の今年一番熱い日となり、
節電の風潮の中の上、勘弁して欲しい、と燦々と照らす陽差しを
恨めしげに見たりしてきたひとりである。
19日のたった一雨(ひとあめ)の強い雨で、
私の住む地域でも、朝の30度から昼下りには涼しげな23度となり、
乾ききった地面、樹木、そして草花も潤(うるお)し、清々しい情景に変貌し、
猛暑から初秋に移り変わり、改めて天上の気候の神々の確かな力に、私は敬意したりした・・。
10日前の猛暑の頃は、我が家は雑木の多い小庭の片隅に、
鈴虫が鳴いて、蝉も負けじと盛んに鳴いて二部合唱で朝を迎えていた。
日中になると、蝉がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように元気いっぱいで鳴き響いていた・・。
鈴虫の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、
と私は思ったりしていた。
夕暮れの6時過ぎになると、蝉は鳴き声が途絶えたので、
私は暑さの日中に蝉は盛んに鳴いていたので、
鳴き疲れてお休みの睡眠時間となったと思ったりしていた。
鈴虫は夜行型、蝉は日中型と理解は出来るが、
我が家のコウロギは、耳をすませないと聴きもらすのである・・。
夜のひととき、鈴虫の盛大な合唱の中、コウロギだけは、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
少し遠慮しながら鳴いているのである。
可哀想なコウロギであるが、やがて初秋になれば、
蝉が消え果てるので、ライバルは鈴虫となる。
鈴虫も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願望したりしていた。
この後、過日の19日の恵(めぐ)みの大雨となった後、
小雨が降ったり止んだり、ときには本降りとなって、今朝も小雨が舞い降りている。
古人の人々からは、ひとしきり降ったり、
思い出したかのように激しく降る雨の状況を村雨(むらさめ)と称してきたので、
私はさしずめ夏の名残りの村雨かしら、
と戸惑いながら微苦笑している。
ここ三日ばかりの初秋のような涼しげの中で、
蝉(セミ)はかぼそい鳴き声に変わり、鈴虫だけは元気よく鳴いている。
私に似た愛(いと)しきコオロギは、昨夜は雨宿りしているのか、私は耳をすませたりしたが、
無念ながら、聴こえなく、私は苦笑したりしていた・・。
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過ぎし19日の金曜日に、朝の9時半過ぎから、風も伴い大雨となり、ときおり雷鳴を響かせ、
数時間後は気温が急激に低下し、驚いたりしていた。
その前日までの1週間は連日の猛暑で、34度前後の残暑厳しい日が続き、
特に18日の木曜日には36度の今年一番熱い日となり、
節電の風潮の中の上、勘弁して欲しい、と燦々と照らす陽差しを
恨めしげに見たりしてきたひとりである。
19日のたった一雨(ひとあめ)の強い雨で、
私の住む地域でも、朝の30度から昼下りには涼しげな23度となり、
乾ききった地面、樹木、そして草花も潤(うるお)し、清々しい情景に変貌し、
猛暑から初秋に移り変わり、改めて天上の気候の神々の確かな力に、私は敬意したりした・・。
10日前の猛暑の頃は、我が家は雑木の多い小庭の片隅に、
鈴虫が鳴いて、蝉も負けじと盛んに鳴いて二部合唱で朝を迎えていた。
日中になると、蝉がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように元気いっぱいで鳴き響いていた・・。
鈴虫の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、
と私は思ったりしていた。
夕暮れの6時過ぎになると、蝉は鳴き声が途絶えたので、
私は暑さの日中に蝉は盛んに鳴いていたので、
鳴き疲れてお休みの睡眠時間となったと思ったりしていた。
鈴虫は夜行型、蝉は日中型と理解は出来るが、
我が家のコウロギは、耳をすませないと聴きもらすのである・・。
夜のひととき、鈴虫の盛大な合唱の中、コウロギだけは、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
少し遠慮しながら鳴いているのである。
可哀想なコウロギであるが、やがて初秋になれば、
蝉が消え果てるので、ライバルは鈴虫となる。
鈴虫も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願望したりしていた。
この後、過日の19日の恵(めぐ)みの大雨となった後、
小雨が降ったり止んだり、ときには本降りとなって、今朝も小雨が舞い降りている。
古人の人々からは、ひとしきり降ったり、
思い出したかのように激しく降る雨の状況を村雨(むらさめ)と称してきたので、
私はさしずめ夏の名残りの村雨かしら、
と戸惑いながら微苦笑している。
ここ三日ばかりの初秋のような涼しげの中で、
蝉(セミ)はかぼそい鳴き声に変わり、鈴虫だけは元気よく鳴いている。
私に似た愛(いと)しきコオロギは、昨夜は雨宿りしているのか、私は耳をすませたりしたが、
無念ながら、聴こえなく、私は苦笑したりしていた・・。
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