夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『おひとりさま』の生活に、私がなった時は、果てして私はどのように・・。

2011-08-17 18:42:12 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は、子供に恵まれことがなく家内と2人だけの家庭であり、
そして築後30数年の古惚けた家に住んでいる・・。

平素の私は、煙草を喫う愛煙者のひとりで、スポーツは無縁で散歩するぐらい、
お酒大好きだった呑兵衛の私は何とか卒業して、冠婚葬祭、国内旅行以外は月に一度ぐらいとなっているのが、
昨年の秋からの状況である。

このような齢ばかり重ねぐうだらな生活をしている私は、
私としては家内より早くあの世に行く、と確信はしているが、
こればかりは天上の神々の采配にゆだれられているし、
まして、この世の中は、先のことは何が起きるか解からないので、
一年に何回かは、家内に先立だれた場合のことを考えたりしている。


我が家はたった二人だけの家庭のせいか、
私は家内と日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、
とお互いに確認し合っている。

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが、何よりも困るのである。


こうした時を過ごした後、やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、
都立の大きな公園が隣接した場所で、小さな2DKのマンションに転居すると思われる。
そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の交通機関の利便性のある場所を選定するだろう。

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、1000冊前後に厳選した上、
映画作品のビデオテープ、DVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。


こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、
数冊を購入する。

そして週一度は定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
こうした中でも、私は家内の位牌の代わりに、
定期入れに愛用した革のケースに、家内のスナップを入れて、
いつも持ち歩くと思われる。


こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、月に3泊4日前後で、各地を訪れるだろう。

劇作家のチェーホフの遺(のこ)された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》
と人生の哲学のような名言は、
どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。

やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。

そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの・・、と天上の人となった家内に呟(つぶや)きながら、眠るだろう。


このようなことを昼下がりのひととき、ぼんやりと私は思ったりしていた。


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ときには『おひとりさま』となる私、血液B型の私は気まぐれな日々を過ごし・・。

2011-08-17 13:18:57 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私達のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から2時間ばかりの地で、一戸建ての独り住まいの生活をされている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の直前に主人に死去され、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、7年近くなっている・・。

家内の母は友人たちのグループで、国内旅行、買い物などを楽しんで過ごしたり、
ときおり自身の故郷の新潟県の上越市に里帰りし、同期の人たちと交流を深めたりしている。
確かに80代の初めとしては、身体は衰えても心は元気である、と私は感じたりしている。

このような中で、身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて、年に5回ぐらい6泊前後で、母宅に泊りがけで行っている。

今回はたまたま過ぎし13日(土)より明日の18日(木)まで、5泊6日となり、
家内は孤軍奮闘しているのである。

この間は私は『おひとりさま』の生活となり、のんびりと気ままな独り住まいをしている。


起床は5時半過ぎが多く、雨戸、アルミのガラス戸を開け、簾(すだれ)越し外気を取り入れ、
この後に着替え、洗面をする。
そして、連日の猛暑なので、やむなく主庭、玄関庭にある樹木、草花、そして地面に水撒(みずま)きをして、
朝涼のひとときを享受する。

この後は、私は台所にある市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日を確認して、
指定された道路に面した門扉に置く。

そして、読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりしている。


食事に関しては、夏場であるので家内の料理は事前に辞退し、
私はスーパーで買い物をし、野菜コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
食べたりしている。

肉類などの主食の前に、私は小さめのキャベツを四分の一ぐらい千切りし、
その脇にセロリ、トマト、ニンジン、キュウリを大皿に盛り合わせ、
この特選の野菜の盛り合わせだけは、朝、昼、晩と食べて、
この熱い夏の時節には、身も心にも良いと大量に頂いたりしている。

そして、洗濯に関しては、たまたま昨年の早春に乾燥の機能がある洗濯機に買い改めたので、
オール自動セットとし、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、平素より遅かったりしている。


こうした中で、この猛暑の時は熱中症を避けたく、散策も短めとなり、
平素より居間にいる時間が多くなる。

居間のエアコンの冷気の中で、昼下がりの多くは、
簡易ベットを敷いて横たわり、本を読んだりすることが多い。
月刊総合雑誌の9月号の『文藝春秋』、『中央公論』の読み残した記事、
佐野眞一・著の『されど彼らが人生 ~新 忘れられた日本人 Ⅲ~』(毎日新聞社)、
そして『吉村 昭が伝えたかったこと』(『文藝春秋』9月臨時増刊号)などを読み、
夕寝になってしまう。

夕食後は映画のビデオ・テープ、DVDの作品を映画棚から取り出して、
テレビ画面を通して視聴したり、好きな音楽も大音量で聴いたりしている。

いずれも家内は、大音量が苦手な身であるから、平素は抑制しているが、
この時とばかり、映画の作品、音楽もはある程度の音量でないと、
作品の秘めたる魅感が薄れると固く信じているので、自在にしている。

このような思いでいると、血液B型のせいかしら、深夜の一時過ぎでも、
20世紀の私の愛してやまい映画を鑑賞したりした。

セルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)、
マイケル・チミノ監督の『ディア・ハンター』(1979年)、
フランシス・F・コツポラ監督の『ゴットファーザー(三部作)』(1972・1974・1990年)、
アンリ・コルピ監督の『かくも長き不在』(1961年)を観たりしてきたが、
名作は少なくとも10回を以上鑑賞しても、必ず学ぶところが確かにある、
と思ったりすると早朝の3時になったこともあったりした。

こうした結果、寝不足になり、結果としては夕寝をしてしまうのかしら、
と微苦笑を重ねたりしている。


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