夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

齢ばかり重ねた私でも、ときには家内の買物にボディ・ガード、荷物持ち、お供となり・・。

2014-12-12 17:35:52 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の70歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

我が家の平素の買物は、私が年金生活を始めて以来、私は自主的に専任担当となり、
近くのスーパー、駅前のスーパー、専門店などに殆ど毎日独りで出かけている。

こうした時は 新聞に添付されたスーパー、ドラック・ストアー、ホーム・センターなどのチラシ広告に、
家内は赤いサインペンで、大きく丸印を付けたりする。

我が家は家内が丸印を付けた品は、買物専任者の私としては購入の必須品となっている。
そして私が買物先の店内で魅せられた食料品を追加として、買い求めるのが鉄則となっている。

こうした中で月に一度ぐらい日常の雑貨品、或いは婦人に関する化粧品、小物など家内が出陣し、
季節が変わる頃、年に4回ぐらいデパートで衣服、小物品を買い求めに外出するが、
こうした時は美容院とか病院に行く以外は、殆ど私が付いていく。

私は何かと家事の大半は家内をしてもらっているので、
せめて家内のボディ・ガード、荷物持ちをして、お供をしなければ、
一家の主(あるじ)としての責務が果たせない、と私は齢を重ねるたびに深めたりしている。
       

昨夕、家内から、明日買い物に行きませんか、と私は告げられた。

何かしら年末に向けて大掃除を始めたら、台所、お風呂場、洗面所など雑貨品などを買い求める主旨であった。
『はい! 了解しました・・行きましょう!』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく大きな声で応(こた)えた。

私は2004年(平成16)の秋に定年退職した直後から<多々の理由で年金生活をし、
やがて65歳の高齢者の身になった頃から、何かと世情に疎(うと)くなっているので、
ボケてはいけない、と家の中でも明るく大きな声で家内と会話することが多くなっている。
       
 
私は現役時代の緊張感から解放されて以来、身過ぎ世過ぎの年金生活の身であるので、
買物、散策をしたりする往復路で、ご近所の奥様の数人と立ち話をすることが多く、
私の秘かな楽しみのひとときとなっている。

こうした時、確か5年前に、あなたは演歌歌手の吉幾三〈よし・いくぞう〉さんに似てるわ、
と言われたりした。

私は顔立ち、大きな声で明るくユーモアをまじえながら話すことは確かに似ているが、
しかしながら私は歌を唄うことは、NHKの『素人のど自慢』に準拠すれば、
どう贔屓目に見ても鐘ふたつぐらいで、
吉幾三さんを思い浮かべて、申し訳ございません、と心の中で詫(わ)びることもある。

今朝、どんよりとした曇り空の朝を迎え、午前の9時半過ぎに家を出て、
徒歩15分ばかりホームセンターに向かった。

私は冬のスポーツシャツの上にフリースのジャケットを着て、家内は薄紫色のセータを着たりしていた。

そして落葉樹のあまたの朱紅色、紅色、黄色、茶色などに染められた葉は
半分ぐらい落葉して、路上の片隅に吹き寄せとなったりしているので、
晩秋も終わり、初冬の季節になったよねぇ、と私は家内に言ったりした。
       

やがてホームセンターで2時間ばかりで買い求めて、翌日に配達依頼をした後、
家内が探し求めている二品ばかりがなく、
もう1店のホームセンターに行くために、路線バスを利用して向かった。

その後は、駅前のスーパー、ドラック・ストアーで買物した後、
午後1時半過ぎに昼食としたが、何かしら最近に開店したカリブ海地域風の料理店であり、
私たち夫婦は久々に風味が合わず、互いに微苦笑したりした。

やがてホーム・センターで家内求めていた品に巡り合えて、
帰宅したりは3時過ぎであった。

そして私は、少し疲れたょ、と私は家内に言ったりし、
家内は何かと自宅でゆっくりと過ごすことの大好きなタイプの為か、
わたしも疲れたわ、と家内が言ったりしたので、互いに微苦笑したりした。


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