私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳となった身であるが、
ここ2週間前の頃から、新聞の折込みのデパート、スーパーのチラシで、クリスマスの贈り物などが掲載されていると、
高齢者の私でも、微笑んでしまうのである。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
先ほど、ラジオから懐かしい山下達郎さんの『クリスマス・イブ』の歌が聴こえたりした。
この後、ぼんやりと私たち夫婦のクリスマスを迎えた頃を思い浮かべたりした・・。
過ぎし40年近い昔、私たちの結婚前の交際時には、クリスマス・イブの時にも待ち逢いして、
私は少し背伸びをして、高級な食事処を誘って、
ワインなどを呑みながら、イタリア料理かフランス料理、或いはインド料理などを頂いていた。
そしてプレゼントを交換したりしていた。
その後、結婚して2年が過ぎた頃から、
私は退社後にプレゼントを買い求めて、カードにささやなな一文を認〈したた〉め、
ケーキを購入して、我が家に帰宅してたりした。
この後は、一軒家を建てて、ローン返済で苦汁していたので、
せめてケーキだけ購入して、帰宅していた。
私が40代の頃には、家内に何か欲しい品、とやんわりと訊(き)いたりしていたが、
必要な品は、デパートで買い求めているので必要はない、
できたら旅行に行って温泉にゆっくり・・と要望されたりした。
この当時は私は多忙であったのは、40代の後半の頃から、業務が幾分空〈す〉いた2月頃に、
冬の旅をして、家内の念願に応〈こた〉えたりしていた。
定年退職後の年金生活に於いても、我が家はプレゼントの品よりも、
観光ホテルに滞在して、ゆっくりと温泉を満喫することが多い。
このように我が家はクリスマス・イブは、旅先以外の年は、
ささやかな室内飾りをして、平素より幾分多めの料理を私は日本酒を呑みながら、頂いている程度である。
私が山下達郎さんの『クリスマス・イブ』の歌を始めて聴いたのは、
確か1983年(昭和58年)の頃で、この当時の私はあるレコード会社の情報畑で、
開発に奮戦していたが、偶然に他社から発売された『クリスマス・イブ』の歌を聴いた。
メロディーも良いが作詞に瞬時に魅了され、巧過(うます)ぎる歌だなぁ、と感じたりした。
やがて歳月は流れ、何かしらJR東海のCMに盛んにテレビで放映され、
離れ離れの若い男女で、やっと逢える、という情景が、今でも心の片隅に残っている。
後年に判ったことであるが、JR東海のX’mas7 ExpressのCMと知った。
この後、 山下達郎さんのこの曲の唄声を背景に、
毎年のように幾つかの若い男女のせつなく、もどかしい情景が映しだされ、
私は微笑みながら、秘かに若い男女に幸せあれ、と心の中で声援したりした・・。
私はシンガー・ソング・ライターの山下達郎さんに関して、無知な方であるが、
この『クリスマス・イブ』を聴いた限り、まぎれなく天才と讃(たた)えている。
この過ぎしJR東海のCMがテレビで放映されると、
私は、若き男女が冬の天の川のように心寄せながら、
ときめき、もどかしさ、せつなさの恋情を齢を重ねた私さえ感じられ、感銘させてくれるのである。
昨今は携帯電話はもとより、スマホが普及している現在は、待ちわびることは死語となっているが、
若き男女のお互いの恋情の思いは、少なくとも遥か平安時代の頃から、ここ千年変わることないのである。
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ここ2週間前の頃から、新聞の折込みのデパート、スーパーのチラシで、クリスマスの贈り物などが掲載されていると、
高齢者の私でも、微笑んでしまうのである。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
先ほど、ラジオから懐かしい山下達郎さんの『クリスマス・イブ』の歌が聴こえたりした。
この後、ぼんやりと私たち夫婦のクリスマスを迎えた頃を思い浮かべたりした・・。
過ぎし40年近い昔、私たちの結婚前の交際時には、クリスマス・イブの時にも待ち逢いして、
私は少し背伸びをして、高級な食事処を誘って、
ワインなどを呑みながら、イタリア料理かフランス料理、或いはインド料理などを頂いていた。
そしてプレゼントを交換したりしていた。
その後、結婚して2年が過ぎた頃から、
私は退社後にプレゼントを買い求めて、カードにささやなな一文を認〈したた〉め、
ケーキを購入して、我が家に帰宅してたりした。
この後は、一軒家を建てて、ローン返済で苦汁していたので、
せめてケーキだけ購入して、帰宅していた。
私が40代の頃には、家内に何か欲しい品、とやんわりと訊(き)いたりしていたが、
必要な品は、デパートで買い求めているので必要はない、
できたら旅行に行って温泉にゆっくり・・と要望されたりした。
この当時は私は多忙であったのは、40代の後半の頃から、業務が幾分空〈す〉いた2月頃に、
冬の旅をして、家内の念願に応〈こた〉えたりしていた。
定年退職後の年金生活に於いても、我が家はプレゼントの品よりも、
観光ホテルに滞在して、ゆっくりと温泉を満喫することが多い。
このように我が家はクリスマス・イブは、旅先以外の年は、
ささやかな室内飾りをして、平素より幾分多めの料理を私は日本酒を呑みながら、頂いている程度である。
私が山下達郎さんの『クリスマス・イブ』の歌を始めて聴いたのは、
確か1983年(昭和58年)の頃で、この当時の私はあるレコード会社の情報畑で、
開発に奮戦していたが、偶然に他社から発売された『クリスマス・イブ』の歌を聴いた。
メロディーも良いが作詞に瞬時に魅了され、巧過(うます)ぎる歌だなぁ、と感じたりした。
やがて歳月は流れ、何かしらJR東海のCMに盛んにテレビで放映され、
離れ離れの若い男女で、やっと逢える、という情景が、今でも心の片隅に残っている。
後年に判ったことであるが、JR東海のX’mas7 ExpressのCMと知った。
この後、 山下達郎さんのこの曲の唄声を背景に、
毎年のように幾つかの若い男女のせつなく、もどかしい情景が映しだされ、
私は微笑みながら、秘かに若い男女に幸せあれ、と心の中で声援したりした・・。
私はシンガー・ソング・ライターの山下達郎さんに関して、無知な方であるが、
この『クリスマス・イブ』を聴いた限り、まぎれなく天才と讃(たた)えている。
この過ぎしJR東海のCMがテレビで放映されると、
私は、若き男女が冬の天の川のように心寄せながら、
ときめき、もどかしさ、せつなさの恋情を齢を重ねた私さえ感じられ、感銘させてくれるのである。
昨今は携帯電話はもとより、スマホが普及している現在は、待ちわびることは死語となっているが、
若き男女のお互いの恋情の思いは、少なくとも遥か平安時代の頃から、ここ千年変わることないのである。
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