東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
今朝の9時半過ぎに、我が家から3キロばかりにある都立の『神代植物園』を独りで訪れて見よう、
と突然に思い立った・・。
『神代植物園』には、50数年創設以来幾たびも訪ねてきたが、ここ10年の年金生活の中、
四季折々を季節のうつろいを享受してきた。
このような思いから、昨今の数多く椿(ツバキ)の花の彩(いろど)りは・・
或いはクヌギ、コナラなど雑木林の冬木立の情景は・・と思いめぐらして、
『神代植物園』の正門前に到着したのは、11時過ぎであった。
しかしながら閑散として、おかしいよなぁ、と思いながら、
正門の入場券売り場の近くの案内板を見ると、
《・・12月29日(月曜日)~1月1日(木曜日・祭日 休園 》
と明記されていたので、私は少しボケてしまったのかしら、と落胆したりした。
やむなく『神代植物園』のまわりの小道を歩き、
55年前の中学時代の通学路のひとつを歩いたりした。
そして多きく変貌してしまったが、少しばかり原景が残っていたので、
これを頼り歩いたりした・・。
やがて『神代植物園』の深大寺入門に着くと、いつも見慣れた情景に、
微笑みながら眺めたりした。
この後、隣接している『深大寺』に入ると、鐘を撞(つ)く音が聴こえた。
やがて山門(さんもん)の近くにある梵鐘を吊した鐘楼堂(しょうろうどう)に於いて、
ひとりの仏門者が鐘を撞(つ)いていた・・。
私は生家は、仏教の中で多い曹洞宗であるが、
お墓参りは私の母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸ぐらいあり、
散策とか旅先で寺院にめぐり逢った時は、手を合わせる程度の拙(つたな)い身である。
そして何かと単細胞の私は、『大晦日』にはNHKの恒例番組の『ゆく年くる年』に於いて。
確か各地の寺院が映しだされて、こうした中で除夜の鐘が撞(つ)くシーンがあった、と思い重ねてしまった・・。
恥ずかしながら私は『除夜の鐘』に関しても無知な方であった。
過ぎ去り2000年(平成12年)の春、
藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)を購読していた時、
大晦日の夜、日本の各地で除夜の鐘を撞(つ)くが、古来より108回となっていることに関して。
遅ればせながら55歳の時に教示された。
《・・仏教で人間の煩悩(ぼんのう)が、108あるとされる・・
煩悩とは、身体や心の欲望、他人への怒り、ないもののへの執着などとされている。
仏教に於いては、①生まれてくる苦しみ
②年をとる苦しみ
③病気の苦しみ
④死の苦しみ
4大要素を『四苦(しく)』とし、
⑤欲しくても手には入らない苦しみ
⑥愛する人と別れる苦しみ
⑦いやなことをさせられる苦しみ
⑧その他の色々な苦しみ
『八苦(はっく)』があるとされている。
そして、この『四苦八苦』の四苦(4x9=36)と八苦(8x9=72)を加算すれば、108になる。
108回の来歴については、他にも諸説があるが、
一年の様々な思いをかきたてる除夜の鐘は、 旧年中に107まで撞(つ)き、
最後の1回を新年に撞くのが慣例である。
尚、『除夜の鐘』は、中国の宗(960年~1279年)の時代に始まった風習だと云われて折、
『除夜』とは、旧暦で一年の最後の夜のことである・・》
こうしたことを学んだりしたが、私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、その直後から多々の理由から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしているひとりである。
そしてこうした人生の『四苦八苦』の怜悧を深く思案したりすると、
つたない私は、どうしたらよいの、と迷うばかりが本音となっている。
こうした心情を秘めている私は、前方で真摯に鐘を撞(つ)く情景に、
1日早いが、『除夜の鐘』と思い深めて、真摯に拝聴したりした。
余談であるが、私が鐘を撞(つ)く情景にめぐり逢えたは、
当院のご厚意で、たまたま私は12時を告知する鐘であった。
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今朝の9時半過ぎに、我が家から3キロばかりにある都立の『神代植物園』を独りで訪れて見よう、
と突然に思い立った・・。
『神代植物園』には、50数年創設以来幾たびも訪ねてきたが、ここ10年の年金生活の中、
四季折々を季節のうつろいを享受してきた。
このような思いから、昨今の数多く椿(ツバキ)の花の彩(いろど)りは・・
或いはクヌギ、コナラなど雑木林の冬木立の情景は・・と思いめぐらして、
『神代植物園』の正門前に到着したのは、11時過ぎであった。
しかしながら閑散として、おかしいよなぁ、と思いながら、
正門の入場券売り場の近くの案内板を見ると、
《・・12月29日(月曜日)~1月1日(木曜日・祭日 休園 》
と明記されていたので、私は少しボケてしまったのかしら、と落胆したりした。
やむなく『神代植物園』のまわりの小道を歩き、
55年前の中学時代の通学路のひとつを歩いたりした。
そして多きく変貌してしまったが、少しばかり原景が残っていたので、
これを頼り歩いたりした・・。
やがて『神代植物園』の深大寺入門に着くと、いつも見慣れた情景に、
微笑みながら眺めたりした。
この後、隣接している『深大寺』に入ると、鐘を撞(つ)く音が聴こえた。
やがて山門(さんもん)の近くにある梵鐘を吊した鐘楼堂(しょうろうどう)に於いて、
ひとりの仏門者が鐘を撞(つ)いていた・・。
私は生家は、仏教の中で多い曹洞宗であるが、
お墓参りは私の母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸ぐらいあり、
散策とか旅先で寺院にめぐり逢った時は、手を合わせる程度の拙(つたな)い身である。
そして何かと単細胞の私は、『大晦日』にはNHKの恒例番組の『ゆく年くる年』に於いて。
確か各地の寺院が映しだされて、こうした中で除夜の鐘が撞(つ)くシーンがあった、と思い重ねてしまった・・。
恥ずかしながら私は『除夜の鐘』に関しても無知な方であった。
過ぎ去り2000年(平成12年)の春、
藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)を購読していた時、
大晦日の夜、日本の各地で除夜の鐘を撞(つ)くが、古来より108回となっていることに関して。
遅ればせながら55歳の時に教示された。
《・・仏教で人間の煩悩(ぼんのう)が、108あるとされる・・
煩悩とは、身体や心の欲望、他人への怒り、ないもののへの執着などとされている。
仏教に於いては、①生まれてくる苦しみ
②年をとる苦しみ
③病気の苦しみ
④死の苦しみ
4大要素を『四苦(しく)』とし、
⑤欲しくても手には入らない苦しみ
⑥愛する人と別れる苦しみ
⑦いやなことをさせられる苦しみ
⑧その他の色々な苦しみ
『八苦(はっく)』があるとされている。
そして、この『四苦八苦』の四苦(4x9=36)と八苦(8x9=72)を加算すれば、108になる。
108回の来歴については、他にも諸説があるが、
一年の様々な思いをかきたてる除夜の鐘は、 旧年中に107まで撞(つ)き、
最後の1回を新年に撞くのが慣例である。
尚、『除夜の鐘』は、中国の宗(960年~1279年)の時代に始まった風習だと云われて折、
『除夜』とは、旧暦で一年の最後の夜のことである・・》
こうしたことを学んだりしたが、私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、その直後から多々の理由から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしているひとりである。
そしてこうした人生の『四苦八苦』の怜悧を深く思案したりすると、
つたない私は、どうしたらよいの、と迷うばかりが本音となっている。
こうした心情を秘めている私は、前方で真摯に鐘を撞(つ)く情景に、
1日早いが、『除夜の鐘』と思い深めて、真摯に拝聴したりした。
余談であるが、私が鐘を撞(つ)く情景にめぐり逢えたは、
当院のご厚意で、たまたま私は12時を告知する鐘であった。
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