夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

たかが年賀状されど年賀状、その人の顔立ち、言葉づかい、しぐさを思い馳せて・・。

2014-12-13 13:35:21 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住むめ年金生活の70歳の身であるが、
2週間の前の頃から、最寄りの郵便局に立ち寄れば、局内の片隅には年賀状の販売飾りがあり、
やがて年末を迎え、新年のならわしの年賀状か、と微笑んだりした・・。

年賀状の由来なども何かと疎(うと)い私は、遅ればせながら7年前に学んだりした。
知識人の飯倉春武(いいくら・はるたけ)さんが編集された『日本人のしきたり』(青春新書)を購読し、
初めて知り、知らなかったょ、と心の中で呟(つぶや)きながら赤面したりした。

無断であるが前半の部分を転記させて頂だけば、下記の通りである。
《・・もともと年頭には、祝賀を交換する習わしがありました。
やがて年賀のために元旦に上司や目上の人などに家々を回るようになり、
年賀を受ける側も、酒・肴・雑煮などを用意して、もてなすようになりました。

しかし、年賀に行けない人は、年賀のあいさつに手紙に書いて送っていました。
これが現代の年賀状の習慣に引き継がれています。(略)・・》
       

私は齢を重ねるたびに、年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
私の住む地域は、元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。

そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。
          
一番苦笑するのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
 賀正
本年もよろしくお願い致します

或いは
  謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
 
私はこうした年賀状を読ませて頂きながら、少し落胆したりしてきた。

たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、何か創意工夫が必要である、
と思ったりしているひとりである。
       

私は小学生の時、『習字』の授業は怠(なま)けていたので、
今でも毛筆で達筆は遥かに遠い夢の世界であり、羨望するだけとなっている。

或いは『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目であり、
たとえば林檎(リンゴ)の描いても、リンゴ、と明記しないと、
どのように解釈されるか解らないので、不安さを増すばかりなので、もとより避けている。

そしてデジカメで、その人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが無念ながら技量に乏しく、断念している。

やむなく私なり散文で綴り、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案したりしてきた。

この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分け、
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、私なりに工夫した文面を作成してきた。

古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にできない習性となっている。
                 

こうした思いを秘めた私は、今年の新年に頂いた年賀状と晩秋に頂いた喪中はがきを取りだして、
改めて読んだりしていると、お住まいの地を思い浮かべたり、
その人の顔立ち、言葉づかい、しぐさを思い馳せたりした・・。

そして、あの人は・・お元気に過ごされているかしら、と以前にお逢いして言葉を交わした時を
思い重ねたりした・・。

一昨日に小雨降る日中の時、私は何かと愚図の身の為か、
今書き上げなくて、何日書くよ、と天からの声が聞こえて、
私たちの夫婦の近況の知らせる文面を親族、親戚、知人、友人等に数種類に書き分け、
年賀状を完成させたりした。

余談であるが、年賀状の葉書は、インクジェットを使用し、うぐいす色にしている。
そしてご主人を亡くされた未亡人と称されるご婦人、お世話になっている女性には、
温かみのある桃色の葉書を毎年投函している。

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