私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
先ほど、ぼんやりとネットでニュース記事を見たりしている中、
『アベノミクス負担増に打ち勝つ“楽観主義”のススメ』と題された見出しを見て、
どういうことなのょ、と思いながらクリックしてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/71/558dad6c3a479fbb59e9e00e51830bba.jpg)
何かしら哲学者の岸見一郎さんが週刊誌の『女性自身』に談話した記事で、
11月20日に配信された記事と解り、無断ながら転載させて頂く。
《・・「私はこれ以上の消費税増税には断固反対です。
主婦の方もそうだと思いますが、生活者はさまざまなことを肌で感じ取ります。
それは、生活実感のない政治家より、はるかに的確だと自負しています」
そう話すのは、ベストセラー『嫌われる勇気』の著者で哲学者の岸見一郎さん(58歳)。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」が行き詰まっている。
円安による食料品などの高騰や、消費税以外にも負担増が相次ぎ、庶民の生活は厳しさを増している。
将来に備え自分の身は自分で守るしかない。では、どうやって自分の身を守っていけばいいのか?
「ただ、今の政治はよくないと思いますが、悪政だから私たちも不幸かといえば、そうではありません。
経済が上向くことが豊かさだと思い込んでいる方も多いのですが、本当の豊かさは、経済とは関係ありません。
つまり、私たちの幸せは、お金の問題ではないのです。
私たちは幸せになるために、お金にとらわれることをやめなければなりません。
豊かさの見方を変えるのです」
岸見さんは、これまでアドラー心理学を研究してきた。
アドラーは人の考え方について言及している。
人の考え方には3つあり、ひとつは、何をしてもどうにもならないだろうという「悲観主義」。
もうひとつは、時がたてば何とかなるだろうという「楽天主義」。
最後は、自分にできることは何かを考え、できることをやってみようという「楽観主義」だ。
アドラーは、「みんなが楽観主義でなければならない」と言っている。
「お金が足りないなら安い食材を探してみる、安くておいしい料理を工夫する、
ベランダで野菜を育てるなどいろいろ考えて、それらを楽しみながら実行するのです。
どんなに生活が苦しくても大変でも、あきらめてはいけません。
自分が今できることをやり続ければ、自分も世の中も変わるかもしれない。
こう考えると、どんな社会でも生きる希望はなくなりません」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1b/6723c6b062745815fb581f7c2ffd25a1.jpg)
私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、音楽に直接に携わる制作畑でなく、
裏方の商品、情報、経理、営業を配属され、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
しかしながら最後の5年間はリストラ烈風の中、30年間奮戦してきた本社から放り出されて、
出向となり、つたない私なりに失墜感にさいなまわれ、
まもなく自分の敵は自分だ、と自身を叱咤激励して奮闘し、出向先で定年を迎えた。
もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに38年勤め栄進されたエリートとは、
遥かに遠い拙(つたな)い男である。
このように私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多い中で、
敗残者のような状況だったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた。
定年後の年金生活の当初から、私は平素の買物に関しては自主的に選任者となり、
独りで毎日のように最寄りのスーパー、専門店に行ったりし、
ときおり駅前で買物をした時は本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
或いはときおり庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/93/42a3435214e5f06a7aa866069f58dbc0.jpg)
私たち夫婦は恥ずかしながら、スマートフォンはもとより、携帯電話さえも使えなく、
その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁で、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思い、
このように稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
年金生活をしていると、スーツを着る機会もなく、ネクタイは冠婚葬祭ぐらいとなっている。
しかしながら齢を重ねると、きちんとした洋装をしないと見っともないわ、と家内から言われたりしてきたので、
ときおり家内に導かれて、デパートの紳士コーナーで、ブレザーと長ズボンを買い求めたりしてきた。
或いは国内旅行で観光ホテルに5泊6日前後の滞在型で、周辺を歩き回り遊学することが多くなり、
アウトドアの衣服を購入したりしてきた。
いずれも程ほどの高価な品であるが、外出着として数年着た後は、
平素の買物とか散策に愛用したりしている。
その後は私の室内着となり、やがて庭の手入れ時に着たりしている。
こうしたことは靴、帽子、バックなども同様となっている。
私は投稿文を綴っている今、着ている冬用のスポーツシャツ、穿(は)いている長ズボンは、
確か7年前の頃に、アウトドア専門店で買い求めた品で、
少し布地は痛んできたが、あと数年は愛用できる、と微苦笑しながら感じたりしている。
私たち夫婦は、程ほどの品を買い求めたりした後、長年愛用するタイプであり、
世の中の流行に遠のいてしまう、と私は微苦笑したりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7b/9d3f3269733f9f72ecd82f2af7854fb3.jpg)
我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
通常の生活費するのが原則としている。
そして耐久品の購入、共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して、ここ10年を過ごしてきた・・。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
このように私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしているのが、
我が家の実態である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d4/9a4dfb83f37ab796339452a39c6d03da.jpg)
もとより《ゆとりある》生活などは際限はなく、
高齢者は確かな《いきがい》と《健康》そして《気力》を持ち、日々を過ごしているか、
何よりも重要だょ、と敗残者だった私は微苦笑している。
このような年金生活している我が家としては、今回の記事の「悲観主義」、「楽天主義」、そして「楽観主義」、
紹介されていたが、「楽観主義」だよなぁ、と私は心の中で呟(つぶや)きながら、微苦笑したりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
先ほど、ぼんやりとネットでニュース記事を見たりしている中、
『アベノミクス負担増に打ち勝つ“楽観主義”のススメ』と題された見出しを見て、
どういうことなのょ、と思いながらクリックしてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/71/558dad6c3a479fbb59e9e00e51830bba.jpg)
何かしら哲学者の岸見一郎さんが週刊誌の『女性自身』に談話した記事で、
11月20日に配信された記事と解り、無断ながら転載させて頂く。
《・・「私はこれ以上の消費税増税には断固反対です。
主婦の方もそうだと思いますが、生活者はさまざまなことを肌で感じ取ります。
それは、生活実感のない政治家より、はるかに的確だと自負しています」
そう話すのは、ベストセラー『嫌われる勇気』の著者で哲学者の岸見一郎さん(58歳)。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」が行き詰まっている。
円安による食料品などの高騰や、消費税以外にも負担増が相次ぎ、庶民の生活は厳しさを増している。
将来に備え自分の身は自分で守るしかない。では、どうやって自分の身を守っていけばいいのか?
「ただ、今の政治はよくないと思いますが、悪政だから私たちも不幸かといえば、そうではありません。
経済が上向くことが豊かさだと思い込んでいる方も多いのですが、本当の豊かさは、経済とは関係ありません。
つまり、私たちの幸せは、お金の問題ではないのです。
私たちは幸せになるために、お金にとらわれることをやめなければなりません。
豊かさの見方を変えるのです」
岸見さんは、これまでアドラー心理学を研究してきた。
アドラーは人の考え方について言及している。
人の考え方には3つあり、ひとつは、何をしてもどうにもならないだろうという「悲観主義」。
もうひとつは、時がたてば何とかなるだろうという「楽天主義」。
最後は、自分にできることは何かを考え、できることをやってみようという「楽観主義」だ。
アドラーは、「みんなが楽観主義でなければならない」と言っている。
「お金が足りないなら安い食材を探してみる、安くておいしい料理を工夫する、
ベランダで野菜を育てるなどいろいろ考えて、それらを楽しみながら実行するのです。
どんなに生活が苦しくても大変でも、あきらめてはいけません。
自分が今できることをやり続ければ、自分も世の中も変わるかもしれない。
こう考えると、どんな社会でも生きる希望はなくなりません」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/1b/6723c6b062745815fb581f7c2ffd25a1.jpg)
私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、音楽に直接に携わる制作畑でなく、
裏方の商品、情報、経理、営業を配属され、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
しかしながら最後の5年間はリストラ烈風の中、30年間奮戦してきた本社から放り出されて、
出向となり、つたない私なりに失墜感にさいなまわれ、
まもなく自分の敵は自分だ、と自身を叱咤激励して奮闘し、出向先で定年を迎えた。
もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに38年勤め栄進されたエリートとは、
遥かに遠い拙(つたな)い男である。
このように私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多い中で、
敗残者のような状況だったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/d2/e263c2305e9c17579133113e6af64e93.jpg)
定年後の年金生活の当初から、私は平素の買物に関しては自主的に選任者となり、
独りで毎日のように最寄りのスーパー、専門店に行ったりし、
ときおり駅前で買物をした時は本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
或いはときおり庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/93/42a3435214e5f06a7aa866069f58dbc0.jpg)
私たち夫婦は恥ずかしながら、スマートフォンはもとより、携帯電話さえも使えなく、
その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁で、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思い、
このように稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
年金生活をしていると、スーツを着る機会もなく、ネクタイは冠婚葬祭ぐらいとなっている。
しかしながら齢を重ねると、きちんとした洋装をしないと見っともないわ、と家内から言われたりしてきたので、
ときおり家内に導かれて、デパートの紳士コーナーで、ブレザーと長ズボンを買い求めたりしてきた。
或いは国内旅行で観光ホテルに5泊6日前後の滞在型で、周辺を歩き回り遊学することが多くなり、
アウトドアの衣服を購入したりしてきた。
いずれも程ほどの高価な品であるが、外出着として数年着た後は、
平素の買物とか散策に愛用したりしている。
その後は私の室内着となり、やがて庭の手入れ時に着たりしている。
こうしたことは靴、帽子、バックなども同様となっている。
私は投稿文を綴っている今、着ている冬用のスポーツシャツ、穿(は)いている長ズボンは、
確か7年前の頃に、アウトドア専門店で買い求めた品で、
少し布地は痛んできたが、あと数年は愛用できる、と微苦笑しながら感じたりしている。
私たち夫婦は、程ほどの品を買い求めたりした後、長年愛用するタイプであり、
世の中の流行に遠のいてしまう、と私は微苦笑したりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7b/9d3f3269733f9f72ecd82f2af7854fb3.jpg)
我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
通常の生活費するのが原則としている。
そして耐久品の購入、共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して、ここ10年を過ごしてきた・・。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
このように私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしているのが、
我が家の実態である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d4/9a4dfb83f37ab796339452a39c6d03da.jpg)
もとより《ゆとりある》生活などは際限はなく、
高齢者は確かな《いきがい》と《健康》そして《気力》を持ち、日々を過ごしているか、
何よりも重要だょ、と敗残者だった私は微苦笑している。
このような年金生活している我が家としては、今回の記事の「悲観主義」、「楽天主義」、そして「楽観主義」、
紹介されていたが、「楽観主義」だよなぁ、と私は心の中で呟(つぶや)きながら、微苦笑したりしている。
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