私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
年金生活を始めたひとりである。
こうした中で、最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となり、
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたりした。
遠い勤務地に通勤し、やかて半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、
と自身を叱咤激励しながら奮戦している中、出向先の会社も大幅なリストラが実施されたりした。
或いは私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風が加速され、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このように私は敗残者のようなサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
更に私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしてきた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭の為か、
定年退職後の60歳以降は、私は働くことを卒業し、ささやかに年金生活を始めた。
そして厚生年金、わずかな企業年金を基盤に、程ほど貯金を取り崩しながら、
お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく過ごして、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、と願いながら年金生活を開始した。
年金生活を始めた当初、平素の買物は自主的に専任者と家内に宣誓したりした。
そして戸惑いながら買物の責務を終えた後、独りで近所の遊歩道、小公園などを散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
やがて私は、2004年(平成16年)11月中旬に【アメーバ・ブログ】に加入したり、
まもなく幾つかのブログサイトに彷徨(さまよ)い、この【gooブログ】に定着して、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸10年は過ぎて、早や11年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
この間、私は2008年〈平成20年〉の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していた・・。
やがて『にほんブログ村』に於いては、投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、
私の投稿文毎にどのくらい読んで頂いたか、と目安ができるので、ふたたび本加入させて頂いたのは、
2010年〈平成22年)9月下旬であった。
そしてシニア世代の数多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
こうした思い、お考えで日常を過ごされているのか、と深く感じながら、
確かな生きた人生の教科書と教示されたりしている。
こうした中で数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。
そして私も長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受したりしてきた・・。
この間、私は70代の諸兄諸姉のブログを読ませて頂きながら、
ご高齢の方でも、日々を溌剌と過ごされ、投稿文を重ねていることに、驚きながら多々教示されてきている。
中には【浜ちゃんの小豆島写真日記】と命題された小豆島にお住いのこの当時80代(現・92歳)は、
この地域の四季折々の情景、行事、祭り事、日常の生活などを写真を掲載されながら、
原則として日々投稿されていたので、私は愛読者のひとりとして、少なくとも2年半は過ぎている。
そして私は果たして70代の終わりまで生きられるか、
或いは80代になった時はブログ投稿文を重ねられるか、と見上げるように読ませて頂いたりした。
こうした根底には、多く方は70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されているのを学んだりしてきた。
そして私は現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。
やがて私は過ぎし9月下旬に古稀と称される70代の歳となり、
明日への希望と不安を秘めながら、定年退職するまで敗残者だった私でも、
確かな《いきがい》と《健康》そして《気力》を持ち、しなやかに日々を過ごせれば、
と念願したりした。
そして70代以上の方で自助努力も肝要であるが、幸運に恵まれ健康寿命を保った70代以上の方、
その上にブログなどを綴られて投稿される方は、選ばれた方かしら、と思いを重ねたりしている。
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民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
年金生活を始めたひとりである。
こうした中で、最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となり、
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたりした。
遠い勤務地に通勤し、やかて半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、
と自身を叱咤激励しながら奮戦している中、出向先の会社も大幅なリストラが実施されたりした。
或いは私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風が加速され、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このように私は敗残者のようなサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
更に私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしてきた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭の為か、
定年退職後の60歳以降は、私は働くことを卒業し、ささやかに年金生活を始めた。
そして厚生年金、わずかな企業年金を基盤に、程ほど貯金を取り崩しながら、
お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく過ごして、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、と願いながら年金生活を開始した。
年金生活を始めた当初、平素の買物は自主的に専任者と家内に宣誓したりした。
そして戸惑いながら買物の責務を終えた後、独りで近所の遊歩道、小公園などを散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
やがて私は、2004年(平成16年)11月中旬に【アメーバ・ブログ】に加入したり、
まもなく幾つかのブログサイトに彷徨(さまよ)い、この【gooブログ】に定着して、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸10年は過ぎて、早や11年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
この間、私は2008年〈平成20年〉の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していた・・。
やがて『にほんブログ村』に於いては、投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、
私の投稿文毎にどのくらい読んで頂いたか、と目安ができるので、ふたたび本加入させて頂いたのは、
2010年〈平成22年)9月下旬であった。
そしてシニア世代の数多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
こうした思い、お考えで日常を過ごされているのか、と深く感じながら、
確かな生きた人生の教科書と教示されたりしている。
こうした中で数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。
そして私も長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受したりしてきた・・。
この間、私は70代の諸兄諸姉のブログを読ませて頂きながら、
ご高齢の方でも、日々を溌剌と過ごされ、投稿文を重ねていることに、驚きながら多々教示されてきている。
中には【浜ちゃんの小豆島写真日記】と命題された小豆島にお住いのこの当時80代(現・92歳)は、
この地域の四季折々の情景、行事、祭り事、日常の生活などを写真を掲載されながら、
原則として日々投稿されていたので、私は愛読者のひとりとして、少なくとも2年半は過ぎている。
そして私は果たして70代の終わりまで生きられるか、
或いは80代になった時はブログ投稿文を重ねられるか、と見上げるように読ませて頂いたりした。
こうした根底には、多く方は70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されているのを学んだりしてきた。
そして私は現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。
やがて私は過ぎし9月下旬に古稀と称される70代の歳となり、
明日への希望と不安を秘めながら、定年退職するまで敗残者だった私でも、
確かな《いきがい》と《健康》そして《気力》を持ち、しなやかに日々を過ごせれば、
と念願したりした。
そして70代以上の方で自助努力も肝要であるが、幸運に恵まれ健康寿命を保った70代以上の方、
その上にブログなどを綴られて投稿される方は、選ばれた方かしら、と思いを重ねたりしている。
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