夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

スマホ、フェイスブック、タブレット端末などに無知な私、ひたすらパソコンを信愛して・・。

2014-12-21 15:46:29 | ささやかな古稀からの思い
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
大学を中退し、アルバイトをしながら映画、文学青年の真似事をしたしていた。
その後、明日の見えない日々であったが、根拠のない自信ばかりで習作活動に励んでいた。

やがて30代を迎えた時を想像すると、家庭を持ち妻子を養う自信がなく、
早々と断念して、民間会社に中途入社する為の手段のひとつとして、
コンピュータの専門学校のソフト系を一年間学んだ。
                 

そして、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
何とか中途入社が出来たのは、1970年(昭和45年)の春で、25歳の時だった。

そして上司から現場を学べと指示されて、工場にある商品管理に勤務してまもない時、
音楽事業本部の中のひとつのレーベルが外資レコード会社として独立し、
私もこの外資レコード会社に移籍させられた。

翌年の春、私は本社のコンピュータ担当者として指示を受けたが、たったひとりの専任者となった。

この頃は、私が入社した音楽事業本部の方が完成されたシステムを運営されていたので、
このシステムを活用して、利用させて貰ったりした。
その上、音楽事業本部の担当責任者から、共同管理のつもりでね、と暖かい支援を受けながら、
多々学びながら、業務に奮闘していた。

そして1980年の初めの頃、パソコンが市販されたので、
私も個人の自宅用にNECのPC8801、そしてフロッピー・ディスク、プリンター、漢字用のロムなどを購入したら、
この頃のボーナス分に近い金額を要し、住宅ローンの返済もあったので、何かと苦渋したのであった。

そして肝要のパソコンの言語はベーシックだったと思うが、簡単ようで、中々手こずったのは本音であった。
          

この後まもない時、私の勤めていた会社は、管理コストを削減する目的で、
独自のシステムで全て管理し、情報部門を設置してもらい、
私達4名が奮闘しはじめたのが、1983年(昭和58年)の秋であった。

こうしてオフィス・コンピュータの中型を導入して、
テスト処理、本稼動に伴う運営、管理表の作成、システムの部分改定などをしたりすると、
幾たびか徹夜をしたり、休日出勤したり、
日曜日だけは休むようにしたが、お互いに奮闘した時代であった。
                 

この後、1992(平成4)年になると、あるレコード会社と合併することになり、
各分野のシステムを互いに調整した後、
私の勤めいたソフト販売店の請求・回収業務などの債権管理をしている責任者が突然に退社したので、
やむなく私が選出されて、この業務に専念することになり、
私は20年近い情報畑から異動することになったりした。

私は不慣れな債権管理などの管理畑で悪戦苦闘をしたりした後、
他部門に異動したいなぁ、と思ったりしていた時、
『ウィンドウズ95』のニュースを知り、果たして一般の個人の方たちは使いこなしができるかしら、
と思ったりしていた。


その後、私は念願の他部門に異動し、この部門はバソコンの設置台数が少なかったので、
私は遅ればせながら『ウィンドウズ98』のノート・パソコンを個人的に購入して、
社内はもとより、自宅でも活用をしたのであった。

その後、1999年(平成11年)の初めにリストラ烈風の中、私は出向先となり、
定年退職後に備え、自宅のパソコン『ウィンドウズXP』のディスクトップに一新させたのは、
退職時の3年前の2001年(平成13年)の晩秋であった。

そして多忙な勤務状況であったので、自宅に於いては個人的な電子メールの送受信などには余裕がなく、
殆ど個人的な資料を表計算を利用して作成したり、ソフト会社から販売されている日記に綴ったりしていた。
       

そして、退職時2004年(平成16年)の数が月前に、我が家ではインターネットを開設したのであるが、
パソコンなどを取り巻くネットのウェブ環境の進化にただ驚き、ため息をつくことが多かったりした。

そしてネットの世界は、まったくの初心者の若葉マークの身となり、ホームページの開設を思案したりしていた。
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
           

そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。

やがて私は、2004年(平成16年)11月中旬に【アメーバ・ブログ】に加入したり、
まもなく幾つかのブログサイトに彷徨(さまよ)い、この【gooブログ】に定着して、今日に至っている。
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸10年は過ぎて、早や11年生に進級した。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
       

パソコンに関しては、定年退職後に備えて『ウィンドウズXP』の肝要のパソコンが、
壊れてしまい、どうしてなのょ、と困惑した。
やむなく『ウィンドウズXP』のディスクトップの二代目として2006(平成18)年の初秋に購入した。

この間は日本でも、パソコンのハードも進化しながら価格は廉(やす)くなる中で、
更に急激にネットが普及の速度を増す中、数多くのサイトは、更新と称されるアップデートが行われて、
もとより記憶容量も急速に増加してきた。

この後、遅ればせながら、2011年(平成23年)6月中旬に、
『 ウィンドウズ・7(セブン)』に買い改めて、外部ハードディスク(2ギガ)も備え、
そして昨年の12月には、『ウィンドウズ8』買い求めて、今日に至っている。
          

このように私は会社の情報畑で、汎用の大型コンピュータ、オフィス・コンピュータを20数年活用し、
パソコンは1980代の初めの頃から6台ばかり買い求めて使用してきたが、
何かと自慢史の多い人の中、つたない私はパソコンの秘めたり機能も充分に活用できず、
ただ進化に戸惑い、どうしたらよいの、と戸惑うことも多いのである。
       

我が家はNTT東日本の管轄下の光ファイバー固定回線を頼りに、
電話は『ひかり電話』となり、たまたま世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住んでいるので、
都内地域の電話配線下となっている。

そしてネット回線は『フレッツ』なり、私はパソコンでネットを日々利用している。
或いはテレビも、アンテナ不要の『スカパー!光』となり、
このように我が家はすべて光ファイバー固定回線の体制になったは、
定年した翌年の2005年(平成17年)の頃からであった。

そして私たち夫婦は、この当時に旅先の北海道の道東地方をめぐっていると、
くまなく道路際には光ファイバー固定回線が配線されていたので、
これからの日本は光ファイバー固定回線の時代だ、とこの当時の私は微笑みながら思ったりした。
       

私は恥ずかしながら携帯電話さえも使えない身となっている。
1998年〈平成10年〉の当時の私は、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
この少し前の年の頃から、若手の20、30代の世代が携帯電話を使い始めていたが、
50代の私たちも、いずれは携帯電話を利用しなければ、と思っていた。

この数年前の頃から音楽業界はリストラの烈風となり、
私は1999年〈平成11年〉の初春に、取引先の物流情報会社に出向となった。

勤務した職場は、音楽のCD、DVDなどの商品をソフトの販売店に出荷、返品など取り扱う商品センターで、
私を含めた管理の正社員の5名の基で、契約・パート社員の男女120名前後で対応した。

東京ドームより広い商品センターの中で、連絡事項などはマイクを通して拡声器、もしくは電話などで通達し、
携帯電話も要求されない現場で奮闘し、
この出向先で5年半ばかり勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職時を迎えた。

この間の世の中は、多くの方が携帯電話が愛用する時代となったが、
私は定年後の年金生活の中で、何かの機会で覚えればよい、と思ったりしていた・・。

私は携帯電話に興味がなく、今日まで至っているが、
6年前の頃から、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には、
迷子のように、私はどこにいる・・と確認できるGPS機能の携帯電話が必要と思い、
新聞に添付されるチラシの一部に、携帯電話とかスマートフォンの各社の広告が入っているので、
ときおり私たち夫婦は見たりし、思案するばかりで今日に至っている。
       

確か2007年(平成19年)の頃から、急激に普及した『ツイッター』に関しては、
国家の動乱時、或いは災害などの緊急時ならともかく、と思ったりしてきた。

そして『ツイッター』などで《 つぶやき 》などが流行っている状況に、
おかしな社会になっている、と私は苦笑したりしてきた。

私は『ツイッター』は短い綴りで、つぶやくような文章と私は解釈しているので、
短い言葉で私の今の心情を発露するようなことは、無念ながら私には筆力がないので、
利用したことがない。

しかしながら、ある程度の長い文章の綴りであるならば、
つたない私なりに『ブログ』の投稿文として、日常の思い、或いは思索したいることなどを心の発露として綴ったりし、
ここ10年ばかり投稿している。

昨今の日本の社会に於いて、『ツイッター』の利用される方の一部で、
少し心の礼節を失くした方の発信文が問題となっている、と風の噂で聞いたりしている。

ただ、『ツイッター』こそは、まぎれなく日本人の古来から愛された『短歌』、『俳句』、『川柳』などに最適だ、
と思ったりしたのである・・。

短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。

俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。

そして川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。

このように私は思いながら、『ツイッター』を利用される方たちは、
短歌や俳句の一句を詠まれたり、或いは川柳の一句でも吐くことをされれば、
この上なく日本文化は隆盛し、何よりも当人は更に心が豊かになる、と確信を深めたりした。

しかしながら私は、無念ながら短歌や俳句を詠む素養はなく、
『ブログ』の世界で散文のようなつたない綴りを殆ど毎日投稿をしている。

そして若い方たちが、つぶやき、など安易な言葉よりも、
ご自身の心情の発露、或いは思考していることの表現は、
短歌、俳句の一句を詠むか、川柳の一句でも吐くことをされれば、或いは散文をブログで綴られれば、
貴重な時間の浪費にならないのに・・ときおり妄想を重ねたりしている。
       

ここ5年前の頃から高機能携帯電話のスマホと略称されたスマートフォンが、
圧倒的に支持されて、普及している時代となっている。

そしてパソコンより廉(やす)く、手軽に使えるタブレット型の端末機も普及し、
何かと慌ただしく、世の中は情報に溢れている・・。

働いて下さる若き諸兄諸姉、ここ10数年、短期に職務の成果を求められる時代となり、
通常の業務には必須の情報機器であり、こうした中で歩きスマホが問題となっている。

私はせめて歩いている時ぐらいは、前方を見据えて颯爽と歩くのが何よりも美しい、
とサラリーマンを35年近く体験した私は確信を深めている。

そして街中でスマホを使用する場合、ご自身の安全の為に「歩きスマホ」は自己抑制し、
やむなく使用する場合は、電車とかバスの中とで自身が停止できる状態、
或いは職場に早めに出勤して使用する、と念願したりしている。
                    

そして第一線を退かれた60代、70代の殆どの方が、携帯電話かスマホを利用され、
ご高齢の80代以上の方たちも家族間の連絡、緊急連絡でお守り代わりに利用されている状況となっている。

まして若き10、20代の世代の人の一部には、新聞も購読せず、パソコンも所有せず、
スマホだけを頼りに生活をされている現実を学んだりしたことがある。

そして大学生とか高校生など学生間に於いては、ツイッターとかLINEなどで、
話し言葉のような短い文で、深く物事を考えずに、短絡的に早く返信を求められる時代と知り、
果たして社会で働くようになった時、レポートの提出などで、整然とした長い文章ができるかしら、
と私は憂いたりする時がある。
       

このように恥ずかしながら、スマートフォンはもとより、携帯電話さえも使えなく、
その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。

そして無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思い、
私は年金生活を過ごす中、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりして、早や11年生となっいる。

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