夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

美輪明宏さんの時間哲学に、年金生活の私でも、共感させられて・・。

2014-12-20 14:57:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

先ほど、ぼんやりとネットでニュース記事などを見たりしている中、
『 美輪明宏が見た「運のいい男の法則」 』と題された見出しを見て、
どういうことなんですか、と思いながらクリックしてしまった。

そして記事を精読したが、ビジネス総合誌と名高い『プレジデント』で、
私は特集記事に魅せられた時に買い求めたりしているが、
この記事は2014年2月3日号 に掲載された記事と解り、
プレジデント社の公式サイトとして、配信されていた、と私は理解できた。

http://president.jp/articles/-/11708
☆PRESIDENT online ==> 『美輪明宏が見た「運のいい男の法則』☆

私は美輪明宏さんにお逢いできたことはなく、
一年に数回CDで美輪明宏さんの歌を聴く程度の身であるが、
今回の働いて下さる男性向けの日々の過ごし方に対して、発言された記事であるが、
年金生活11年生の私でも、確かにそうですよね、と共感させられたりした・・。
       

特に《・・(略)・・ニコニコすることは、いわば運を引き寄せる行為。
自分をパワースポット化する行為といってもいいです。

時間の使い方で、最近、私がとりわけ浪費だと感じているのはデジタル・ツールです。
私自身はインターネットもスマートフォンも一切使いません。
確かに、検索やメールは便利な機能ですが、それは思索の時間を奪うことでもあります。

自分の頭で考えたり感じたりするのをサボれば、当然、脳が退化してしまう。
デジタル・ツールもまた正負の法則に支配されているのです。

仕事中の空き時間や通勤時間など、みな一様にデジタル・ツールを手にしますが、
もう少し自分自身と向き合う時間にしてはいかがでしょうか。

また、プレジデント読者の皆さんに苦言を呈するようですが、
日本の大人の男性は「文化」に触れる時間がいささか少なすぎると私は感じています。

クラシックや歌舞伎、美術展などに足を運ぶのはほとんど女性。男性が行くのは会社や飲み屋ばかり。
そこで愚痴をこぼしたり上司の悪口を言ったり。

仕事の忙しさにかまけて、心の栄養を補充し、想念を清く美しくする時間をつくらないから、
年を取れば取るほど、心の潤いがなくなり、前述の微笑みも減少するのです。

優れた作品など文化に触れることは、登場人物やストーリーに自分の人生を重ね合わせ、疑似体験をすること。
それによって幸福の感度も増していくのです。・・(略)・・》
       

私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、音楽に直接に携わる制作畑でなく、
裏方の商品、情報、経理、営業を配属され、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。

しかしながら最後の5年間はリストラ烈風の中、30年間奮戦してきた都心の本社から放り出されて、
出向となり、つたない私なりに失墜感にさいなまわれ、
まもなく自分の敵は自分だ、と自身を叱咤激励して奮闘し、出向先で定年を迎えた。

もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに38年勤め栄進されたエリートとは、
遥かに遠い拙(つたな)い男である。

このように私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多い中で、
敗残者のような状況だったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた。
         
                  
私は定年退職後に年金生活を始めて1年を過ぎた頃、
たまたま作家・城山三郎さんの著作の『無所属の時間に生きる』を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を瞬時に圧倒的に魅了され、この時から教訓としている。

《・・人生の持ち時間に大差はない。
問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。・・》

そして私は亡き城山三郎さんの遺(のこ)された言葉を秘かに指針として、日々過ごしている。
       

定年後の年金生活の当初から、私は平素の買物に関しては自主的に選任者となり、
独りで毎日のように最寄りのスーパー、専門店に行ったりし、
ときおり駅前で買物をした時は本屋に寄ったりしている。

その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

或いはときおり庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして私たち夫婦は恥ずかしながら、スマートフォンはもとより、携帯電話さえも使えなく、
その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンに無縁で、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思い、
このように稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
             
                 
人は食欲、睡眠欲、性欲は動物と同じであるが、誰しもそれぞれの知識欲を深めて、
ひととき時間を過ごし、生きがいのひとつになっている、と私は確信をしている。

或いは17世紀の哲学者のパスカルは、「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。
しかし、それは考える葦である」から。
人間とは孤独で弱い生き物だが、考えることができることは偉大であり、尊厳があるとし、
『人間は考える葦である 』と名言を遺(のこ)されている。

このようなことを思い続けている私は、
今回の美輪明宏さんの《自分の頭で考えたり感じたりする・・思索の時間・・》の大切さに、
年金生活11年生の私でも、確かにそうですよね、と共感させられたりしたのである。

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