夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

衆院選の不投票の方は、国政に対して不満があっても、発言の資格がない、と思いを深めて・・。

2014-12-14 07:02:58 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
国政選挙の衆院選、参院選の有権者の身でありながら投票されない人は、
たとえ日常生活で不満があっても発言権がないと、
1964年〈昭和39年〉の二十歳以来から信じているひとりである。

日本の国に於いて、政治・外交・軍事・経済など国際社会の主要国の協調の基で、
平和と繁栄を享受してきたが、過ぎし20年前の頃から経済は低下し、やがてデフレ経済の烈風の中、
政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化となってきた・・。

そして安倍政権の今、今回の衆院選は安倍首相の経済政策「アベノミクス」の信任投票かしら、
と私は思ったりしている。

今回の衆院選の結果、少なからず有権者の選択した立候補、そして選択した党に、
今後の日本の行方に重要な要となるので、軽視はできない。

前提条件として、もとより日本は民主主義の国であるから、
多少の不満があっても党の選択、そして立候補された中で選択をせざるを得ない。

しかし有権者の判断の結果、今後の日本のゆくえに多大に影響するので、有権者の責任も重いが、
何より有権者から託(たく)された議員一人ひとりの言動は重責である。
       
               

このような思いの私は、今回の衆院選も有権者の責務のひとりとして、
東京都選挙管理委員会から配布された『衆議院(小選挙区選出)議員選挙公報(東京都第22区)』、
そして『衆議院(比例代表選出)議員選挙公報』を精読した上、
東京都第22区で信愛できそうな立候補者、そして比例代表選出も信愛に近い党を記入する。

この上に、購読している読売新聞を読んだりして、NHKテレビのニュース、特報などを視聴し、
思案したりしている。

このように齢ばかり重ね、政治にも疎(うと)い私があえて綴ったのは、
ひとえに有権者の方に、出来るだけ多くの方に投票して頂きたい思いからである。

投票されず棄権(きけん)される方は、政治に対する不信を示すひとつ意思表示と思われるが、
有権者として責任の放棄であり、
或いは現政権に対しても黙認ともなる。
                  


もとより有権者の意思が反映されないことは、国政が不安定となり、悪化すれば更に日本の混迷期となるので、
無力な私でも憂(うれ)いている・・。

こうした中で、特に日本の将来を担(にな)って下さる20代の若い人々が棄権(きけん)するのが多いと知り、
私は危惧(きぐ)しているひとりである。

短絡的に表現すれば、有権者の棄権(きけん)は、日本の現状、将来に危険(きけん)となる。


こうした風潮に憂いてきた私は、幾たびか書棚から一冊の本を取り出して、開いたりしてきた。

水木 楊(みずき・よう)・著の『2025年 日本の死』(文藝春秋)であり、
1994年(平成6年)2月に発刊された単行本である。
                              

この本の帯には、
《 あと30年で日本という国家は消滅する 迫真の近未来シミュレーション 》
と大きく掲げられている。

著作者の水木 楊(みずき・よう)氏は、1937年(昭和2年)生まれで、
日本経済新聞社で各部署を歴任し、この本を発表された当時は、取締役・論説主幹である。

私は氏の著作の本は、1990(平成2)年頃から3冊ぐらい愛読していた身なので、
この本も発売日の当日に購入し、精読したひとりである。

『2025年 日本の死』の概要は、1995年(平成7年)時点の頃からの日本の状況を予測し、
社会動向を織り交(ま)ぜて政治の基軸がないまま、
党利党略ばかり不安定期な時期となり、長い混迷期となった後、
やがて国際社会からも取り残され、悲惨な衰退となる、30年間を明示している。

私はここ10数年も政局の昏迷を深めた時、ときおり私が開き、幾度も読んできた一冊の本であり、
著作者が少なくとも1994年(平成6年)以前に予測されて綴られているが、
昨今の状況でも決して色あせず、数多くのことが近似しているので、何かと私は教示を受けている。

国政を司(つかさど)る国家議員の諸兄諸姉はもとより、国民の多くが読んで頂きたい、と思っている。

何よりも国政の不安定の末、混迷を深めて、日本が衰退するのは、
一番困り果てるのは、国民ひとりひとりであることは、いうまでもないことである。
       

このような思いの私は、日頃の政治はもとより外交、軍事などを委託している国家議員に関して、
有権者のひとりとして、随一直接に信任の選択権があるので、欠かさず選挙の際は、投票している。

少なくとも政治に関しては、社会の動向まで影響することもあるので、
投票されない方は、政治はもとより社会の不満を言う資格がない、と公言しているひとりである。
               

家内は過ぎし年の衆院選の時に、家事に専念して投票所に行かず、選挙を棄権(きけん)したことがあった。
そして数か月過ぎた頃、家内がNHKのテレビニュースを視聴していた時、
『あらぁ・・いやだわ・・』
と政治、経済のニュースの時、呟(つぶや)いたりした。

こうした時、私は、
『XXちゃんさぁ・・貴女は選挙に行かなかったじゃないの・・
ほかに優先することがあるって・・
残念ながら、XX政権が良いの、悪いとかは言って欲しくないね・・』
と私は家内に言ったりしてきた。


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コメント (2)
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