夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎし40代の時に、救急車に三回ばかり、お世話になった想いで・・。

2014-12-19 16:29:00 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の70歳の身であるが、
我が家の平素の買物は、私が自主的に専任担当となっているので、
たまたま今日は近くのスーパーに向い、路線バスも走る大通りの歩道を歩いていた・・。

前方の道路の彼方から救急車がサイレンを鳴らしながら疾走してきた・・。。
交差点の信号の近くは、少し減速したが、やがて私の近くを通り過ぎて行った。

やがて買物の責務を終えて、帰宅に向かう時、
私は若き40代の時に、救急車に三回ばかり、お世話になったよなぁ、と思いだされた・・。


この当時の私は、あるレコード会社の情報畑で、システムの開発、運営に従事して、
平日は15時間ぐらいの勤務は当然のように感じながら、
ときには徹夜勤務して奮戦していた時代であった・・。

こうした中、突然にギックリ腰で三度ばかり入院した苦い体験がある。
       

最初は土曜日も休日出勤した翌日、日曜日に自宅の和室でゴロコロと横たわって休んでいた時、
家内から、掃除機を取って下さい、と言われた私は、
近くの押し入れの下段に収納している掃除機をかがんで取ろうとした時、
まもなく腰に激痛を感じて、横たわったりした。

翌日の月曜日の早朝、相変わらず腰回りに痛み感じていた。
そしてタクシーで病院に行き、治療を受けて出勤しょうか、と思いながら、
布団から這(は)いずりだして、トイレを終え、何とか洗面所で歯を磨こうとした時、
激痛がはしり、くずれ、床に寝転んでしまった・・。

家内に声をかけ、
『みっともないけれど、救急車を呼んでくれないか・・』
と私は言った。

そして家内は救急先に電話口で、
『ご近所の手前・・近くにきたら、サイレンを止(と)めて下さい! お願いしますね・・』
と家内は言った。

まもなくサイレンの音を響かせ、救急車が自宅に来た。

そしてタンカーを持ち、救急員のふたりが入ってきた。

救急隊員のひとりが、家内を見ると、
『奥さん・・サイレンを止めろ、と先程に言われましたが、
サイレンを止(と)めちゃ、救急車が走っていても、他の車は徐行してくれませんょ・・
奥さん・・救急車の役割がしませんから・・』
と救急隊員のひとりが怒った顔で、家内に言った。

怒られた家内は、ぼうぜんとしていた。

私は聴いていたが、救急隊員のもうひとりの方に、
『それより・・私を早く病院に連れてって下さい!!』
と私は懇願したのである。

この後、家内は少し青ざめながらも、救急車に同乗した。
救急車は、サイレンをけたたましく鳴り響き、
他の多くの車を徐行させ、病院の正面口に着いた。

そして家内が救急員のひとりの方に、寸志のつもりで、
『ほんのお気持ちですが・・』
と手渡そうとしたら、
『奥さん、何をおしゃるんですか・・』
と家内は救急員に怒られたりした。
       

私はタンカーに乗せられ、病院に入ったのであるが、
ロビーの椅子に入院患者の方たちが、数多くたむろしていた・・。
そして私を眺めていたのである。

『あれは、ぎっくり腰だなぁ・・間違いがねぇ・・』
とその中のひとりが言ったのである。

私の方は、腰は痛いが、頭のほうは正気だったので、
恥ずかしい思いであった・・。

診察室に向かう通路の中で、黄緑色の公衆電話が見えたので、
救急員の方に私は言った。
『ちょうと、待って下さい・・
会社に連絡するので、電話をしますから・・』

今度は私が救急員から怒られたのである。
『ご主人、何をおしゃるんですか・・診察を受けるのが最優先ですから・・
常識ですょ・・まったく・・』
と言われたりした。

こうしたことが私としては、生まれて初めての救急車に乗車した初体験である。
       

そしてこの時は、入院直後、医師の人から、
『3日ぐらい容態を診ましょう・・』
などと私は云われ、私は多忙時期であったので、焦(あせ)った。

そして私は医師に、
『早く・・職場に戻らないと・・
痛くても緊急の処置をして下さい・・』
と私は懇願したりした。

結果的には1泊2日の入院生活を生れて初めて体験した。


この一年過ぎた頃、やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、
やむえず救急車に、お世話になった。

この時は、治療を受けながら担当医師より、
『1週間前後、容態を診ましょう・・それから具体的に・・』
このような意味合いを私は言われたりした。

やがて私は、看護婦長の姿を見つけて、
『早く・・職場に復帰しないと、会社に影響します・・
担当の先生に、短期決戦のような治療をお願いして欲しい・・』
と私はひたすら懇願したりした。

そして入院生活は3泊4日で卒業した。


この後、二年過ぎた頃、 やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、
やむえず救急車に、お世話になった。

さすがに3度目に病院に運ばれた時は、
観念し、担当医師の指示に基づいて、28日間の入院生活となった。

そして病室のベットから何とか車椅子に乗り、公衆電話のある室に行き、
テレホンカードで会社に業務の連絡事項を、毎日のようにしたりした。

その後、上司と共に私の関連する業務担当の方たちが来院したりしたが、
入院という非日常生活の視線から、日常の社会の動きを見つめたりした・・。

病室のベットに休んでいても、周囲の社会は順調に動いて、
自分の存在は一体どこにあるのか、ということであった。

このような体験があったが、退院後、数ヶ月が過ぎると、
入院生活のことなど忘れ、サラリーマンとしての業務に没頭した。
       

こうして私は酷い腰痛で救急車に三回ばかり、お世話になったり、
入院生活も三度ばかり体験した。

この時、担当医師に腰痛の原因を訊(き)いても明解な回答も得ず、
ただ具体的な検査をしながら治療するばかりであった。

昨今、偶然に読んだ腰痛の原因のひとつには、
ストレスと疲労の蓄積、と海外の医師の発言を読み、
そうかしら、と微苦笑したりしている。

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