私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始めたりした・・。
やがて年金生活をしていると、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
そして原則として少なくとも国内旅行で不在、或いはパソコンが故障しない限り、殆ど毎日投稿してきたので、
早やブログ14年生となっている。
今朝、購読している読売新聞の朝刊を読んでいる中、定例の『人生案内』があり、
平素は殆ど読まない私は、【 ブログ応援 適切な距離とは?】と大きく見出しされていた。
私は長年にブログの投稿文を重ねてきた中、多々コメントを頂いたり、
或いは多くの投稿文を読ませて頂き、私はその御方にコメントを綴ったりしてきたので、
どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。
無断であるが、読売新聞を48年ばかり購読しているよしみに甘えて、転記させて頂く。
《・・[人生案内]ブログ応援 適切な距離とは?
このブログの管理人はおもしろい人で、楽しい記事を掲載しており、私は毎日のように訪問しています。
コメント欄があるので、記事が載るたびに感想を書き込んでいました。
しかし先日、別のブログを運営する友人が
「しょっちゅう感想を書き込まれると返事に困るんだよね」と言うのを聞き、
もしかしたら私の感想も迷惑かも、と思うようになりました。
ブログには、どこから訪問したかを分析する機能もあり、
しょっちゅう見ているのがわかると、管理人が気味悪がるかなあ、と心配です。
私は昔から、人と適切な距離をとるのが苦手です。
以前、好きな漫画家に何回もファンレターを出し、そのたびに返事をもらったことがありますが、
仕事の邪魔だったかもしれないと最近、反省しています。
管理人にとって、どういう読者がありがたいのでしょうか。(岡山・T子)
☆回答された御方は、社会学の著名な大学教授の山田昌弘さん
面白いサイトを見つけてよかったですね。
私はブログの管理人の経験はありませんが、メディアで発信する人間の一人として、回答させていただきます。
感想は来れば来るほど、うれしいものです。
感想が来て迷惑という人は、そもそも発信しません。
たとえ批判的なコメントであっても、何も来ないよりいいです。
ブログを運営している友人の話は、「うれしい悲鳴」というよりも「自慢話」として聞いてください。
漫画家さんのケースでも、反省することはないですよ。
ファンレターが励みになって、仕事が進むという人は多いです。
仕事の邪魔と思えば、そもそも返事をしないのですから。
当の管理人さんも、漫画家さんも、あなたのような読者をもって幸せだと思います。
一つ注意していただきたいのは、人の悪口を書かないでほしいということです。
内容に関する批判はいいのです。
当人に対するものでなくても、個人に対する人格攻撃などを書くと、
それをきっかけに炎上してしまうこともあります。
それに注意しながら、今まで通りブログを楽しんで、感想を書き込んでください。・・》
私は自身の投稿文も大切であるが、数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。
私は特に数多くの50代以上の数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその御方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い重ねながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。
こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。
或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。
そして言霊(ことだま)を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。
或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。
或いはそれぞれのお方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。
こうした中で望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない数名の方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。
そしてブログの投稿文を13年半の中、ブログ上で出逢い、
やがてコメント上で心の交流を盛んに重ねても、ふとしたことで疎遠になり、別れとなる場合もある。
私がブログを初めてまもない2004年(平成16年)の12月の時、
ブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入している中、
確か一カ月後に、九州の北部にお住まいの60歳前後と思われる奥方と投稿文に於いて、
コメントをお互いに始めたりした・・。
その後、2年ぐらい高校生の交換日記のように、この当時も私は日々投稿文を綴っていたこともあり、
殆ど毎日コメント欄で心の交流を重ねた。
こうした中で、この奥方が一枚の写真を添付し、散策する時何かと魅せられている小花のひとつです、
と投稿文に掲載されていた。
私は恥ずかしながら無知であったので、ネットで検索したら、
『オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)』と明記されていたので、植物学者は文学性の感性が余りにも欠落している、
と思い苦笑した。
そして『瑠璃唐草』、『天人唐草』、『星の瞳』とも名づけられていたので、
この奥方に、『星の瞳』に瞬時魅せられました、と私はコメントしたりした。
☆2008年3月、私が近くに流れている野川の川べりで、偶然に『星の瞳』にめぐり逢い撮った一葉☆
こうした淡き心の交流を2年半していたが、ご主人様がご病気となり、入退院をされる中、
奥方の投稿文も途絶え、やがて私たちの交流も途絶えがちとなり、
まもなく加入している小さなある簡易なブログサイト自体が閉鎖となり、そして交流も終えてしまった。
このような私にとっては、貴重な思いを秘めているので、
『星の瞳』を通して、この奥方は、私の年金生活を始めて不安な心情の中、
心おだやかに過ごせたので、女神のような人と私は思っている・・。
そして、その後に私は春先に散策したりする時、『星の瞳』を見かけたりすると、
あの奥方はどのように過ごされているのかしら、と思ったりし早や10年が過ぎている。
これまで私の人生のリアルの世界でも、たとえば現役サラリーマン時代に於いても、
盛んに交流していた友に於いて、人事異動で地方に転勤となったりして、
やがて疎遠となったりしてきた。
年金生活をしている中でも、私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味であるので、
ときには観光ホテルなどに滞在プランで共にしたメンバーの人たち、
或いは団体周遊観光で旅路を共にしたこともあったりした。
こうした旅先で知り得た人たちと、宿泊している館内の食事処、大浴場、ロビー、
或いは私たち夫婦が街中を散策している時に、お逢いしたりし、お互いに談笑したりした。
もとより旅先で知り得た人たちは、それぞれ生を受けた環境も違い、
その後に育った状況、学歴、その後の社会人として職業、結婚生活・・、
やがてシニア世代となり、それぞれの生活をしていて、誰ひとり同じ人生航路を歩んできた人はいないのである。
その上、人それぞれ思考、信条、性格、趣味なども違うし、この広い世界で同じ人はいないが、
私たち夫婦は旅路で交流して、人生のひとときを共にし、
旅の終わりに近づくと、私たち夫婦は『また、いつ日にか旅先で、お逢いしたいですねぇ』
とそれぞれのご夫妻に愛惜の挨拶をしたりすることもある。
しかしながら、その後にお逢いしたことは殆どないのが実情であった。
過ぎゆく人生は、出逢いと別れを幾たびか体験すると古来から伝えられているが、
ネットのブログで、私が投稿文、コメント上で交流してきた方たちも、
歓び悲しみを共にしてきたので、同じかしら、と思い深めたりしている。
そして現代の私は、私がブックマークに掲げた人を中核に、
毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学んだりしている・・。
このように私は、感じ深めていることは、この広い空の下で、未知のそれぞれの御方に投稿文、
或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
私にとっては心の宝物、と改めて感謝を重ねている。
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