夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

下重暁子さんの『孤独と寂しさは別物』、高齢者の『ひとり遊び』が多い私は学び、瞬時に賛意をして、微笑み・・。

2018-05-25 14:07:30 | ささやかな古稀からの思い

先ほど、ときおり愛読しているネットの【NEWS ポストセブン 】を見たりしている中、
【 「孤独本」が大ブーム 下重暁子氏「孤独と寂しさは別物」 】と見出しを見たりした・・。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。
                                                    
そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりした。

やがて養成所の講師の知人の新劇の長老からアドバイスを頂き、
映画で生活をするは大変だし、まして脚本で飯(めし)を食べていくは困難だょ、
同じ創作するなら、小説を書きなさい、このような意味合いのアドバイスを頂いたりした。

そして警備員などの契約社員をしながら文学青年の真似事をして、
純文学の新人賞に投稿していたが、三回ばかり最終候補6作品の寸前で敗退した。

こうした落胆していた時、親戚の叔父さんから、
今は良いとしても、30歳を過ぎた時、妻子を養って家庭を持てるの、 と私は諭(さと)されて、
確固たる根拠もなく独創性があると自信ばかり強い私は、あえなく挫折し、
やむなく安定したサラリーマンの身に転向を決意した。   
               
そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
          
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。

              

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、           
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

              

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買物、料理、掃除などの家事で、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

帰宅後、やはり私は独りで、我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園を散策をし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねている。

こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ・・と思いながら、記憶のかたみとして撮ったりしている。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、

いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

                         

やがて帰宅後、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯など専業主婦の延長戦をしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。


このような年金生活の一日を定例事項のように過ごしてきた・・。

              

私は一日の中で、ひとりで過ごす『ひとり遊び』が多く、心も身も楽しんだり、
或いは本の作品、映画の作品、音楽の曲などの解釈を新たに深めたりしてきた・・。

このような状況なので、世間でいわれる孤独のみじめさとは無縁で、
独りで過ごす孤独の時間を友としてきた。

例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の13年半を過ごしてきた。

そして家内は、ときおり家内の母宅に介護に6泊7日前後で行き、我が家は私が『おひとりさま』になるが、
殆ど平素の日常生活と変わらないで、過ごしたりしている。

              

このような深情のある私は、御歳を召されても麗(うるわ)しき下重暁子(しもじゅう・ あきこ)さんが、
『孤独と寂しさは別物』のフレーズに、私は魅せられて、記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年6月1日号
に掲載された記事のひとつであり、
関連の【NEWS ポストセブン 】に2018年5月21日に配信され、記事の大半を転載させて頂く。

《・・
妻や家族に囲まれた一見“孤独とは、縁遠く見える人”、
あるいは“今後の生活で孤独を恐れている人”たちである。

『極上の孤独』の著者・下重暁子氏はいう。

「孤独を肯定する本が受け入れられているのは、
それだけ孤独と向き合う必要性を感じている人が多いからだと思います。

日本人には“孤独嫌い”が多く、
孤立、孤食、孤独死と、孤独には、あまり良くないイメージがつきまといます。

しかし人間とは、たくさんの人に囲まれてさえいれば、幸せなのでしょうか。
多くの友達と交際している社交的な人が、精神的に満たされているとは限らないでしょう。

           
人は皆、本質的には、“ひとり”なのだと思うのです。
特に定年になって、会社や組織を離れれば、ひとりで過ごす時間は、必然的に増え、
高齢になるほど、妻や家族、友人たちとの別れにも直面します。

その中で、“孤独とどう付き合っていくか”と考え始める人が多いのではないでしょうか」


下重氏が語るように「老い」と「孤独」は切り離せない。

しかし、現実には「孤独でいること」に対する世間の風当たりは強い。

様々なメディアで「子や孫に恵まれ、頻繁に連絡を取り合う仲良し家族」や
「友人たちに囲まれて、趣味を楽しむ充実した老後」の素晴らしさが喧伝される一方、
そうでない人は「かわいそう」という目で見られたり、「変わり者」扱いされることも多い。


「会社時代の同僚や昔からの友人との間にしか、“生きる世界”がないというのは、あまりにも寂しい。
歳をとってからは、人間関係に一喜一憂するより、自分の内面に向き合う時間をつくるべきです。


『孤独』と『寂しさ』は、まったく別物。
孤独を愉しむことを知っている人は、ひとりでいられる時間に喜びを感じ、
人生をより愉快に過ごせると思うのです」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

              

私は『ひとり遊び』が多く、齢を重ねるたびに上手になってきた、と独り微苦笑する時もあるが、
『寂しさ』を感じる時もある・・。

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は幾たびか重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

こうした平素の生活をしているが、家内が家内の母の介護で行き、
私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごす時、寂しさを感じたりしている・・。

              

平素は、少なくとも朝夕の食事の際は、私は談笑しながら、家内と共に頂いている。

或いは私は何かと単細胞の為か、家内に少しボケかと思われない為、
若き自衛隊の諸兄に負けないように、ときおり元気な声で言ったりしている。

たとえば我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私である。

こうした中、夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、大きな声で言ったりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしているのが、年金生活の当初からの習性となっている。

こうした時に、話し相手、報告する相手がいないと、やはり寂しさを感じたりしている・・。

              

このような定年後の年金生活を過ごしてきた私は、
下重暁子さんの今回の『孤独と寂しさは別物』、私は瞬時に賛意をして、そうですよねぇ・・
と微笑みを重ねたりした。

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