昼過ぎ、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 吉行和子「結婚が幸せなものというイメージはなかった」 】と見出しを見てしまった。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
若き20歳前後に文学青年の真似事を一時期していたので、
当然ながら作家の吉行淳之介さんの数多くの作品を読んだりしていた、
こうした中で、妹さんがふたりいて、やがて吉行和子さんは劇団『民藝』で女優さん、
もうひとりの妹の吉行理恵さんは作家となり、芥川賞を受賞され、私は購読したりしていた。
やがて私が50代の頃に、映画の作品に出演された吉行和子さんを鑑賞したり、
ここ10数年、テレビの番組に数多く出演された吉行和子さんに好感を増したりしている。
このような女優・吉行和子さんに関しては、余り詳しくないが、
何かと知的好奇心が強い私は、どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。
この記事の原文は、週刊朝日が連載記事として、
《・・もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。
人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、
できたはずのことがあるのではないでしょうか。
昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、
「もう一つの自分史」を語ってもらいます。・・》
こうした主旨で石原壮一郎が、今回は女優・吉行和子さんにインタビュされて、
『週刊朝日』の2018年6月1日号に掲載された記事で、
【AERA dot.】に於いて5月28日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
■恋心ですか? 死ぬまで持っていたいですよ
やり残した夢や、もう一つの夢って、とくに思い浮かばないんですよ。
本当にいい職業を選んだなって。
今の年だから、できるという役が必ずある。
いつも新しいことができて、退屈せずに済む。
これから先、もっと年を取るんですが、その年の自分に合う役がくるって信じてます。
だから、ちょっとでも若い役をやりたいなんて思っちゃダメ。
それは悲劇の元ですね。
年は取っても、まだ悟っていない、好奇心いっぱいな、そういう役をやってみたいですね。
時代にも、助けられてますよね。
高齢化社会になって、映画を作る側が、年寄りにスポットを当てるようになった。
おかげでいろんな人生をやらせてもらっています。
これを「もう一つの自分史」と言ってもいいかもしれません。
若いときは想像もしていませんでしたから。
――女優生活は60年を超える。
一つの転機は、42歳のとき。大島渚監督の「愛の亡霊」(1978年公開)に出演した。
夫のある女性が、若い男を命がけで愛してしまう情念の物語だ。
大島監督は当時、「愛のコリーダ」の大胆な性描写で物議を醸していた。
「愛の亡霊」はその次作とあって、当然、周囲は心配したという。
今はそうでもないけど、当時は30代、40代になった女優には、
面白い役は、まわってこなかった。
女として、評価されなくなるのよね。
このまま近所のおばさんみたいな役ばっかりやってくのかな、
それもつまんないなって思っていたとき、「愛の亡霊」に出合ったのです。
「ここに女がいる!」と心を揺さぶられて、ぜひ出たいと思いました。
大島監督は、ほんとはもっと年上の大スターで、
たとえば山田五十鈴さんクラスの方に、やってほしかったみたいですね。
でも、過激なシーンも多かったから、そういう人は、出てくれない。
「まあ、しょうがないか」という感じだったんじゃないですか。
あの映画で、あらためて演じる面白さを知ることができました。
あのころ、テレビや映画の仕事だけじゃなくて、
自分で企画して、定期的に舞台公演をやっていたのも、救いになりましたね。
話題にもならないし、お金にもならないけど、自分としては、やりたい役がやれている。
腐っちゃわないためには、絶対に必要でした。
――今では女優という仕事に満足し、楽しみながらやっているが、
小さいころから女優を夢見ていたわけではなかった。
子どものころは病気ばかりしていて、夢はなかったという。
中学生のときに観た劇団民藝のお芝居に感動して、
衣装とか舞台美術とかの係をさせてもらうつもりで受験して、研究所に入ることになったんです。
女優を目指したわけではなかったのに、舞台に出ることになり、
厳しくしごかれて、時にはいじめられて、つらいことばかりでした。
やめなかったのは、責任感と、あとは意地ですね。
ヘタだったから、陰口もさんざんたたかれたけど、それでやめるのは悔しかった。
よく頑張ってるわね。
つらいだろうけど、踏ん張りなさい。
それは後々、絶対に役に立ってくるから。
当時の自分に、そう言ってあげたいかな。
あのときを乗り切ったから、今があると思います。
若い人に何か一言を、と言われたら、
嫌なことも逃げないで、ぶつかってね、と言いたいです。
人生は長いのですから。
結婚して旦那さんに養ってもらうつもりは、最初からありませんでした。
クラスメートは、小中学校のころから、結婚式は着物がいいか洋服がいいか、
どんな旦那さんがいいかって話してたけど、私はぜんぜん結婚に、興味がわかなくて。
私が小さいころに、父が亡くなって、母が働いて、ひとりで私たちを育ててくれました。
だからかもしれません。
おまけに、11歳年上の兄の夫婦関係のゴタゴタも見ていたから、
結婚が幸せなものというイメージは、なかったんですよね。
■家族の味を初めて知った映画
――母の吉行あぐりは、戦前から美容師として活躍し、
NHK連続テレビ小説「あぐり」(1997年)のモデルにもなった。
兄は、女性関係が話題になることも多かった人気作家の吉行淳之介。
父の吉行エイスケも、妹の吉行理恵も作家。
ちょっと変わった家族に囲まれて育ち、家庭の味というものは、女優の仕事を通して知った。
お誕生日を祝ってもらうとか、お正月にお節やお雑煮をみんなで食べるとか、
そういうことがまったくありませんでした。
みんながそれぞれ好きなことをしてる感じで。
自分では普通だと思っていましたけど、ちょっと変わった家族ですよね。
映画「家族はつらいよ」シリーズは、「妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII」(25日公開)で3作目。
その前の「東京家族」(2013年公開)も入れると4作、
ずっと同じメンバーでやっているので、家族の疑似体験をしているみたいです。
家族の味というものを、初めて感じることができました。
ありがたいですね。
私が演じている富子は、貞淑な妻と思わせておいて、じつは、自分で人生を切り開いていくタイプ。
1作目では、夫に離婚届をいきなり突き付けたし、
今回は、夫に「同じお墓に入りたくない」って言っちゃってます。
山田洋次監督は、役者のことを本当によく見てらっしゃいます。
きっと私の性格や本質を見抜いたんでしょうね。
バレたか、という感じ。
もし今、自分に夫がいたら、
富子と同じように「同じお墓に入りたくない」と言っていると思います。
――自身は28歳のときに一度結婚したが、4年ほどで離婚。それ以降は、独身を通してきた。
結婚していたころは、まだ若かったし、
相手に対して「なんで、わかってくれないの」っていう思いが強かった。
私が何でも自分で決めちゃうから、どうして相談しないのって、驚かれたこともあったけど、
そもそも自分のことを誰かに相談するっていう発想がなかったんです。
そういうところは母の影響かしら・・・。
結婚してみて初めて、自分がいかにマイペースで、
相手のことを気にしないかが、わかりました。
相手がどういう人だったとしても、長年連れ添うのは無理だったんじゃないかしらね。
恋心ですか?
もちろん、死ぬまで持っていたいですよ。
恋心は、自然とわいてくるもの。異性にドキドキする気持ちは、大事だと思います。
恋愛感情を抜きにしても、男の人って面白いじゃない。
考え方や感じ方がぜんぜん違って。
もちろん、女友達も大切につき合っています。
頼りになります。
男の人には、たくさん教えてもらえましたよ。
もう昔の話ですけど、嫌な思いをさせられて、
自分は、こんなに醜い言葉を口走るのか、と思ったことも。
そんな男の人でさえ、自分の嫌なところ、駄目なところ、
自分にはこういう面もあるのだ、と教えてくれたのですから。
思い出したくないことも、ひっくるめて、男たちよ、ありがとう!と言いたいですね。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は記事を読み終わった後、ぼんやりと若き青年時代を思い馳せたりした・・。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。
そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりした。
やがて養成所の講師の知人の新劇のある長老を介して、
少しだけであったが、新劇の男優、女優さんを紹介されたりしていた。
この当時の新劇の世界は、『劇団 民藝』、『文学座』、『俳優座』などの主流の男優、女優さんが、
舞台で公演されたり、劇団維持、生活費の為に映画、テレビのドラマに出演されたりし、
満天の星空のように輝いていて、新劇の全盛期の時代であった。
今回、女優・吉行和子さんは、1957年に劇団民藝の舞台「アンネの日記」で主演デビュー、
と私は学び、あの当時も『劇団 民藝』もそうそうたる男優、女優さんがいる中、
ご苦労されただろう、と新劇に無知な私でも、少しだけ理解できたりした。
今回、初めて女優・吉行和子さんの人生航路の深淵を私は学び、
数多くの人生の機敏を多々教示され、感銘させられた・・。
そして《・・今の年だから、できるという役が必ずある。
いつも新しいことができて、退屈せずに済む。
これから先、もっと年を取るんですが、その年の自分に合う役がくるって信じてます。・・》
《・・時代にも、助けられてますよね。
高齢化社会になって、映画を作る側が、年寄りにスポットを当てるようになった。
おかげでいろんな人生をやらせてもらっています。
これを「もう一つの自分史」と言ってもいいかもしれません。
若いときは想像もしていませんでしたから。・・》
私は女優・吉行和子さんが長年に於いて、英知と切磋琢磨される中、ここ20数年、テレビに出演され、
多くの方に知られて、賞賛されている今日、謙虚さも失わず、恐れ入りました・・、
無名な私でも、心の中で呟(つぶや)いたりしている。