夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ゴールデンウィーク、たまたま『おひとりさま』となった私は、とりとめなく過ごし、独り微笑みを重ねて・・。

2018-05-05 13:32:23 | ささやかな古稀からの思い

今朝、私は6時に起床し、朝食後に台所で、家内から借りた可愛らしいエプロンを付けて、
かぼそい声で鼻歌を唄いながら、大皿、小皿、小鉢、茶碗、グラスなどが散乱していたので、
恥ずかしながら一日一回だけ、皿洗いをしたりした・・。

私は
東京の調布市の片隅みに住む年金生活の14年生の身であるが、

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、遠い地に独り住まいをしている家内の母宅に、
家内は家内の妹で交互に、介護に泊りがけで行く日もあり、

こうした時は私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

たまたま過ぎし4月26日より8泊9日の予定で行っているが、一日延長となり、
本日、家内が我が家に夕方に帰宅予定となっている。

こうした中、私はゴールデンウィークに準じた期間を気ままに過ごしてきた・・。

           

食事に関しては、平素と殆ど変わりなく食べたりしているが、
夕食用として家内が準備してくれた料理を主体に食べたりしている。

そして4泊以上になる時は品切れとなり、
私がスーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて

食べているのが実態となっている。

しかしながら我が家の平素の買物に関しては、年金生活を始めた当初より、
私は買物専任者を自主宣言をして、家内から依頼される品を求めて、私は独りでスーパー、専門店に行っている
買物メール老ボーイなのであり、苦も感じることなく、ここ数年はベテランかしら、と微笑む時もある。

           

4月26日、陽気に恵まれていたので、都立の神代植物園に行き、
いつものように4時間ばかり園内を歩き廻ったりした・・。

 こうした中で、少し大きな樹に薄紫色した花が咲いて、何の花かしら、と私は近づいて、
記憶のかたみとして、写真を撮り始めた・・。

           

この時、美麗な御婦人が私に近づいてきて、
『この桐の花・・素敵ですけれど、なかなか巧く撮れませんよねぇ・・』
と私に言ったりした。

そして私は、『これが桐の花でしたか・・恥ずかしながら初めて知りました・・』
と私は微笑みながら御婦人に言ったりした。

こうして私たちは言葉を交わし始めて、15分ぐらい立ち話をした。

何かしら御婦人は、フェイスブックと思われるスマホより大きな情報機器で、
風景、花を映して、俳句を詠まれて、これを知人などに送信されている、
と私は教えられたりした。

           

こうした中で、御婦人は近日中の掲載した画面を私に見せて下さり、
お香の匂いを私は感じながら、良きご趣味です、と私は瞬時に応(こた)えたりした。

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
平素は何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑したりしている。

この御婦人とも談笑しながら、御歳は81歳と会話の中で言われたり、
都心の各名所などを散策されて、殆ど毎日のように発信されている、と私は教えられたりした。

道理で溌溂とした御様子、素敵な日常生活をお過ごしですね、
と私は麗(うるわ)しい御婦人に好感を増しながら言ったりした。

私はこうした御歳を重ねながらも気品を秘めた御婦人に、やがて別れを告げて、
良き一期一会だったよねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、幸せのひとときを享受したりした。

                 

やがて帰宅後、急いでブログの投稿文を書き終えた後、遅い
昼食とした。
昨年の10月からの定番となった、ヨーグルトを箱の二分の一を食べた後は、
樹の年輪のような形状した
バームクーヘンを少し食べたりした。

 
このように、たまたま『おひとりさま』になった私は、
この期間は、とりとめなく過ごして、独り微笑んだりしている。
                         
                            

相変わらず家事は手抜きで、きままに生活している。

午前中のひととき、自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、

季節のうつろいを享受している。

ここ一か月、若葉の色合いに見惚(みと)れ、萌黄色から黄緑色、そして色合いを深めて深緑色に染められ、

私はさりげない日ごとに移つろう雑木のたわわな枝葉を眺めたりしてきた。

空は青さ一色で、ときおり微風が吹くと薫風かしらと感じたり、
風光る情景に身も心も寄せたりしてきた。

ときには陽射しは初夏のような陽気となり、この時節にしては少し早いじゃないの、と思いながら、
少しばかり大きなモミジの葉を拡げた下で、緑陰に身を寄せたりした。

そして、ここ2週間ぐらい前の頃から彩(いろど)ってくれている躑躅(ツツジ)の紅色の花に
見惚(みと)れたりしていた。

             

  
やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、ブログの投稿文をしているが、たまたま『おひとりさま』になると、
家事の合間にしている関係で、投稿時がまばらとなり、独り微苦笑したりしている。

今回、きままな生活をしている中、音楽の名曲を遅ればせながら学び、
少なくともここ一週間で朝、夕に百回以上熱中して、視聴している曲があり、
異例であるが、恥ずかしながら、公開すれば、この名曲である。

https://www.youtube.com/watch?v=KPrf-svWUAQ
【YouTube】:Andrea Bocelli & Sarah Brightman ・・『 Time to say goobye』

私は音楽に関しては、楽譜も読めなく、楽器も弾けなく、つたない感性で聴ているが、
周知の通り、この原曲は『君と旅立とう』(イタリア語・Con Te Partiròコン・テ・パルティロ)で、
イタリア出身で、世界からも賞賛されている盲目のアンドレア・ボチェッリの代表的オペラティック・ポップ楽曲である。

何よりも今回、圧倒的に感銘をさせられたことは、
やがて1996年に、イギリス人のソプラノ代表歌手のサラ・ブライトマンは、
アンドレア・ボチェッリにデュエットを申し出て、
曲名及び歌詞の一部をイタリア語から英語の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(英語: Time To Say Goodbye)」に変更し、
共演したことである。

これがヨーロッパ全土で爆発的にヒットし、やがて全世界に大ヒットし、
名曲のひとつとなり、今日に至っている。

           

恥ずかしながら私は、アンドレア・ボチェッリの曲は少しばかり聴いてきたが、

ソプラノ歌手のサラ・ブライトマンに関しては、無知であった。

そしてこの御方サラ・ブライトマンの略歴には、驚いたりしたが、
何よりも《・・アンドレア・ボチェッリにデュエットを申し出て、
曲名及び歌詞の一部をイタリア語から英語の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(英語: Time To Say Goodbye)」に変更し、
共演したことである。・・》

私は偶然にこのデュエット曲を聴いたが、もとよりアンドレア・ボチェッリの唄声は素晴らしく、
初めて知ったソプラノ歌手のサラ・ブライトマンの唄声、しぐさには、

震えるほどに圧倒的に魅せられてしまった。

やがてこの曲の背景を知り、この御方の略歴を学び、
恐れ入りました・・と私は思い深めて、ここ一週間で百回以上視聴している。

           

私は読書が好きで、昨日は駅前まで15分ばかり歩き、
読んでみたい本を三冊ばかり買い求めたりした。

萩原博子さんの『老前破産 ~年金支給70歳時代のお金サバイバル』(朝日新書)、
牧野知弘さんの『老いる東京、甦(よみがえ)る地方 ~お金と人の流れが変わる!~』(PHPビジネス新書)、
高橋洋一さんの『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』(PHP新書)であった。

いずれの御方は、私が年金生活13年半の中に於いて、幾たびか書物を購読したり、ネットで寄稿文を読み、
敬愛してきた諸氏である。

そして私は、無念ながら専門知識に欠落しているので、お勉強ねぇ、
とボケないうちに、知っておきたい知的好奇心で、読み始めている。

            

今回のゴールデンウィーク、たまたま『おひとりさま』となった私、
このように
きままに過ごして、孤独とか退屈などは死語だよねぇ・・と掃除機で、
各部屋を清めたりして、微笑んだりしている。


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