過ぎし4月28日の朝、ぼんやりとテレビのニュースを視聴していたら、
本日より大型連休が始まりました・・今年は5月1日と2日に休暇を取ると、
9連休となります、と報じられ、サラリーマンを卒業して、年金生活の私でも微笑んだりした。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した直後から、多々の理由により年金生活をし、
早や14年目となり、ともすれば曜日感覚が薄らいで、何かしら世情に疎(うと)くなっている。
そして大型連休は、私が現役サラリーマンの時代は、確かゴールデン・ウィークと称していたのに、
いつのまにか呼び名が変わってしまった、と微苦笑したりした。
このゴールデン・ウィークの由来については、知識人の藤野邦夫(ふじの・のりお)さんが、
的確な解説を『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)で明示している。
《・・『ゴールデンウィーク』とは、日本でしか通用しない和製英語である。
1948年(昭和23年)に『祝日法』が公布され、4月29日から5月5日にかけて、
休日が飛び飛びであれ連続としたことから、この一週間に映画館の入場数が激増。
それに味をしめた映画関係者がPRに使用したことから、
一般にもゴールデンウィークという表現が定着した。》
私は、映画関係者、多分どこかの宣伝部のコピー・ライター専任と思われるが、
命名された名付け親の人は、天分のある人と仰ぎ見てしまう・・。
こうした私の根底の思いとして、多くの家庭の現在でも、この連続休暇を楽しみに、
それ以前の日々の業務に励み、そして国民の多くが甘受できる連続休暇であるからである。
いずれの名称にしても、働いて下さる現役の諸兄諸姉は、日頃は何かと多忙な勤務をされているのだから、
せめて大型連休の時ぐらいは、ゆったりと休息されたり、
或いはご家族で皐月晴れの中、ご自由に行楽地などに行かれたり、
旅行をされりして過ごされればよい、と思ったりしているひとりである。
或いはこの期間でも、仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
大変ですね、お身体を程々にご自愛して下さい、と心を寄せたりしている。
私の現役サラリーマン時代の時は、民間会社の中小企業であったので、
通常は5月1日から5月5日の5連休がほぼ固定で、
後はカレンダーの日曜と祭日に準拠して加味されていた。
そして私はこの当時は、1週間以上連休が採用されるのは、
大手の企業の開発と製造部門だろうと思ったりしていた。
私の30代の後半の頃は、住宅ローンなどで返済に重荷となり、
家内と45分ぐらい歩いた所にある都立・神代植物公園に行ったり、
少しばかり遠い高尾山のハイキングをしたりしていた。
そして、庭の手入れなどをして過ごしたりした。
40代には、格安の団体観光周遊ツアーなどの国内旅行をしていた時もあったが、
旅行先の渋滞に困惑して、その後は庭の手入れをすることが多くなった。
最も現役時代の固定とされていた5月1日から5日までの5日間に於いても、
5日間連続して休めたのは、数えるばかりであった。
私は管理系の情報畑で長く勤めていた関係で、システムの開発、運用などで出勤したり、
50代の後半はリストラで烈風の中で出向となり、物流倉庫の再編成の最適な日々となり出勤したり、
大型連休でゆっくりと休暇できたのは、遠い世界の出来事と思いながら、奮闘していた。
年金生活の昨今は、若葉の色合いに見惚(みと)れ、萌黄色から黄緑色、そして色合いを深めて深緑色に染められ、
私はさりげない日ごとに移つろう雑木のたわわな枝葉を眺めたりしてきた。
空は青さ一色で、ときおり微風が吹くと薫風かしらと感じたり、
風光る情景に身も心も寄せたりしてきた。
ときには陽射しは初夏のような陽気となり、この時節にしては少し早いじゃないの、と思いながら、
少しばかり大きなモミジの葉を拡げた下で、緑陰に身を寄せたりした。
そして、ここ2週間ぐらい前の頃から彩(いろど)ってくれている躑躅(ツツジ)の紅色の花に
見惚(みと)れたりしていた。
ここ10数年、過酷な成果主義が加速される中、短期に成果を求められる責務の時代となり、
無力ながら憂(うれ)いているひとりである。
いずれにしても大型連休に恵まれた現役の諸兄諸姉、
日常は何かと業務に追わる多忙の身の方が多いと思われるので、
せめてこの大型連休のひとときは、ご家族との心身のふれあいを大切にして頂きたい、
と私はぼんやりと思ったりしている。
たまたま今年のこの期間の私は、家内が遠い地に住む家内の母の介護で、
過ぎし4月26日より8泊9日で行っているので、
我が家としては、私が独りぼっちの『おひとりさま』となっている。
相変わらず家事は手抜きで、きままに生活している。
午前中のひととき、自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。
やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした中、ブログの投稿文をしているが、たまたま『おひとりさま』になると、
家事の合間にしている関係で、投稿時がまばらとなり、独り微苦笑したりしている。
今回、きままな生活をしている中、音楽の名曲を遅ればせながら学び、
少なくともここ4日間で朝、夕に百回以上熱中して、視聴している曲があり、
異例であるが、恥ずかしながら、公開すれば、この名曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=KPrf-svWUAQ
【YouTube】:Andrea Bocelli & Sarah Brightman ・・『 Time to say goobye』
私は音楽に関しては、楽譜も読めなく、楽器も弾けなく、つたない感性で聴ているが、
周知の通り、この原曲は『君と旅立とう』(イタリア語・Con Te Partirò(コン・テ・パルティロ))で、
イタリア出身で、世界からも賞賛されている盲目のアンドレア・ボチェッリの代表的オペラティック・ポップ楽曲である。
何よりも今回、圧倒的に感銘をさせられたことは、
やがて1996年に、イギリス人のソプラノ代表歌手のサラ・ブライトマンは、
アンドレア・ボチェッリにデュエットを申し出て、
曲名及び歌詞の一部をイタリア語から英語の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(英語: Time To Say Goodbye)」に変更し、
共演したことである。
これがヨーロッパ全土で爆発的にヒットし、やがて全世界に大ヒットし、
名曲のひとつとなり、今日に至っている。
恥ずかしながら私は、アンドレア・ボチェッリの曲は少しばかり聴いてきたが、
ソプラノ歌手のサラ・ブライトマンに関しては、無知であった。
そしてこの御方サラ・ブライトマンの略歴には、驚いたりしたが、
何よりも《・・アンドレア・ボチェッリにデュエットを申し出て、
曲名及び歌詞の一部をイタリア語から英語の「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(英語: Time To Say Goodbye)」に変更し、
共演したことである。・・》
私は偶然にこのデュエット曲を聴いたが、もとよりアンドレア・ボチェッリの唄声は素晴らしく、
初めて知ったソプラノ歌手のサラ・ブライトマンの唄声、しぐさには、
震えるほどに圧倒的に魅せられてしまった。
やがてこの曲の背景を知り、この御方の略歴を学び、
恐れ入りました・・と私は思い深めて、ここ4日間で百回以上視聴している。
今回の大型連休、たまたま『おひとりさま』となった私、このように
きままに過ごして、孤独とか退屈などは死語だよねぇ・・と皿洗いなどをして、微笑んだりしている。
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