夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

人生は後半戦が勝負、つたないサラリーマン航路を歩んだ私は、年金生活の中で微笑み返しして・・。

2018-05-14 14:44:02 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
ご近所のそれぞれの宅は自動車を所有しているが、我が家は
自動車もない稀(まれ)な家となっている。
           
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、           
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

            

私が年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。

例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の13年半を過ごしてきた。

            
         
私が買物とか散策する時の容姿は、この時節は制服のような定番の服装として、
スポーツシャツにストレッチパンズの長ズボン、ウォーキング・シューズ、そして帽子を被(かぶ)り、
紳士用のショルダー式バックを園児のように斜め掛けをしている。

そして散策する時には、殆どコンバクト・デジカメをネクタイのように首回りから下げて、颯爽と歩き、

歩いている中で瞬時に魅了された情景を、一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

            

私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
                          
或いは雑木の多い小庭に古ぼけたの家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。

この間、私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。

                                   
                                 
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするのが多くなり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の発言から学んできた。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
                      
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、過ごしている。


私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日を迎えているが、
健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ここ5年ぐらい幾たびか私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。

            

私は友達、知人は自身が選ぶことができ、こうした中で悪感情の末、疎遠になったり、解消できるが、
家族の親子、兄妹は、愛憎、確執があっても、一生つきまとい、手を切ることができない間柄となっている。

しかしながら血は水より濃いと称されるように肉親、夫婦、親子、兄妹だけが知りえる
互いの喜びがあり、互いに共有してるのが家族である。

このように家族に対しては、私はブラス思考となっているひとりである。

こうした考えをぼんやりと思い馳せると、
モーリス・メーテルリンクさんの童話『青い鳥』のように、
幸せな『青い鳥』は、人誰しもそれぞれのお住まいの身近な所にいる、と私は確信を深めたりしている・・。

                      
       
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして午後の大半は私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

            

そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。

                      
         
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

                    

私は73歳の身であり、私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たち夫婦は年金生活を過ごして、早や14年目になっているが、
幸いにもお互いに大病に遭遇せず、過ごしてきた。

そして私たち夫婦は40数年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ13年半の年金生活は、定年退職するまで何かと悪銭苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽の日々を過ごしてきた。


世の中は少年時期から青年時期を過ごした後、やがて後年になって、ボクの青春時代はあの時期だった、
と走馬灯ように、その時の出来事を思い馳せたりすることがある。

このようなこともあるので、今こうして過ごしている私たち夫婦は最良の日々かしら、と私は感じたりしている。

          

昨年の9月、楠木 新さんが著作された『定年後』(中公新書)を購読している中で、
驚嘆させられた一節があったりした。



『定年後』(中公新書)


《・・定年退職者を取材した時に、

「毎日やることがなくて困っている」、「一番自由な今が一番しんどい」、「家で居場所がない」、
「暇になったのに焦る」、「嫌な上司もいないよりはマシ」などと語られることがある。
なかには「このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思うときがある」とまで発言した人もいたのである。

彼らの発言と住宅地や都心をまわった取材を重ね合わせてみると、
在職中は組織内での上司や同僚、部下との濃密な人間関係を築いているにもかかわらず、
退職後はその関係が切れてしまい、自分の居場所が見つからなくなっている、ということだ。

今まで長い間、企業社会のなかで朝から晩まで共同作業をやってきた人たちが、
いきなり一人ぼっちになっては、力も意欲も湧かないのは当然であろう。・・》

            

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。
                                                    
そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりした。

やがて警備員などの契約社員をしながら文学青年の真似事をして、
純文学の新人コンクールに応募したりしたが、当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、
やむなく安定したサラリーマンの身に転向を決意した。   
               
そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
          
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。

このような定年退職まで、拙(つたな)い人生航路を歩んだ私であるが、
長らくサラリーマン航路を第一線で過ごされ頭脳明晰な御方が、
定年迷子になって・・おかしいよ、と微苦笑させられたりした。

                 

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住んでいる。

こうした中で、遠い地に独り住まいをしている家内の母宅に、
家内は家内の妹で交互に、介護に泊りがけで行く日もあり、
     
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となり、これも人生だよねぇ、
と私は独り微苦笑したりしている。


私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せずに今日に至っている。

これからの日々は、体力の衰えを増すことを実感しながら、

やがていつの日にか、どちらかが不運にも大病になったり、
最悪の場合は死別して、おひとりさまとなったりする。


こうしたことは自助努力も必要であるが、こればかりは神様か仏様か解らないが、
天上の采配に寄ること思ったりしている。
            

このように年金生活を過ごしているが、こうして過ごしている昨今こそ、
いつまで続くか解らないが、私たち夫婦にとっては最良の日々、と私は感じ深めている
 

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