私は年金生活の73歳の身であり、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
そして世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
生家も近く、結婚前後の5年を除き、私としてこの地域に68年住んできた為か、
調布の里っ児、或いは原住民かしら、と思ったりすることもある。
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。
或いは私が長らく通勤で利用した小田急線の『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
根がケチの為か路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりすることが多い。
私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物に関して、
自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。
我が家は朝のひととき、家内が新聞に添付されているスーパーのチラシを見た後、
赤のサインペンで丸印を付けたりする・・。
まもなく私は手渡されて、赤丸が付いたのが本日の買物の対象品であり、
そして私が店内で魅せられた品を追加するのが、我が家の鉄則となっている。
やがて私は我が家の買物の責務を終えて帰宅した後は、
やはり独りで自宅周辺の3キロ範囲を歩くことが多くなっている。
こうした中、付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたり、
或いは小公園、小学時代に通学した旧市道を歩いたりしている。
ときには最寄駅の商店街に立ち寄り、知人と談笑したり、
都立の神代植物園に遠征したりすると、中学時代の同級生に逢う時もある。
こうした時、偶然だよねぇ・・、とお互いに再会を喜びながら、
過ぎし中学時代のそれぞれの同級生のことを話したりすると、長話になったりする時もある。
私は65歳の頃から体力の衰えを実感させられたり、恥ずかしながら70歳を過ぎた頃から
物忘れが多くなった、と改めて気付き、独り微苦笑する時もある・・。
たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
こうした中、私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
明るい日中だとコーヒーを飲んだり、
夕暮れすぎの場合はビール、水割りのウィスキーを呑みながら、談笑をしたりしている。
或いは私が勤めていたあるレコード会社のOB会と称せられる懇親会に出席したりすると、
上司だった御方たち、或いは同世代の数多くの人と談笑したりしている中、
数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は社交辞令のお世辞を頂くこともある。
或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
他社の『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
ときには遊歩道、公園などを歩いたりしていると、見慣れた情景でも、樹木、草花など、
初めて気づかされて、こんなに美麗な花だったの・・新たなめぐり逢いに感謝をしたりしている。
このように私は日々散策したりすると、
イギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をしているかしら、と微笑んだりする時もある。
私は無念ながらイギリスの湖水地方には訪れたことはないが、確か20年前の頃、
NHKのBSに於いて、湖水地方について連続番組を視聴し、少しだけ情景は学んだりした。
そして肝要のイギリスを代表するワーズワースには、何かと海外文学に苦手な私は、
詩にも素養がなく、恥ずかしながら無知なひとりである。
たったひとつ記憶しているは、私が高校2年生の下校時、映画館に立ち寄って観た作品からであった。
エリア・カザン監督の『草原の輝き』(1961年)で、ナタリー・ウッドが扮する高校女学生が、
教室で詩を朗読するシーンであった。
草原の輝き
花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘めたる
力を見出すべし
私はストリーに涙ぐみ、そしてこの詩には瞬時に魅せられ、そして二回目を見て、
字幕スーパーを薄暗い座席でノ-トに書き留めて、
詩を創られた御方が、ワーズワースと知り、私は17歳の時であった。
私は後年になると、ワーズワースも波乱に満ちた人生航路を歩んだと学んだが、
もとより詩に託した才能で、後世にも多くの方に敬愛されている人である。
そして私は《・・ワーズワースは、生まれ育った地で、生涯にわたってこの地を散策し続けた・・》に、
つたない私でも、瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めたのであった・・。
私はこの地域で生を受けて、やがて都心の高校に通学して、
都心の底知れぬ魅力に圧倒的に魅了され、通勤を含めて45年ばかり彷徨(さまよ)ったが、
定年後に年金生活を始めて、私の住む3キロ範囲を歩き廻るのが、何よりも心身安らぎを得ている。
そしてここ10年、デパートで買物、懇親会、冠婚葬祭などで都心に出れば、
人出の多さに疲れ果て、やがて我が家の最寄駅のひとつ『成城学園前』駅に降り立つと、
何故かしら安堵している。
このような心情を秘めた私は、たとえ時代、住む国と地域、才能も天と地の差があるが、
ワーズワースさんのお気持ち・・少しは理解できますょ、と私は微笑み返しをする時もある。
こうして私は年金生活を始めて、早や14年生になるが、
つたない定年退職時まで歩んだ私でも、人並みに程々の年金を頂き、
平日の閑静な時に自由に散策ができることに、改めて倖せを感じたりしている・・。
帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。