夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには小庭の手入れ、早朝6時より私たち夫婦が奮闘しても、やがて体力の衰えた私は、あえなく敗退して・・。

2018-05-13 13:48:03 | ささやかな古稀からの思い

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭で、
雑木の多い小庭に囲まれて古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

昨日の夕食の時に、私は家内に、『明日(あす)、庭の手入れをするよ・・』と言ったりした。

ここ一か月、常緑樹、落葉樹の雑木は、枝葉は伸び、入梅前に一度は剪定をしなければ、
と一週間前から思うばかり、体力の衰えた私は、さぼったりしてきた・・。

            

我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。

ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家の小庭の樹の剪定は、私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、
私が定年後、ここ14年目の実態となっている。
        
私が2004年(平成16年)の秋に定年退職した以前は、
5年ごとに植木屋さんに依頼するたびに、大きくなってしまった樹、
そして枝葉の処分料が多かった為か、年に50万円前後を要してきたが、
この間は、私がこっそりと植木屋さんの剪定した状況を物真似をして剪定してきた。

そして私が定年後まもなくして、ご近所より少し広い我が家は、少し樹高は低くしているが、
植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたりした。

こうした時、家内は私たちの旅行3泊4日が2回ぐらいできるわ、と言い、
小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、年に数回は家内の手助けを借りている。

             
                                         
昨夜、天気情報を視聴したりしたが、明日の13日は午前中は曇り、
昼過ぎより小雨が降ります、と報じていた。
私は雨の降り前に、朝早く起きて・・小庭の手入れかょ・・と微苦笑したりした。

近くにいた家内は、『あたしも手伝うから・・早期決戦ねぇ』と微笑んだりした。

今朝、私は4時半過ぎに目覚めて、やがて家内と共に談笑しながら朝食を頂だいたりした。

やがて私たち夫婦は6時少し前に、玄関庭に下り立った・・。

こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、
帽子
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。

家内はトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。

そして私は切れ味抜群の鋸(のこぎり)右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も鋸(のこぎり)右手に持ちながら、伸びた枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(バサミ)を器用に使ったりしていた。

私は今年の誕生日を迎える74歳となり、家内は誕生日を迎えると69歳となり、高齢者夫婦に該当するが、
それぞれ奮戦すれば2馬力だよなぁ、と私は微苦笑したりした。

                   

やがて我が家の歩道に面した垣根のカイズカイブキ、アカネモチ、ツバキ、
或いは小庭にあるサカキ、モミジ、キンモクセイなどを剪定したりした。
              
私は若き40代の頃は、殆どの雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になる、と家内の助言に基づいて、小ぶりに剪定したりしてきた。

しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、ペットボドルの煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。

そして40代の頃は、55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と私は苦笑したりした。

やがて私たちは3時間ぐらい樹木の剪定をした後、剪定は中断して、
散乱している枝葉を市から指定されている『燃えるゴミ袋』のLLサイズ
(45リットル入り、有料・10袋入り、840円)に、
袋に破れないように入れる為、私たちは枝葉を適度に剪定鋏(バサミ)で切ったりした。

この後、家内は剪定が終わっていない樹に、枝葉を切り落とし始めたが、
『XXちゃんさぁ・・疲れたから・・やめない?・・』
と私の方から家内に提案したりしたのは、午前11時過ぎであった。

            

そして風呂を沸いた頃、家内に先に入ってもらい、
私は主庭に移動して、片隅にあるテラスに簡易椅子に座り、煎茶を飲んだりした。

私は若き40代の頃は、こうした時はお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗で、
冷酒を二杯ぐらいは呑んで待機していたが、
その後の50代の時は、殆どビールを呑んだりしていたが、
今や煎茶を飲む身となり、やはり齢かしらと苦笑したりした・・。

まもなく家内が居間から、小声で
『お風呂を上がったわ・・選手交代ょ・・』と私に言ったりした。

『了解致しました!!・・』
と私は若き自衛官に負けないように大声で応(こ)えた。

私は体力の衰えてきた中で、ハァ~ィ、と応(こた)えるのは、ボケてきたと誤解されるので、
たとえ夫婦間であっても、せめて返事ぐらいは清く正しくしている。

やがて私は小庭からお風呂場に向かう途中、市が指定された我が家の門扉の内側に、
『燃えるゴミ袋』のLLサイズが14袋あり、私はお互いに健闘したよなぁ、と私は微苦笑したりした。

そして私は家内の奮闘に鼓舞されて、朝6時より5時間ばかり奮戦したが、
今こうして投稿文を綴っているが、けだるさを感じて、やはり齢だよなぁ・・
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

コメント
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