夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

自分の命は自分で決める時代、医師・作家の鎌田 實さんより教示され、やがて私は共感を深めて・・。

2018-05-08 15:26:28 | ささやかな古稀からの思い

先程、ネットでニュースを見たりした中で、
『 自分の命は自分で決める時代  /鎌田實の健康連載 と題された見出しを見てしまった。

もとより鎌田實(かまた・みのる)さんは、医師・作家であり、
長野・諏訪中央病院院長で「健康づくり運動」を実践され、
脳卒中死亡率の高かった長野県の長寿日本一に貢献されている御方である。

私は年金生活の73歳の身であるが、幸いにも入院するような大病には遭遇せず生活をしてきたが、
確固たる死生観はなく、漠然としているが、いつの日にか晩年期の中で、思惑を重ねると思われので、
聡明なお人柄の医師・作家の鎌田實(かまた・みのる)さんから学ぼうと思い、読んでしまった・・。

この記事は、日刊スポーツのネットに於いて、『 鎌田實の人生100年時代をどう生きるか 』連載記事で、
今回、第29回として、『 自分の命は自分で決める時代 』2018年5月8日に掲載され、
私たち高齢者にとっては、切実な難題でもあり、お互いに共有致したく、あえて無断であるが転載させて頂く。

《・・自分の命は自分で決める時代

             

 
・「多死時代」がやってきた

2025年には、団塊の世代が後期高齢者に突入し、43万人の介護難民が出ると言われています。
同時に「多死時代」がやってきます。

国の推定によると、現在年間136万人の死者数は、2040年には168万人に達します。


内閣府の調査では、5割を超える人が「自宅で最期を迎えたい」と答えていますが、
現実には自宅13%、病院75%。希望と実態には大きな隔たりがあります。



・「死の哲学」を持とう


自分なりの「死の哲学」を持つ必要があるように思います。

「渡る世間は鬼ばかり」の橋田寿賀子さんと対談をしました。
彼女は「認知症になったら安楽死がしたい」と望んでいました。
日本では安楽死は認められていませんが、たくさんの賛同の声があがりました。


思想家の西部邁(にしべ ・すすむ)さんが今年1月、自ら命を絶ちました。
「自裁死」と言われています。

病院で不本意な延命治療も受けたくないし、自宅療養では、家族に迷惑がかかる。
そんな中、西部さんらしい自己決定をされたのだと思います。


安楽死も自裁死も、日本では勧められていません。


・延命治療はいるかいらないか自分で決めておこう


食事が取れなくなって、胃に穴を開けて、そこから栄養を取っている人が26万人います。

ぼくは食べられなくなったら無理な治療をしないようにと周りに伝えています。
胃ろうや人工呼吸器が必要になったときに、
そういう治療を受けるか拒否するか、最も自分らしい生き方を示すチャンスです。



日本人は、曖昧に決定を先延ばしして生きる傾向があるが、
自分の死をどうしたいか、紙に書いておこう。
人生100年時代には、命のリテラシーが大切。自己決定をしましょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の14年生の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに、今日に至っている。

私の父は、肝臓を悪化して、町の医師に来宅して頂き、自宅治療をしていたが、
まもなく私が小学2年生の時に、42歳の若さで病死した。

やがて母は、モルタル造りのアバートを経営して、実家から別居していた。

こうした中で私が結婚前に母と同居していた時、
私が20代の終わりの頃、生前だった私の母と談笑した後、
母は、遠い親戚の裕福の女性の御方が、身体を壊して、高級な介護施設に入居されていたが、
母が見舞いに行った時は、植物人間のような状態であった、と教えられた。

『あたし・・嫌だわ・・そこまで生きたくないわ』
と母は私に言った。

母は寝たきりになった時の自身の身を想定し、実家である長兄の宅などで、
下半身の世話をなるのは何よりも険悪して、何気なしに死生観のことを話し合ったりしていた。

そして容態が悪化して、病院に入院して、一週間ぐらいで死去できれば、
多くの人に迷惑が少なくて良いし、何よりも自身の心身の負担が少なくて・・
このようなことで母と私は、自分たちの漠然としながらも死生観は一致していたりした。

こうした母の根底には、敗戦後の前、祖父の弟、父の弟の看病を数年ごとに看病し、
やがて死去された思いがあったと思われる。

そして近日に植物人間のように状況で、介護されている遠い親戚の方を見た思いが重なり、
このような考え方をされたのだろう、とこの当時の私は思ったりしたのである。

やがて母は私が50代の初め、婦人系のガンで、都内の病院で幾たびも入退院された後、
私が53歳の時、母は78歳で亡くなった。

しかし母が懸念した下半身の世話をなることがなかったので、私なりに安堵したことは確かであった。

             

私は年金生活を始めて、3年過ぎた頃から、
いつの日にか認知症、脳梗塞など、そして寝たきりになる前に、

ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
                       
過ぎし9年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろど)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
      
そして、いつものように木のベンチに私は座り、ペットポドルの煎茶を飲みながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。

この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったりした・・。

               
                                             
或いは、いつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。

そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。

このような終末期を私は思いめぐらしてきた・・。

             

しかしながら、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは自分の意思はなく、多大な手厚い治療を受けて、病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、
自分で食物を口に運び、食べられなかったら、もとより延命治療は断り、
痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・
と私に言ったりしている。

今回、この記事を読み終わった後、
《・・自分の死をどうしたいか、紙に書いておこう・・》、
確かに本人は意識がなかった場合、家族、医師も、延命治療の判断に戸惑うと思われる。

結果として、本人の終末期の治療を用紙などに明記していないと、
本人の願いとは、余りにも差異がある治療となることを、改めて教示されたりした。

             

この後、私は溜息を重ねたりした・・。
人生100年と昨今言われたりしているが、現在の男性の平均寿命は確か80歳だし、
私はプラス5年で85歳まで生かされれば充分だょ、と思ったりしている。

しかしながら、
人それぞれ永(なが)らえるのは、自助努力も肝要であるが、
こればかりは神様か仏(ほとけ)さまの采配に寄るよなぁ・・と微苦笑したりしている。
            
コメント (2)
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